聖書だ! ワクワク

 
 マルタとマリヤの兄弟ラザロが病気になりました。家族が病気になると心配だよね。そしてとうとうラザロは死んでしまいました。皆さんの家族のだれかや、おじいさんやおばあさんが死んでしまったらどんな気持ちになるだろう。悲しいよね。
 私たちのこの地上の命はみんないつか終わっていきます。悲しいけれど、私たちは知っていなければいけません。だけど、イエスさまは私たちの悲しい気持ちをなぐさめて、天国の希望・よみがえりの希望を与えてくださるのです。イエスさまを信じている人にとっては死はただ悲しいだけのものではありません。死は天国への入り口だからです。


□二月二六日(日)

    ヨハネ十一1 - 4

 病気になるのが好きな人はいません。病気になると苦しいし、まわりにいる人たちも心配になります。どうしてこんな病気になってしまったのだろうと考えます。けれどもイエスさまはおっしゃいました。この病気を通しても神さまのすばらしさがみんなに分かるようになるのだ。


□二月二七日(月)

    ヨハネ十一5 - 16

 イエスさまはマルタやマリヤを愛しておられたのに、ラザロの所にとんで行こうとはされませんでした。ラザロはとうとう死んでしまいます。イエスさまはいじわるをしておられたのではありません。イエスさまには深いお考えがあったのです。


□二月二八日(火)

    ヨハネ十一17 - 27

 イエスさまはマルタに「わたしはよみがえりだ。命だ」とおっしゃいます。そして悲しみの中にあったマルタに「わたしを信じなさい」とおっしゃったのでした。イエスさまこそが私たちに命を与えてくださるお方なのです。


□三月一日(水)

    ヨハネ十一28 - 37

 マリヤはすぐにはイエスさまのところに行くことができません。けれどもイエスさまはマリヤが泣いているのを見ながら、マリヤといっしょに泣いてくださいました。イエスさまはこれからしようとしておられることを知っておられました。でもイエスさまは私たちの悲しみも知っていてくださるのです。


□三月二日(木)

    ヨハネ十一38 - 44

 イエスはお墓の入り口をふさいでいた大きな石をとりのけなさいとおっしゃいます。信じない心はじゃまです。「信じるなら神の栄光を見る」。私たちが信じるときに、神さまはそのすばらしさをあらわしてくださるのです。


□三月三日(金)

    ヨハネ十一45 - 57

 よみがえったラザロを見てたくさんの人たちがイエスさまを信じました。けれどもこんなにすばらしいことが起きても、やっぱりイエスさまを信じないで、かえってイエスさまを何とか殺してやろうと考える人たちもたくさんいたのでした。信じないって悲しいことです。


□三月四日(土)

    Tコリント十五50 - 58

 生き返ったラザロもまた死んだでしょう。私たちもいつかは死んでいきます。でも死ぬと言うことは、負けると言うことではありません。イエスさまがよみがえってくださったように、私たちもよみがえります。イエスさまは死を打ち破ってくださったからです。