今日は教会の誕生日、ペンテコステです。ペンテコステとは「五十日の祭り」という意味で、その年の最初の収穫を神さまに献げる日でした。過越の祭りから五十日です。もともと昔からイスラエルの中で祝われていた祭りだったのですが、教会の中では違った意味で大切な日になります。イエスさまがよみがえられてから五十日目のその日、聖霊が下られて教会がスタートしたからです。
聖霊はその日以来、今も私たちの内に注がれています。聖霊がおられなかったら教会は教会ではありません。私たちも聖霊なしにクリスチャンとして歩むことはできません。でも安心してください。聖霊はすでに注がれていますし、求める者といつも共にいてくださるからです。
□ 六月四日(日) ルカ十一1〜4
イエスさまが祈っておられる姿を見て、弟子たちは自分たちもお祈りしたいと思いました。お祈りを教えてもらいたいと思いました。イエスさまの祈りは楽しそうだったのでしょうね。
□ 六月五日(月) ルカ十一5〜13
イエスさまは「主の祈り」を教えられた後で、求め続け、祈り続けるようにとおっしゃいました。熱心だったらきっとお祈りを聞いてくれるよ、ということではありません。けれども真剣な求めを無視されることはないでしょう。私たちが一番求めなければならないのが聖霊です。
□ 六月六日(火) 使徒行伝一1〜5
聖霊を与えることは父なる神さまの約束でした。よみがえられたイエスさまは弟子たちにその約束を信じて待つようにとお命じになりました。神さまは約束したことを必ず実現してくださるからです。そして弟子たちもその約束を信じて待ったのです。
□ 六月七日(水) 使徒行伝一6〜11
イエスさまが天に帰ってしまって弟子たちは大丈夫だったのでしょうか。ちょっと心配ですね。でもイエスさまは聖霊が下られたらだいじょうぶと知っておられました。聖霊は弟子たちに力を与えてイエスさまを証しする人に造り変えてくださるからです。
□ 六月八日(木) 使徒行伝一12〜14
十一人のお弟子さんと女の人たち、イエスさまの家族、全部で百二十名ばかりの人たちが一緒に心を合わせてお祈りをしていました。心を合わせるのは本当はやさしいことではありません。けれどもみんなが同じ思いになってひたすら聖霊を祈り求めたのです。
□ 六月九日(金) 使徒行伝二1〜13
祈り始めて十日目のことでした。祈っていた人たちの上に聖霊が降られました。その時、弟子たちの中に勇気と力と知恵と一致が与えられ、いろいろな国の言葉でイエスさまのことを話し始めたのです。その日、話を聞いて後でたくさんの人たちがイエスさまを信じるようになります。
□ 六月十日(土) 使徒行伝二14〜21
ペテロはこのことがイエスさまが言い始めたことではなく、それよりももっと昔の預言者ヨエルの時代から神さまが約束していてくださったことだと人々に語ります。神さまの霊が注がれて、弟子たちは幻を見、御言を語る人へと変えられたのです。