新しい月になりました。今日から出エジプト記を読んでいきます。旧約聖書ってすごく分厚くてページがたくさんあって、たくさんいろいろなことが書いてあるけれど、旧約聖書の中で一番大切なことはこの出エジプトなんだなあ。神さまってどんな方? と聞かれたときに、イスラエルの人たちがいつでも思い出したのは自分たちのご先祖たちがエジプトで奴隷だったときにそこから救い出してくださった神さまということだったのです。さあ、どんなにすごいことが起きたのか読んでいこうね。 □七月二日(日) 出エジプト一1〜14  神さまはエジプトに行ったヤコブ(イスラエル)とその家族を祝福してくださって、どんどんどんどん増えていって二百万人くらいにもなったと言われている。エジプトの王様はだんだん心配になってきた。このままでは自分たちよりも強くなってしまう。よし徹底的にイスラエルの人たちをいじめてやる。でもね。イスラエルの人たちは減らなかった。神さまが守ってくださったからだね。 □七月三日(月) 出エジプト一15〜22  「よし、それでは、男の子が生まれたら、殺してしまおう」エジプトの王様は怖いことを考えたね。でもイスラエルの人たちはますます増えていった。ますます強くなった。神さまが恵みを注いでおられたからだね。 □七月四日(火) 出エジプト二1〜10  エジプトの王様はもっと怒って、もっと怖いことを考えたね。男の子の赤ちゃんはナイル川に投げ込んで捨ててしまえと命令した。川の草の間にかごに入れて隠すようにおいた、かわいい一人の男の子。神さまは不思議なことをなさったね。その子はエジプトの王女様の子どもになったんだ。 □七月五日(水) 詩篇一四五1〜21  イスラエルの人たちは本当に苦しかったと思う。でも、イスラエルの人たちは苦しい中で神さまを呼んだ。神さまにお祈りした。神さまは目に見えないけれど、そんなイスラエルの人たちの近くにいて、救おうとしておられたんだね。 □七月六日(木) 詩篇五1〜12  この詩篇を書いた人には敵(あた)がいました。敵はいつもこの人に悪いことばかりするのです。いうのです。考えるのです。でもこの人は神さまにお祈りしました。神さまに叫んだのです。そしてこの人は神さまが聞いてくださっていることを知っていました。 □七月七日(金) ヨハネ十五16  神さまは私たちを愛して選んでくださいました。何のためでしょう。いろいろあるけれど、その中の一つは、私たちがお祈りするようにと選んでくださったのです。私たちがお祈りするときにかなえてあげようと選んでくださったのです。みんなはお祈りしてる? □七月八日(土) マタイ七7〜12  神さまは求めなさいとおっしゃいます。求め続けなさいとおっしゃいます。そして求める人には与えるよと約束してくださっています。神さまは私たちの天のお父さんです。そして私たちに良いものを与えたいと思っておられるのです。  エジプトにいたイスラエルの人たちは苦しい苦しい時を過ごしていました。でも神さまはちゃんとイスラエルのことを覚えておられました。イスラエルの人たちの祈りや叫びを聞いておられました。イスラエルのご先祖たちのアブラハムやイサクやヤコブとした約束を覚えておられて、イスラエルの人たちを救おうとしておられたのです。何も起こっていないように見えたかもしれません。けれども神さまの御計画はちゃんと進んでいました。神さまはモーセを造ってイスラエルを救い出そうとされました。同じ神さまはみんなのことも造って、大きなことをしようとしておられます。 □七月九日(日) 出エジプト二11〜15  モーセが四十歳の時でした(使徒七23)。モーセは自分がイスラエルの人たちを救おうと立ち上がりました。けれども、モーセの計画は失敗しました。みんながモーセのことを信用してくれなかったのです。モーセは怖くなって逃げました。神さまには神さまの時があったのです。 □七月十日(月) 出エジプト二16〜25  モーセはミデアンの地に逃げました。けれども神さまはそこでモーセのためにすてきな奥さんと家族を与えてくださいました。神さまはモーセのためにも、イスラエルのためにもすばらしいご計画を持っておられたのです。 □七月十一日(火) 出エジプト三1〜6  モーセがミデアンに逃げて四十年がたちました。モーセはすっかりおじいさんです。でも神さまはそのモーセを呼んでくださいました。イスラエルを忘れてはおられませんでした。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神はモーセの神、そして私たちの神でもあります。 □七月十二日(水) 出エジプト三7〜12  神さまはイスラエルを救おうとしておられました。そして、モーセをそのために使おうとされました。モーセは心の中が心配でいっぱいでした。でも、神さまはすばらしいしるしを与えてくださいました。神さまがいつも一緒にいるというお約束でした。 □七月十三日(木) 出エジプト三13〜22  「わたしは有って、有る者」って不思議な名前だよね。私たちは生きるためにたくさんのものがいる。空気も水も食べ物も光も言葉も友達も。でも神さまは何もなかったとしてもいることができる。すべてを造り、すべてを生かしているお方だと言うことなんだよ。 □七月十四日(金) 出エジプト四1〜9  モーセはどうせみんな聞いてくれないと恐れていました。けれども神さまはふたつのしるしを与えてくださいました。びっくりすることが起こりました。そしてモーセはこれからもっともっとびっくりするような神さまのみ業を見るのです。 □七月十五日(土) 出エジプト四10〜17  それでもモーセはまだ勇気がでません。自分は話が下手だし、神さまお願いです。他の人を送って下さい、とお祈りします。けれども神さまはそれ以上、モーセに尻込みしてほしくはありませんでした。モーセに信じて、神さまのおっしゃるように出て行ってほしかったのです。  四十歳の時のモーセはとても元気でした。よし、おれがイスラエルを救ってやるという意気込みに満ちていました。でも神さまはそんなモーセをお用いになることができませんでした。そしてモーセは八十歳になりました。モーセは元気だったようです。それでも四十歳とは違います。それに何かすっかり自信をなくしてしまっているようです。でも、神さまはそんなモーセを用いようとしておられました。神さまは私たちのことも用いてくださいます。それは私たちがすごく力があって、頭が良くて、どんなことでも上手にできるからではありません。神さまは自分ではなく、神さまにすがる人をお用いになるのです。 □七月十六日(日) 出エジプト五1〜9  モーセはお兄さんのアロンと一緒に勇気を出してパロ王様の所に行きます。「私たちの神、主はこう言われます」と神さまの言葉を語るのです。私たちの神さまは昔も今も私たちに語られます。けれども二人はかえって王様を怒らせてしまいました。 □七月十七日(月) 出エジプト五10〜23  イスラエルの人たちはかえって余計に苦しくなってしまいました。みんな怒っています。モーセも、「だからエジプトには行きたくないって言ったのに・・・」と思ったかもしれません。でも神さまにはちゃんとお考えがありました。 □七月十八日(火) 出エジプト六1〜13  神さまは「わたしは主」とおっしゃいます。これから後、「主」という名前で、イスラエルの人たちは、自分たちを救ってくださった神さまを思い出すことになります。でもみんなももモーセもなかなか素直に神さまの言葉を信じられません。でも神さまはモーセにパロの所に行けとおっしゃったのでした。 □七月十九日(水) 出エジプト六14〜30  神さまはエジプトの王様に何と言ったらいいのか教えてくださいました。でもモーセは自分はうまく言えないと神さまに訴えます。私たちも神さまのことを上手に友達に話せないことってあるよね。でも神さまはちゃんと助けてくださいます。 □七月二十日(木) 出エジプト七1〜13  パロ王様はなかなかイスラエルの人たちを自由にしてくれませんでした。神さまはいろいろな不思議なことをエジプトの人々に見させられます。そのことを通して、イスラエルの神さまはすごいということをたくさんの人たちが知りました。 □七月二一日(金) 出エジプト七14〜25  神さまはエジプトに十の災いを送られます。一つめは、川の水が血になると言うことでした。ナイル川は大きな川です。そしてこの川はエジプトの命です。でもその川の水が飲めなくなりました。神さまはエジプトの大きな川も自由にすることができたのです。 □七月二二日(土) 出エジプト八1〜15  二つめの災いはかえるでした。エジプトの人たちはかえるも神さまだと言って拝んでいました。でも、そこら中かえるだらけでエジプトの人たちはまいってしまいます。パロ王様も降参です。でもかえるがいなくなるとまたパロ王様は心をかたくしました。  私たちが神さまのおっしゃることを他の人たちに伝えて、たとえば、お友だちを教会に誘ったり、神さまのお話をしてあげたことがありますか。みんなが「教えてくれてありがとう。僕も信じるよ」と言ってくれればいいけれど、嫌な顔をされたり、「もうそのことは言わないで」って言われてしまうと、がっかりして、勇気が出なくなっていきませんか。でも覚えておいてください。みんながイエスさまを信じて生きていくとそういうこともきっとあります。でも神さまはいつもいっしょです。 □七月二三日(日) 出エジプト八16〜19  第三の災いがエジプトに起きます。それは地面のちりが、ぶよになって人や動物につくという災いでした。刺されてみんながかゆくなったでしょう。魔術師たちにもこれはまねできませんでした。命を与えたり、創造するのは神だけにできることだからです。「これは神の指です」と魔術師たちは言いました。でもパロ王様は心がかたくなっていて、神さまを認めようとしませんでした。 □七月二四日(月) 出エジプト八20〜31  第四の災いは「あぶ」でした。これはぶよより大きくて、病気を運んだだろうとも言います。ところがイスラエルの人たちが住んでいたゴセンの地には虫は来ませんでした。パロもさすがに降参です。でもあぶがいなくなると、またパロはがんこになりました。 □七月二五日(火) 出エジプト九1〜7  第五の災いは怖い病気がはやってエジプト中の牛や馬や羊が死んでしまうと言うものでした。やっぱり、イスラエルの人たちの飼っていた動物はみんな元気で死にませんでした。パロはそのことを見たのにやっぱり神さまを恐れることをしませんでした。 □七月二六日(水) 出エジプト九8〜12  第六の災いはエジプトの人たちの体におできがたくさんできるというものでした。それでもパロ王様は神さまに降参しませんでした。神さまが確かに語っておられるのに、教えようとしておられるのに聞こうとしないのは悲しいですね。 □七月二七日(木) 出エジプト九13〜35  第七の災いはものすごく大きな雹(氷の固まり)が降ってくるという災いでした。そんな大きな氷のかたまりが降ってきて、頭に当たったら死んでしまいます。パロ王様は今度こそ降参!でも雹が止んでしまったら、またがんこになりました。 □七月二八日(金) 出エジプト十1〜20  第八の災いはいなごの大群です。いなごの大群が東の方から飛んできてエジプト中の緑のものを全部食べてしまいました。パロ王様はさすがに「私は罪を犯しました」と言いました。けれでもパロ王様の悔い改めは本物ではありませんでした。 □七月二九日(土) 出エジプト十21〜29  第九番目の災いはエジプト中がずっと暗闇になってしまうという災いでした。怖いよねえ。でもイスラエルの人たちの住んでいた町には光がありました。神さまが守っていてくださったのです。どんなに暗い中にひとりぼっちでいるように思えてくるときも、神さまはみんなを照らしてくださる光なのです。  パロ王様はすごく頑固でした。ごめんなさいとおわびしてからも、またやっぱりイスラエルを自由にはしないと心を変えました。「主が心をかたくなにされた」と聖書は言っています。けれども、それは神さまのせいで王様ががんこになったということではありません。王様ががんこになってもがんこになっても、それでも神さまはがまんして、待っておられたのです。がんこになることを許しておられたのです。でもはやく気づいて神さまごめんなさいとおわびするべきでした。神さまは私たちのことも待っておられます。あ、これは間違っていたと気づいたら早くおわびして、神さまに帰りましょう。 □七月三十日(日) 出エジプト十一1〜10  とうとう十番目の災いがエジプトにやってこようとしていました。それはエジプト中のういごが死んでしまうと言う怖いものでした。モーセはそのことをパロ王様のところに言いに行きます。王様に与えられた最後のチャンスでした。でも王様はそのチャンスも拒んでしまいます。   □七月三一日(月) 出エジプト十二1〜13  神さまはイスラエルの人たちに小羊を殺して、その血を家の入り口の枠にぬるようにとおっしゃいました。血が塗られていた家の中にいたら、災いは近づきませんでした。私たちは今は小羊は殺しません。、小羊ではなくイエスさまの十字架の血が私たちを救うからです。 □八月一日(火) 出エジプト十二14〜27  この時から、毎年、イスラエルの人たちは小羊を殺して、その血を家の入り口の枠にぬり、その小羊を家族で食べました。そしてこれを「過越の祭(または「種入れぬパンの祭」)と呼びました。そしてこの時から約千五百年後、その過越の祭の時にイエスさまは十字架で死んでくださったのです。 □八月二日(水) 出エジプト十二28〜51  十番目の災いが起こり、とうとう王様はイスラエルの人たちを自由にしました。イスラエルの人たちは夜の内にエジプトを出発しました。そして、神さまはイスラエルをずっと守っていてくださいました。 □八月三日(木) 出エジプト十三1〜10  エジプトで奴隷だったイスラエルの人たちはエジプトを出て行きました。神さまはこの日を忘れてはいけないとおっしゃいました。神さまの教えである律法を手において、目において、口においてそれを覚え、守るのです。これは今の私たちにとっては聖書の御言葉のことです。 □八月四日(金) 出エジプト十三11〜16  エジプトの最初に生まれた子どもは人間も動物も死んでしまいました。イスラエルでは最初に生まれたものは神さまのものとされました。そして、その子のために特別な献金をしました。これも神さまの救いを忘れないためでした。 □八月五日(土) 出エジプト十三17〜22  イスラエルの人たちは遠回りをしました。そこにも神さまの深い御計画がありました。神さまは昼は雲の柱、夜は火の柱をもってイスラエルを導かれました。イスラエルの人たちはそれについていきました。神さまはイスラエルの陰となり、光となってイスラエルを守られたのです。  八月六日は何の日か知っていますか? 一九四五年、広島に原爆が落とされた日です。子どもたちも含めて十四万人の人たちがその一つの爆弾によって亡くなりました。八月九日には続いて長崎に原爆が落とされ、七万人の人たちが亡くなったと言われます。戦争って怖いですよね。でも、そんな怖い戦争も、私たちの心の中にある怒りや憎しみ、信じられない心がだんだん大きくなって怒ってくるのだと思います。平和を作り出す人たちはさいわいだとイエスさまはおっしゃいました。今私たちに与えられている平和を感謝し、また平和のために祈り、そのために私たちができることを考えましょう。 □八月六日(日) 出エジプト十四1〜9  パロはイスラエルの人たちが出て行ってしまってから、また考えを変えて追っかけてきました。悪魔もとてもしつこいです。なかなかあきらめません。何とかして、私たちをまた自分のけらいにしようとします。だからいつも神さまに聞き、神さまに従いましょうね。 □八月七日(月) 出エジプト十四10〜20  イスラエルの人たちは海の前にテントを広げて休んでいました。ところが後ろからエジプトの馬や戦車が追いかけてきて、とたんにすごく怖くなりました。でもモーセは「神さまご自信が戦って助けてくださるから、黙ってみていなさい」とみんなを勇気づけました。 □八月八日(火) 出エジプト十四21〜31  すごいことが起きました。海が二つに分かれて、その間にかわいた道ができたのです。イスラエルの人たちはそこを渡って向こう側にたどり着きましたが、エジプトの人たちは海がまたもとどおりになっておぼれてしまいました。みんなが神さまを信じました。 □八月九日(水) 出エジプト十五1〜21  神さまのすばらしいみわざを見て、イスラエルの人たちは声を合わせ、心からの喜びをもって、神さまにさんびをささげました。「神さまは私たちのために戦ってくださった。私たちを救ってくださった」と心から歌いました。 □八月十日(木) 詩篇一三六1〜15  イスラエルの人たちが、神さまを礼拝して、みんなで交互に歌っただろうと言われています。イスラエルの人たちにとって神さまは天と地の造り主、そしてエジプトで奴隷であったところから救ってくださった救い主でした。イスラエルの人たちはそのことを忘れないようにこの讃美を歌ったのです。 □八月十一日(金) イザヤ四三14〜21  「海の中に大路を設け、水の中に道をつくり」って何のことか分かるよね。イスラエルの人たちはいつも神さまがエジプトから救ってくださった出エジプトのことを思い起こしました。でも神さまはもっと大きな、新しいことがこれから起こるぞと約束してくださたのです。 □八月十二日(土) イザヤ六三10〜19  イスラエルの歴史の中には出エジプトのあとも大変なことがたくさんありました。けれどもイスラエルの人たちはモーセの時代に起こったことを思い出し、救い主である神さまに祈り求めたのでした。  さて今週も日にちクイズ。八月十五日は何の日だろう。この日は六一年前に日本が戦争に負けて、降参した日です。そしてこの日から日本は変わりました。新しい時代が始まったのです。第二次世界大戦の時代、世界中で戦争が起こり、たくさんの人たちがなくなりました。けれどもその後も、戦争が世界からなくなる日はまだ来ていません。世界のどこかで今日も爆弾が爆発し、今日も銃で人が殺されています。神さまが世界の子どもたちを守ってくださるように祈りたいと思います。みんなの中からも世界に出て行って平和のために働く人、イエスさまの福音をもって世界に出て行く人が起きてほしいと思います。 □八月十三日(日) 出エジプト十五22〜27  神さまを心から賛美して三日めでした。イスラエルの人たちはもう文句を言い始めます。あんなに大きな救いの出来事を見たのに、ちょっと大変なことがおきると、信じないですぐに文句を言うって、誰かと似てない? □八月十四日(月) 出エジプト十六1〜12  エジプトを出て一ヶ月ほどたっていました。エジプトから持ってきていた食べ物ももうなくなってきます。イスラエルの人たちは神さまにお祈りしたり求めるのではなく、文句を言います。「エジプトで死んでいればよかった」という言葉はどんなに神さまを悲しませたことでしょう。 □八月十五日(火) 出エジプト十六13〜21  神さまは不思議なパンをイスラエルの人たちにくださいました。朝のうちに集めないと溶けてしまうし、横着して今日たくさん集めて明日は寝坊しようと考えていると、あまって取っておいた分は虫がつきました。毎朝、集めるって、聖書を読むのと似てるね。 □八月十六日(水) 出エジプト十六22〜30  もう一つ大切な約束事がありました。それは安息日(昔は土曜日)の朝にはこのパンはないということでした。安息日は神さまの日で他の仕事をしてはいけなかったからです。だから前の日には特別二日分集めることになっていました。 □八月十七日(木) 出エジプト十六31〜36  イスラエルの人たちはそのパンを最初見たとき「マナ?」と言いました。「これ何?」という意味です。今まで見たことのない特別な食べ物でした。イスラエルが約束の地に行って、そこの食べ物を食べるようになるまで、神さまは毎日毎日マナを与えてくださいました。 □八月十八日(金) 出エジプト十七1〜7  さて今度はまた水です。イスラエルの人たちは神さまを信じないで、「もう死んじゃう」「神さまなんかおられないんだ」と言いました。モーセを殺そうとさえしました。でも、そんなイスラエルの人たちのためにも神さまは水を与えてくださいました。 □八月十九日(土) 民数記十一1〜35  次は、「マナばっかりで飽きちゃった。ああエジプトにいた頃は良かったなあ」と文句を言って泣き出しました。さすがのモーセもあきれ果てたかもしれません。けれども神さまはイスラエルの人たちがほしがった肉をくださったのでした。  夏休みももう少しです。もう今週から学校の始まるお友だちもいるかもしれません。宿題は終わりそうですか? 夏の思い出が作れたでしょうか。教会のキャンプに行った(これから行く?)お友だちもいるでしょうね。キャンプでどんな決心をしたでしょうか。どんな神さまの恵みをいただいたでしょうか。教会の先生たちや他のお友だちにもお話してくれるといいなあ。神さまからいただいた約束の御言葉を忘れないでちゃんと覚えておこうね。 □八月二十日(日) 出エジプト十七8〜16  アマレクの人たちとの戦いが起こりました。イスラエルの軍隊の大将は若いヨシュアです。モーセは丘の頂に立って手を上げていました。手を上げて何をしていたのでしょう。神さまに向かって手を上げてお祈りしていたのでしょうね。  イスラエルは勝ちました。けれどもモーセはヨシュアに自分が強かったからではなく、神さまが助けてくださったのだと言うことを知っていてほしいと思っていました。 □八月二一日(月) 出エジプト十八1〜12  モーセの奥さんはチッポラと言いました。チッパラと二人の子どもたちはしばらく実家に帰っていましたが、神さまがイスラエルを救ってくださったことを聞いてモーセのところに帰ってきました。チッポラのお父さんのエテロも一緒です。神さまのしてくださったことをみんなで喜びました。 □八月二二日(火) 出エジプト十八13〜27  モーセのしていることを見てエテロはびっくりしました。これではモーセは倒れてしまう。エテロは仕事を分担するようにモーセにアドバイスします。モーセはエテロの話を受け入れて、みんなに小さい仕事はまかせることにしました。 □八月二三日(水) 詩篇六三1〜11  この詩篇の作者は大変な中にありました。でもこの作者は手をあげて神さまを呼ぶことを知っていました。神さまを思い、神さまに助けを求め、神さまにすがりつくことを知っていました。神さまもこの人を助けてくださったのですね。 □八月二四日(木) マタイ十八19〜20  モーセの時にはアロンとホルがモーセのお祈りを助けました。心を合わせて祈るお祈りを神さまは聞いてかなえてくださいます。みんなは誰かと一緒にお祈りしたことがありますか。一緒にお祈りするお友だちがいますか。 □八月二五日(金) ローマ八26〜27  私たちはみんな弱さを持っています。けれども一番深刻な弱さはお祈りができないという弱さです。けれども、聖霊は私たちを助けてくださって、うめくようにして真剣に私たちのためにとりなしてくださるのです。何とすばらしい助けでしょうか。 □八月二六日(土) ヘブル七25  天に帰られたイエスさまは今何をしておられるのでしょうか。ちょうどモーセがヨシュアとイスラエルの軍隊のためにお祈りしていたように、イエスさまも私たちのために、教会のために、これからイエスさまを信じる人たちのために父なる神さまにとりなしの祈りをささげていてくださるんだね。  今週の後半には九月になります。夏休みも楽しくて、いろんなことができたことでしょう。あーあ、また学校か、いやだなあ、めんどくさいなあと思っているみんなもいるかもしれないね。でも知っててください。私たちは学校に行かなきゃいけないというだけでなく、行くことができるのです。勉強しなきゃいけないというだけでなく勉強することができるのです。学校に行けるのも当たり前、勉強ができるのも当たり前と思わないでください。本当はこれは大きな恵みなんだよ。「今日から学校があるから感謝します」「勉強ができることを感謝します」とお祈りしてみてごらん。きっと楽しくなる。 □八月二七日(日) 出エジプト十九1〜9  イスラエルの人たちは旅を続けてシナイ山のふもとに着きました。神さまはイスラエルの人たちと特別な契約(約束)をしようとしておられました。神さまがイスラエルを救ってくださったのだから、イスラエルも神さまに聞き、約束を守るようにと神さまはおっしゃったのです。 □八月二八日(月) 出エジプト十九10〜25  神さまの言葉・約束・契約である十戒をいただくためには、イスラエルの人たちはそれなりの準備をしなければなりませんでした。神さまはシナイ山に下られ、そこでモーセとお話になりました。 □八月二九日(火) 出エジプト二十1〜7  神さまは神さまが救い出されたイスラエルの民に十の戒めを与えられました。ここまでに最初の三つの戒めがあります。それはただ一人の神さまを信じ、愛し、この神さまだけに祈り、礼拝するようにという戒めです。 □八月三十日(水) 出エジプト二十8〜17  ここには四番目から十番目の戒めがあります。安息日は今で言うと曜日としては土曜日ですが、教会では日曜日を安息の日として守っています。五〜十番目の戒めは人と人との関係についての戒めです。今でも大切な戒めばかりです。神さまはこう生きるんだぞと命じられているだけでなく、私たちがそのように生きることができる □八月三一日(木) 出エジプト二十18〜26  神さまが天から下ってモーセと語っているのを見て、イスラエルの人たちは恐れます。そして私たちは神さまのおっしゃることに聞き従いますと約束しました。神さまを恐れる心を失くしてしまわないようにしたいと思います。 □九月一日(金) 出エジプト二四1〜8  モーセはその契約(神様とイスラエルとの約束)が成立したことのしるしとして、雄牛の血を祭壇と民とに注ぎかけたのでした。これが古い契約です。そしてイエスさまを信じる者が救われるという新しい契約が結ばれたときには十字架の上でイエスさまの血が流されたのです。 □九月二日(土) 出エジプト二四9〜18  神はモーセにイスラエルとの約束のしるされた石の板を与えるとおっしゃり、モーセを近くに呼ばれました。モーセは山に上って四十日間、神さまのそばにいました。旧約の時代、モーセは特別に神さまに呼ばれました。今、神さまは私たちをもそばに呼んでいてくださいます。  九月一日って何があった日か知っていますか? 一九二三年に関東大震災があった日です。この日、大きな地震が関東地方を襲い、十四万人以上がなくなりました。関東・東海地方にはだいたい七十年に一回地震が起きているともいいますから、そろそろ次の地震が来るとも言われています。イエスさまも、もう一度イエスさまが来られる前に、大きな地震が来るとおっしゃいました。  地震のために備えももちろんですが、イエスさまがいついらっしゃっても喜んでお迎えできるように、準備をしておきたいと思います。 □九月三日(日) 出エジプト三二1〜6  イスラエルの人たちはモーセがなかなか帰ってこないので、心配になりました。心細くなった人たちは神さまを造ってほしいとアロンに頼みました。アロンも金の子牛を造ってこれが神さまだといいました。神さまと約束したばかりだったのに、もう十戒を破ってしまいました。イスラエルの人たちは自分のやりたい放題していたのです。 □九月四日(月) 出エジプト三二7〜14  神さまはイスラエルの人たちのしていることを大変怒って、イスラエルを滅ぼすとおっしゃいました。けれどもモーセはすぐに神さまにお祈りして、イスラエルの人々のためにとりなします。神さまはモーセのお祈りを聞いてくださいました。 □九月五日(火) 出エジプト三二15〜29  イスラエルの人たちは歌ったり踊ったり大騒ぎをしていました。モーセは律法の板を砕き、アロンを叱りました。やりたい放題していた人たちは殺されました。モーセも怒っていました。間違ったことを間違っているとして怒るのも大切なことです。 □九月六日(水) 出エジプト三二30〜35  モーセは怒るだけではありませんでした。イスラエルの人たちを愛していたのです。イスラエルをゆるしてください。もしかなわなければ、天国に入る人の名簿から名前を抜いてください。モーセはそうお祈りしました。みんなも誰かのためにお祈りすることがありますか。神さまはみんなのお祈りを待っておられます。 □九月七日(木) 出エジプト三三1〜6  神さまはイスラエルをゆるしてくださいました。でも神さまは、一人の使いを一緒に行かせるけれど、自分は一緒には行けないとおっしゃたのです。イスラエルの人たちは悲しくなりました。どこに行くかというよりも、神さまが一緒に行ってくださることが一番大事だったからです。 □九月八日(金) 出エジプト三三7〜16  モーセはまた神さまのところに行きました。まるで友だち同士で話すようにモーセと神さまはお話しました。そしてとうとう神さまは「私自身が一緒に行く」と約束してくださいました。神さまは私たちとも一緒にいてくださいます。 □九月九日(土) 出エジプト三三17〜23  モーセはもう一つのことを神さまにお願いします。神さまの栄光を見ること、神さまのお顔を見ることでした。そのことはまだゆるされませんでした。見たのは後姿。それでもモーセは特別でした。でも私たちが天国に行くときには本当に私たちは神さまを見るのです。  モーセはよくお祈りした人だったなあと思います。みんなはお祈りするのが好きですか。一人でお祈りするのは好きだけど、みんなの前でお祈りするのは嫌いって言う人も多いかもしれないね。なんでそう思うんだろう。ちゃんとお祈りしないと笑われるとか思うからかなあ。でもね。神さまは私たちがたといお祈りが下手だったとしても、お前のお祈りは聞かないよなんておっしゃらない。かえって、私たちのお祈りを喜んでくださるんだよ。だからね。まず、自分の心にあることをまるでお父さんに話すみたいにそのままお話してごらん。神さまはすてきな天のお父さまだから。 □九月十日(日) 民数記十二1〜16  アロンとミリアムはモーセのお兄さん・お姉さんでした。二人は何かモーセばかりカッコいいように思えてしかたありません。「何であいつばっかり」とモーセをねたむようになりました。ねたみって怖い心なんだよね。神さまにしかられた二人は「ごめんなさい」と神さまにお祈りしました。 □九月十一日(月) ?ペテロ五1〜5  ペテロはとしをとったとき、教会に手紙を書いて、教会の大切な仕事をしている人たちがいばらないでみんなに手本を示すように、若い人たちにも教会の先生や先輩の言うことをよく聞いて、謙遜に仕えるようにと勧めました。 □九月十二日(火) ?ペテロ五6〜11  私たちは人にいばるだけでなく、神さまにもいばっていることがないでしょうか。自分が何でも知っている、自分は何でもできるかのようにいばらないで、いろいろな大変なことがあっても信じていこうね。神さまが私たちのことを心配していてくださるからです。 □九月十三日(水) 詩篇七三篇  この詩篇を書いた人は神さまを信じている自分が苦しんでいるのに、悪いことをしている人たちが好き放題にしてうまくいっているのを見て人をねたみました。神さまにも文句を言いたい気持ちになりました。でも神さまは神さまに従わない人生がどうなるかを教えてくださいました。 □九月十四日(木) ヤコブ三13〜18  ヤコブはイエスさまの弟で、エルサレム教会の牧師先生になった人です。ヤコブは特に世界中に散らばっているユダヤ人のクリスチャンたちに手紙を書きました。心の中にあるねたみや苦々しい思いは悪魔から来ます。心の中にきよい神さまの知恵をいただきましょうね。 □九月十五日(金) ヤコブ四1〜10  人を見てねたんだり、人の持っているものをうらやむのはやめましょう。もしどうしても必要なものなら、神さまに求めましょう。神さまは与えてくださいます。神さまは神さまに近づき、へりくだって従う人に豊かな恵みを与えてくださるからです。 □九月十六日(土) ヤコブ四11〜17  すぐに人の悪口を言ったり、おれ様はすごいといばって、他の人たちをばかにしたりしてはいけません。みんな神さまに愛されている人たちです。そして私たちは、神さまにしてほしいとゆだねられていることを、神さまに力をいただいてコツコツしていくだけなのです。  モーセはよくイスラエルの人たちのためにお祈りしました。イスラエルの人たちは困ったこと、悪いことを何度も何度もしましたけれど、そのたびにモーセがゆるしてくださいとみんなのためにお祈りしたのです。このようなお祈りを「とりなし」と言います。そんなモーセのことも知らずにイスラエルの人たちはモーセにも文句を言い、モーセを責めました。でもそんな人たちのためにモーセはお祈りしたのです。  みんなは誰かのためにお祈りしたことがありますか。みんなのお友だちのためだけではなく、みんなのことを悪く言う人たちのために、その人たちが悔い改めて救われるようにお祈りしたことがありますか。 □九月十七日(日) 民数記十三1〜20  十二人の代表が選ばれて、カナンの地を見てくることになりました。神さまがモーセにそのようにおっしゃったからです。カナンの地を見て、そこがどんなにすばらしいところか分かったら、もう文句なんか言わないはずですものね。 □九月十八日(月) 民数記十三21〜33  神さまが約束してくださっていたカナンの地は確かにすばらしいところでした。みんなそれは認めています。「しかし・・・」そこには人が住んでいて、戦いをしたら絶対負けてしまう。でもカレブは「必ず勝てる」と言いました。神さまを信じていたからです。 □九月十九日(火) 民数記十四1〜10  イスラエルの人たちはもうだめだ、エジプトに帰ろうと言い出しました。でも十二人の中でカレブとヨシュアの二人だけは神さまが一緒にいて、導いてくださるから大丈夫だとみんなに言いました。 □九月二十日(水) 民数記十四11〜25 神さまの怒りを知ったモーセは、神さまの前に必死でお祈りします。もしモーセがお祈りしていなかったら、イスラエルは全滅していたでしょう。でもモーセのお祈りを聞いて神さまはイスラエルのことをゆるしてくださいました。でも文句を言ったおとなたちは誰一人カナンの地に行くことはできませんでした。 □九月二一日(木) 民数記十四26〜38  イスラエルの人たちは罰として四十年間荒野を旅しなければなりませんでした。けれどもその四十年間に神さまがどんなに真実な方であるかをイスラエルの人たちは本当に知ることになります。 □九月二二日(金) 民数記十四39〜45  イスラエルの人たちは自分たちは間違っていた、さあカナンの地に行こうと勝手なことを言い出しました。モーセがやめるように言っても彼らは聞きませんでした。そして敵に散々やられてしまいました。 □九月二三日(土) 申命記一19〜46  モーセはこのときのことを後で思い出しながら申命記を書いています。モーセは怖い、やめようという人たちに、「神さまはここまでもずっと守ってくださったのだから、これからも私たちの前に行って、戦ってくださる。敵が強く見えても恐れるな」と励ましました。でもみんな信じなかったのです。知っていてください。神さまはみんなとも一緒にいてくださいます。恐れなくて大丈夫です。  モーセは二百万人とも言われるイスラエルのリーダーでした。イスラエルの人たちはいろいろモーセに文句を言いました。実際、それでは自分でやってみなさいと言われたら大変だったと思います。他の誰もできなかったと思います。でもリーダーをしているといろいろ悪口を言われてしまうことが多いのです。  みなさん、モーセはイスラエルの人たちのために、何度も何度もお祈りをしました。それではどれだけの人たちが本当にモーセのためにお祈りしていただろうかと思います。  みなさんの教会の牧師先生や、教会学校の先生たちのためにどうぞお祈りしてください。神さまの大事な御用ができるようにみんなにお祈りしていてほしいのです。 □九月二四日(日) 民数記十六1〜11  コラやその仲間たち二百五十人がモーセとアロンに文句を言いました。けれどもモーセもアロンも自分で偉くなりたくていばりたくてやっていたわけではありません。神さまが選んで仕事を任せておられたのです。 □九月二五日(月) 民数記十六12〜19  コラたちは神さまの約束を待ちきれなくなっていたのでしょう。自分たちが神さまを信じなかったから遠回りしていること、カナンの地に入れなくなってしまっていることなんか、すっかり忘れてモーセのせいにしたのです。すぐ人のせいにする人いるよねえ。 □九月二六日(火) 民数記十六20〜40  その日、モーセに文句を言ったコラたちは地面がぱっくり開いて飲み込まれてしまいました。コラたちと一緒になって文句を言った二百五十人も死んでしまいました。モーセに文句を言うことはモーセを立てておられた神さまに文句を言うことでもあったのです。 □九月二七日(水) 民数記十六41〜50  次の日もまたモーセに文句を言う人たちがいました。たくさんの人たちが病気で倒れて死にました。けれどもモーセとアロンはイスラエルの人たちのためにお祈りしました。神さまはモーセたちのお祈りを聞いてくださいました。 □九月二八日(木) 民数記十七1〜11  神さまは神さまがアロンを選んで祭司というとても大切な仕事を任せておられることをみんなにも分かるように示してくださいました。アロンの杖だけが、芽を出して花が咲いて、実を結んだのです。 □九月二九日(金) ?テサロニケ五12〜13  パウロはテサロニケの教会の人たちに手紙を送って、教会の先生たちを愛し、敬い、大切にするようにと教えました。教会の先生たちはみんなのためにお祈りし、とても大切なお仕事をしてくださっているからです。 □九月三十日(土) ピリピ二1〜11  みんなが一つになって、一つの心で神さまのために生きることができたら、どんなにすばらしいことでしょう。すぐに自分が偉いと思うのではなく、他の人たちのすばしいところに目をとめることができる人はどんなにさいわいでしょう。イエスさまは決していばりませんでした。かえってみんなのしもべとして生きて行かれたからです。