今週はいよいよ受難週です。イエスさまが受難週の日曜日にロバの子に乗ってエルサレムに来られたとき、イエスさまはもう自分が十字架につけられることを知っておられました。私たちの罪がゆるされて、神の子にされるためには、どうしても私たちのみがわりになって十字架にかからなければならないことをイエスさまは知っておられたのです。
けれどもイエスさまは進んで行かれました。イエスさまは私たちを救いたいと願っておられたのです。イエスさまはそれほど私たちのことを愛してくださったのです。あなたはこのイエスさまを信じましたか?
□ 四月九日(日) ヨハネ十九8〜12
ピラトは「あなたはどこから来たのか」とたずねます。イエスさまは天から来られました。イエスさまは本当に神の子でした。けれどもユダヤ人たちが、それでもあなたは「カイザル(ローマ皇帝)の味方か?」と叫んだとき、ピラトは神の味方であるより、カイザルの味方として生きる決心をしたのです。
□ 四月十日(月) ヨハネ十九13〜16
イスラエルの人たちにとっては神さまこそが王の王でした。けれども本当は神さまの仕事をするはずの祭司長たちが、「私たちの王様はカイザルだけです」と叫びます。もうこの人たちの心の中で神さまは王様ではありませんでした。
□ 四月十一日(火) ヨハネ十九17〜22
十字架につけられるのはものすごく悪いことをした人だけでした。それほど残酷な死刑だったからです。イエスさまは他の二人の人たちと一緒に十字架につけられます。何も悪いことをしていないイエスさまがすごく悪いと十字架につけられました。私たちの身代わりでした。
□ 四月十二日(水) ヨハネ十九23〜27
イエスさまは上着や下着まで十字架の上で全部を与え尽くされました。イエスさまのところには何も残りませんでした。イエスさまは十字架の苦しみの中でも自分のお母さんのことを心配して、愛弟子(ヨハネのこと?)にお母さんのことをまかせました。
□ 四月十三日(木) ヨハネ十九28〜30
イエスさまは「すべてが終わった」とおっしゃいました。イエスさまは失敗したのではありません。救いを完成してくださったのです。それは私たちが救われるために必要なすべてのことをイエスさまが十字架の上で成し遂げてくださったことを意味していました。
□ 四月十四日(金) ヨハネ十九31〜37
ヨハネはイエスさまの十字架を思い起こしながら、旧約聖書に書いてあった通りだったと振り返っています。兵隊がイエスさまの脇腹をやりで突き刺しました。イエスさまは本当に死なれたのです。
□ 四月十五日(土) ヨハネ十九38〜42
アリマタヤのヨセフは内緒でこっそりイエスさまを信じていました。けれどもイエスさまが十字架で死なれたとき、ニコデモと一緒にピラトのところに来て、イエスさまをお墓にほうむります。みんなに分かってもいいと思ったのです。ヨセフはイエスさまを信じていくことに決めたのです。