聖書だ! ワクワク

 
 ゼベダイというのはヨハネとヤコブのお父さん、お母さんの名前は分かりません。けれども、お母さんは二人のことをとても愛していましたし、心配していました。ただ、イエスさまのこと、イエスさまがどんな風にみんなを救おうとしておられるかと言うことは分かっていなかったのです。ただ二人が立派になってほしいと思ったその子どもに対する思いはどんなお母さんでも持っているものです。みんなのお母さんもね。ヤコブは十二人の中で最初にイエスさまのために死ぬ人になりました。ヨハネは長生きして教会のために働きました。そんな二人をこれからお母さんはどんな気持ちで見ていたでしょうね。


□三月五日(日)

    マタイ二十20 - 28

 弟子たちはみんな自分が一番になりたいと思っていました。一番になっていいと思います。でもイエスさまは一番になるというのは、みんなのしもべとなって仕えることなんだよと教えられました。そしてイエスさま自身もまた私たちのしもべになってくださったのです。


□三月六日(月)

    マタイ二十29 - 34

 「何をしてほしいのか」。ヨハネのお母さんにされたのと同じ質問です。目の見えない人たちは「主よ、目を開けていただくことです」と答えました。あなたはイエスさまに何をしてほしいですか。イエスさまにはそれがおできになるでしょうか。イエスさまの願いは何でしょうか。


□三月七日(火)

    マタイ十八1 - 5

 「だれが一番偉いか」弟子たちはよくそんなことでけんかをしました。みんな自分が一番と思っていたのでしょうね。でも心をいれかえて幼な子のようにならないと天国にもはいれないよとイエスさまはおっしゃいました。自分を低くする人が天国では一番偉いのです。


□三月八日(水)

    ルカ十四7 - 11

 パリサイ人のかしらの家に行ったとき、そこに招待された人たちはみんなできるだけいい席に座ろうとしていました。みんな自分がえらく見られたかったのです。でもイエスさまは自分を低くすると高くされるんだよ、と教えられたのでした。


□三月九日(木)

    マタイ二三1 - 12

 みんなからあいさつされたり、「先生、先生」と呼ばれれたり、みんなの前で良い席に座らせてもらうことを喜んでいる律法学者やパリサイ人たちを見ながら、イエスさまは「彼らのしていることをまねしてはいけないよ」とおっしゃいました。だれのまねをしたらいいでしょうね。


□三月十日(金)

    ルカ二二24 - 30

 イエスさまが十字架につけられる前の日にも弟子たちは誰が一番偉いかとけんかです。イエスさまは偉い人、他の人を教える人、指導する人はいばるのではなく、仕えるのだ、私もそうしているだろう、と語られたのでした。


□三月十一日(土)

    ピリピ二1 - 11

 イエスは神の子です。そのイエスが人になるだけでも大変なことです。けれどもイエスは「しもべ」になってくださいました。そして私たちの罪をぬぐいさり、救うために十字架にかかって死んでくださいました。だからイエスさまを信じている私たちがいばっていたらおかしいね。