黙示録ってわかりにくいよね。たとえば一章に出てきたイエスさまも「目は燃える炎のよう」「右手に七つの星を持ち」「口からは鋭いもろ刃の剣が出ており」???ですね。黙示録はローマの帝国の迫害の時代に書かれて、なかなか思うようにものが言えない時代でした。だからローマ皇帝が分からないような特別な言い方をしたり、たとえを使ったりしたのですね。
でもこの黙示録を受け取った教会の人たちにはヨハネの言いたかったことはだいたいよく分かったはずです。私たちもこの黙示録を読む中で、励ましをいただいたり、天国のことがよく分かるようになってくるのです。
□ 五月十四日(日) 黙示録二1〜7
七つの教会あての手紙の第一番はエペソです。エペソの教会の人たちは最初救われて神さまを愛してスタートしたころの神さまを愛する愛をなくしていました。イエスさまはそれが一番大事だから、なくしてはいけないよと教えられたのです。
□ 五月十五日(月) 黙示録二8〜11
スミルナの教会もいろいろな苦しみを受けていました。けれどもイエスさまはその苦しみの時がやがて終わること、そして最後まで忠実に神さまのしもべとして生きることの大切さを教えられたのでした。始めるのはやさしくても、最後まで忠実に生き続けるのはやさしいことではありません。
□ 五月十六日(火) 黙示録二12〜17
ペルガモには悪魔の基地がありました。でもそこにも教会があって悪魔と戦っていたというのはすごいことですね。でも同時にイエスさまはペルガモの教会に悔い改めないといけないこともあると教えられたのでした。
□ 五月十七日(水) 黙示録二18〜28
テアテラの教会が前よりも良くなっていることを神さまはちゃんと見ておられました。けれども同時にテアテラの教会の中に罪を犯し続けている人がいたことも分かります。神さまが悔い改めるチャンスをくださるときにそれを断ってはいけません。
□ 五月十八日(木) 黙示録三1〜6
サルデスの教会は外から見ると元気に見えましたが、「実は死んでいる」とイエスさまはおっしゃいます。悲しいことです。外側がどう見えるかではありません。その人や教会の中身を神さまは見ておられます。
□ 五月十九日(金) 黙示録三7〜13
ヒラデルヒヤの教会は決して強い教会ではありませんでした。けれどもこの教会は神さまの言を守って進んでいました。神さまもこの教会を守ってくださいました。この教会が戦うことができたのは、この教会の力ではなかったのです。
□ 五月二十日(土) 黙示録三14〜22
ラオデキヤの教会は最初からしかられています。この教会は自分たちの本当の姿が分かっていなかったのです。イエスさまはこの教会にとても厳しいように見えます。けれどもそれはイエスさまが彼らを愛しておられたからです。イエスさまはイエスさまを閉め出してしまったこの教会と親しい交わりを取り戻したいと願っておられたのです。