聖書だ! ワクワク

 
 イエスさまが地上を歩まれたときには決して高級な服を着ていたわけでもありませんし、またきれいな宝石や、すてきな持ち物を持っておられたわけでもありません。いえ、あまりお金があるようには見えません。かえってイエスさまは貧しく見えたことでしょう。だからイエスさまの周りにはお金のない人、みんなからきらわれていた人、バカにされていた人、悪いやつだと思われていた人たちも安心して集まってこれました。けれども、イエスさまは本当は栄光の主、神のひとり子だったのです。そして今度イエスさまが帰って来られる時には王の王として、さばき主として帰ってこられるのです。


□二月十九日(日)

    ルカ九28 - 36

 イエスさまが真っ白く輝きました。それはイエスさまの本当の姿でした。イエスさまはその山の上でモーセやエリヤと十字架のすくいのことについて話し合っておられました。イエスさまは王でありながら、またしもべとして神と私たちに仕えてくださったのです。


□二月二十日(月)

    ルカ九37 - 43

 ペテロとヨハネとヤコブは自分の見たすごい光景を思い出しては、イエスさまはなんてすばらしいお方なのだろうとうれしい、でもこわい気持ちだったでしょう。でも山の下は大変な騒ぎになっていました。でもイエスさまはその子から悪魔の霊を追い出してくださいました。


□二月二一日(火)

    ルカ九44 - 45

 「人の子」とはイエスさまご自身のことです。イエスさまは自分が旧約聖書に書かれた主、救い主であることを伝えたくてこの言い方をなさいました。けれどもその救いはイエスさまの苦しみを通して私たちに与えられたのです。


□二月二二日(水)

    ルカ九46 - 48

 イエスさまにとっても十字架にかかると言うことは決してやさしいことではありませんでした。そんな気持ちも知らないで、弟子たちはだれが一番偉いかと一生懸命話しています。イエスさまは小さい者、そして小さい者を受け入れる人が一番大きいんだと教えられました。


□二月二三日(木)

    ルカ九49 - 50

 弟子でもないのにイエスさまのお名前を使うなんてとんでもない、とヨハネは思いました。けれどもイエスさまは「反対しない人は味方だよ」とおっしゃいました。だとすると、クリスチャンは少ないけれど、味方はたくさんいそうですね。


□二月二四日(金)

    ルカ九51 - 56

 またヨハネです。兄弟のヤコブもいっしょです。サマリヤの人たちがイエスさまを歓迎しなかったので、プリプリして言いました。「天から火を下してこんな町焼き払ってしまいましょう」。イエスさまは二人をおしかりになりました。


□二月二五日(土)

    ルカ九57 - 62

 イエスさまについていくとこの世ではお金持ちになれないかもしれません。友だちや家の人たちとお別れしなければならないこともあるかもしれません。がまんしなければならないこともあるかもしれません。覚悟がいります。でもそれでもイエスさまについていくのはすばらしいことです。