聖書だ! ワクワク

 一回本当に死んだ人がよみがえるなんて普通はないことです。そんなこと聞いても、うそでしょう?と思います。信じられないのが普通です。ヨハネによる福音書を書いたヨハネも信じられなかったのでしょう。けれどもイエスさまは本当によみがえってヨハネのたちの前に現れてくださいました。
 僕の前にも目に見えるように出てきてくれたらいいのにって?でも聖書はこんな風に言ってるよ。見たけどそれでも信じなかった人たちがいるって。みんなも見ないで信じる人になってください。


 四月二三日(日)    ヨハネ二十19〜23

     イエスさまがよみがえられたイースターの夕方、弟子たちは戸を閉じてその日もふるえていました。自分たちもイエスさまみたいに捕まえられて十字架につけられてしまったらどうしようと思ったかも知れませんね。でもそんな弟子たちの所にイエスさまは来てくださって「シャローム(安かれ)」と声をかけてくださいました。

 四月二四日(月)    ヨハネ二十24〜29

     トマスはそこにいませんでした。喜んでいるみんなのことがバカに見えます。ぼくは信じないよ。でもそんなトマスのためにもイエスさまは来てくださいました。「わが主よ、わが神よ」とすぐにわかったトマスに「見ないで信じる人は幸せだよ」と教えてくださいました。

 四月二五日(火)    ヨハネ二十30〜31

     ヨハネがこの福音書を書いたのはみんながイエスさまを信じて、永遠の命をいただくてほしかったからです。ヨハネは本当にイエスさまが神の子で、私たちを救うために来てくださり、死んでよみがえってくださったこと、イエスさまを信じると救われることを知っていたからです。

 四月二六日(水)    ルカ二四36〜43

     よみがえられたイエスさまが来られたとき、弟子たちは最初幽霊かと思いました。信じられなかったのです。イエスさまは手と足を見せ、魚を食べて、幽霊じゃなくて本当によみがえったんだよということを教えてくださいました。

 四月二七日(木)    1コリント十五12〜19

     コリントの教会には死人の復活なんてないよと言う人たちがいました。でもパウロは「だってイエスさまはよみがえってくださったでしょ」と語ります。私たちもイエスさまと同じように、死んでもよみがえる日が来るのです。

 四月二八日(金)    1コリント十五20〜28

     イエスさまが死を打ち破ってよみがえってくださったことによって、イエスさまを信じる人たちもやがてよみがえることは確かになりました。死は長く、人間を苦しめ、しばりつけてきました。けれども死もやがて滅ぼされるのです。

 四月二九日(土)    1コリント十五29〜34

     もし私たちの人生が死んで終わりだったら、あまりがんばるのは無駄かも知れません。この世ではただ楽しくおかしく、できるだけなまけてするをして、悪いこともして生きた方が得だということになるでしょう。どうせ死んでしまうのですから。けれども、感謝なことに私たちの人生は死で終わらないのです。