ゴールデンウィークで、お休みがたくさんあってうれしいですね。お出かけする予定のある人もいるかもしれません。でも教会はお休みではありません。それから聖書もお祈りもお休みではありません。えーって、だってみんなお休みでもご飯はお休みにしないでしょ。空気を吸うのもお休みにしないでしょ。でもね。どうしても、お家でお出かけして日曜日お休みになる人は、教会の先生にそう言っておいてね。きっとみんなのためにお祈りしていてくれるから。
□ 四月三十日(日) ヨハネ二一1〜8
弟子たちはガリラヤに帰って、もうイエスさまのお弟子さんやめて、また漁師になろうかなあと思ったかも知れません。でもイエスさまからはなれたら何にもできませんでした。そしてイエスさまがおっしゃるとおりにしたらたくさん魚がとれたのです。弟子たちがイエスさまと会った最初のころにもこんなことがあったよね。「人間をとる漁師にしてあげるよ」という約束はまだ変わっていませんでした。
□ 五月一日(月) ヨハネ二一9〜14
イエスさまは夜通し仕事をして疲れていた弟子たちのために炭をおこして、パンと魚も用意していてくださいました。イエスさまはそしてそのパンと魚を弟子たちにくださいました。ヨハネ六章でもそんなことあったよね。
□ 五月二日(火) ヨハネ二一15〜19
イエスさまはイエスさまのことを三回知らないと言ってしまったペテロに「私を愛するか」と三回聞いてくださいました。イエスさまはペテロが失敗しても、変わらないで愛していてくださり、またイエスさまのためのお仕事をしてほしいと思っておられたのです。
□ 五月三日(水) ヨハネ二一20〜25
神さまは私たち一人一人に特別な御計画をもっておられます。ですから大切なことは人のまねをしたり、人と同じことをすることではありません。人と比べるのではなく、神さまがあなたに願っておられることを見分けて、真実に神さまに従うことなのです。
□ 五月四日(木) 1コリント十五35〜41
イエスさまがよみがえられたときにはイエスさまは特別な体をもっておられました。閉め切った部屋に入ってこられたり、突然消えてしまったりしたこともありました。私たちがよみがえるときにも、天のからだによみがえるのだとパウロは言いました。
□ 五月五日(金) 1コリント十五42〜49
ここではよみがえるときに与えられる体を霊のからだと言います。それはおばけになるということではありません。くたびれたり、悪くなったりすることのない、強いもの、栄光のからだによみがえるのです。そのようなよみがえりの命をイエスさまは私たちに与えてくださるのです。
□ 五月六日(土) 1コリント十五50〜58
私たちはやがて死にます。でも私たちは死んで終わりではありません。イエスさまがすでに死に勝利してくださり、私たちにも死に対する勝利を与えてくださるからです。だから私たちは心から喜んで精一杯神さまに仕えていくのです。