聖書だ! ワクワク

 
 みんなの中には、だれが見ても、「大変だね」「かわいそうだね」「気の毒だね」「不幸だね」と思われるような出来事にあっている人もいるかもしれません。「こんなに悲しいことが起きるなんて、ばちがあたったのではないかなあ」と思ったり、「きっと私が悪いからだ」と自分を責めたり、「神さまなんていない!」と神さまを責めたりすることがあるかもしれません。でも知っていてください。あなたはかわいそうな人ではありません。あなたは神さまから見捨てられているのではありません。神さまはあなたの人生にすばらしいことをしようとしておられるのです。


□二月五日(日)

    ヨハネ九1 - 12

 「なぜ」という質問には答えがすぐ出ないことが多いかも知れません。弟子たちはこの人かお父さんが悪いことをしたからばちがあたったにちがいないと思っていました。けれどもイエスさまは「神のみわざが彼の上に現されるため」とおっしゃってこの人をいやしてくださいました。


□二月六日(月)

    ヨハネ九13 - 23

 「どうやったら見えるようになったのだ」えらい人たちが集まってきて、目が見えるようになった人に聞きました。でも「どうやったら」よりも大切なのは「あの方が」助けてくださった、そのことでした。「そんなことがあるはずがない」。みんなは信じようとしませんでした。


□二月七日(火)

    ヨハネ九24 - 34

 えらい人たちは安息日は何もしてはいけないのに病気をなおすなんてとんでもないと怒っていました。そこにいる男の人が目が見えるようになってうれしいことよりも、きまりを守る方が大切だったのです。えらい人たちにはイエスさまが分かっていませんでした。


□二月八日(水)

    ヨハネ九35 - 41

 目が見えないのは大変なことです。でももっと大変なのは顔についている目は見えていても、心の目が見えなくて神さまのことが分からない人、自分の心の目がおかしいということさえも知らない人たちです。あなたの心は神さまが見えていますか。


□二月九日(木)

    エペソ一1 - 14

 神さまは世界の造られる前から私たちのことを知っていて、私たちを神の子にするために、イエスさまを送ってくださいました。そして私たちが教会につながり、神の国を望みながら、神さまをほめたたえて歩むことができるようにしてくださったのです。


□二月十日(金)

    エペソ一15 - 23

 心の目がはっきり見えるようになると、神さまがどんなお方か、その用意しておられる神の国がどんなにすばらしいところか、また、神さまの力がどんなに大きいかが分かるようになってきます。心の目がもっとよく見えるようにしていただこうね。


□二月十一日(土)

    エペソ二1 - 10

 私たちは悪魔のいいなりになって、「怒りの子」でした。自分の好きなことをして、罪の中に死んでいました。けれども、イエスさまの救いは何かをしたからではなく、信じるだけで恵みとしてあたえられたのです。恵みとは「いただく資格のない人に与えられる神さまの愛」です。