黙示録の六〜二十章まではとても分かりづらい部分です。ただそこに書かれているのは、歴史は進んでいき、そして悪の力も大きくなっていくけれど、神の救いの御計画は完成に向かって進んでいき、ついにイエスがもう一度帰ってこられる。そして裁きが行われ、滅びに行く者と、天国に迎え入れられる者が分けられる。ついに悪魔が滅ぼされ、天の御国が完成するということです。
難しくてもぜひ、皆さんも読んでください。最初、黙示録を読んだ教会の人たちは迫害と困難の中で、これを読んで慰められ、励まされたのですから。
□ 五月二八日(日) 黙示録二一1〜4
今の天と地は消え去って、神さまはイエスさまを信じて歩んだ者たちの住む新しい天と新しい地を造ってくださいます。今の天と地には多くの痛みや、叫びや、悲しみがあります。けれども、やがて神さまが私たちを住ませてくださるその国には、全くそのようなものはないのです。神さまが共にいてくださいます。
□ 五月二九日(月) 黙示録二一5〜8
神さまはすべてのものを新しくしてくださいます。このことは本当に実現することです。イエスさまを信じて勝利を得る人たちはこの天国に住むことができます。けれども信じないで、罪を行い続けた者たちは地獄に行かなければなりません。イエスさまを信じましょうね。
□ 五月三十日(火) 黙示録二一9〜14
エルサレムは神の都と呼ばれていましたが、その都で治めていた代々の王たちの多くは神さまにそむいて、その都も滅んでしまいます。その都が再建されてもまた、今度は神の御子を十字架につけてしまいます。けれども、新しい都は神に住んでいただくのにふさわしいものなのです。
□ 五月三一日(水) 黙示録二一15〜27
新しい都には全く欠けがなく、とても美しい都です。それだけではなく、そこには神がいてくださって、その神の栄光によって都全体がいつも明るいのです。そこに入れるのはイエスさまを信じていのちの書に名前が書かれている人だけです。
□ 六月一日(木) 黙示録二二1〜7
新しい都の中央にはいのちの水の川が流れています。そこに住む人たちはみんな主のものとされた人たちです。この人たちはいつも主を礼拝し、喜びをもって主の御顔を見るのです。私たちが毎週教会でささげる礼拝もこの天国の礼拝につながっています。
□ 六月二日(金) 黙示録二二8〜16
私たちは語られている聖書の言葉を信じなければなりません。イエスさまは「すぐに来る」とおっしゃいました。私たちはイエスさまによって心を洗っていただいて、神さまの前にいつでも立つことのできるように備えていたいと思います。
□ 六月三日(土) 黙示録二二17〜21
あなたは「アーメン、主イエスよ、来たりませ」と今でも言うことができますか。それとも今はちょっと都合が悪いので待ってくださいと言わないいけないでしょうか。「かわいている者はここに来るがよい」と招いてくださる神さまにすがって、イエスさまの救いをいただきましょう。