教会では年末でも、お正月でも日曜日の礼拝は休みません。イエスさまの復活を忘れないで、神さまの日として、この日を守っているのです。元旦に特別に礼拝をもっている教会も多いことでしょう。ぜひそういう礼拝にも出席してみてくださいね。  みんなの中にはおでかけしたり、忙しくすごしているお友だちも多いことでしょう。学校は休みだと思います。お年玉をもらうときだけではなく、ぜひおうちの人たちが忙しそうにしているときにはみんなも手伝ってあげてください。家族みんなで、喜びをもって新しい年を迎えることができればと思います。 □十二月三一日(日) ルカ二22〜40  ヨセフさんとマリヤさんは赤ちゃんのイエスさまを連れてエルサレムの神殿に行き、そこで感謝のお祈りをしました。その時にシメオンやアンナに出会ったんだね。二人ともいつもお祈りしながら、神さまが約束された救い主を送って下さるのを待っていた。だからイエスさまに出会ったときに本当に喜んだんだよね。 □一月一日(月) 申命記二1〜8  申命記はエジプトを出たイスラエルの人たちが荒野を四十年間旅を続けたとき、四十年間一緒に旅を続けたモーセがみんなにお話ししたメッセージです。モーセはこのお話しをして、死んでいきます。でも最後のお話しだからみんなに大事なことをたくさん伝えたのです。 □一月二日(火) 申命記六1〜9  イスラエルの人たちは神さまが約束しておられたすばらしい所に入っていこうとしていました。でも神さまの言葉を忘れてはいけない。神さまを心から愛してついて行くんだよとモーセは言うのです。私たちも新しい一年に入って行きます。あなたも神さまを愛して行ってください。 □一月三日(水) 申命記七6〜11  イスラエルの人たちはエジプトでは奴隷でした。でも神さまはそんな中からイスラエルの人たちを救い出して、あなたがたはわたしのものだ、わたしの宝だと言ってくださったのです。みなさん一人一人も神さまの特別な宝です。 □一月四日(木) 申命記八1〜10  荒野は岩がごつごつしていたり、水があまりなかったりします。でも神さまはイスラエルの人たちに食べ物や水をくださり、守ってくださいました。御言を与えてその心に命を与えてくださいました。でもこれから行くところはもっと良い地でした。 □一月五日(金) 申命記十一1〜12  神さまに背き続け、神さまに逆らって、そのおっしゃることを聞かないのはとても困ったことです。神さまにバカにしてはいけません。そうして滅んでしまった人が多かったのです。神さまに従いましょう。神さまはあなたに今日も目を注ぎ、豊かな祝福をくださるからです。 □一月六日(土) 申命記三四1〜12  モーセはお話しを終わって、死んでいきました。モーセは特別なリーダーでした。モーセは神さまといつも向き合って、神さまに聞き、神さまにお話ししていたというところが特別だったのです。そしてモーセは後の仕事をヨシュアにまかせバトンタッチします。  今日はもう七日になります。もう学校が始まっている人もいるかな。でも今日が二〇〇八年最初の日曜日です。心から神さまを賛美し、礼拝して一年を始めましょう。  新年に何か決意した人もいたかもしれません。「今年は毎日聖書を読むぞ」「今年は教会を休まないぞ」「今年は楽器を練習するぞ」・・・どんなことでもいいから何か神さまのために決心できるとすてきだと思います。そして、もう三日坊主で決心終わってしまった人、また今日から始め直そうよ。 □一月七日(日) ヨシュア一1〜9  モーセが死んで、ヨシュアがリーダーになったとき、ヨシュアの心の中にはいろいろな不安や恐れがあったかもしれません。けれども神さまはもーせに語られたようにヨシュアにも語りかけて、「強く、また雄々しくあれ」と励ましてくださいました。神さまの言葉をいつも心から離さないようにしていなさい、あなたと一緒にいるから、と神さまは約束してくださったのです。 □一月八日(月) ヨシュア一10〜11  「さあ、進んでいくぞ」とヨシュアはイスラエルの人たちに準備をさせます。ヨルダンというのはイスラエルを北から南まで流れている川です。イスラエルの人たちはそのヨルダン川の東側から西側に入っていこうとしていたのです。 □一月九日(火) ヨシュア一12〜18  イスラエルには十二の部族がありました。ルベン族、ガド族、マナセ族の半分はもうヨルダン川の東側で土地を与えられていました。でもこれからヨルダン川の向こう側に渡っていく他の部族の人たちと一緒に進んでいきます。他の部族を助ける責任があったのです。 □一月十日(水) 士師六11〜24  今日、読んだ箇所にも勇気がなかなか出なかった人が出てきます。でもそんなギデオンに、御使いが来て「主があなたと共におられます」と約束してくださったのです。みなさんも勇気を出してください。神さまはあなたとも一緒にいて下さるからです。 □一月十一日(木) 士師七1〜8  敵が大軍で攻めてきたとき、ギデオンと一緒にいた人はたった三万二千人でした。敵の方が十万人以上も多かったのです。でも神さまはギデオンに多すぎるとおっしゃいました。最後に残ったのは三百人でした。でも神さまが一緒にいてくださったら十分だったのです。 □一月十二日(金) 士師七9〜23  神さまはギデオンに勇気をくださり、特別な作戦を与えて、戦いに勝たせてくださいました。神さまは私たちにも勇気を与え、どんな悪魔の攻撃にも勝たせてくださいます。神さまが一緒にいてくださったら何も心配しないで大丈夫です。 □一月十三日(土) ヨハネ十六33  イエスさまは私たちが生きていくときにたくさん悩みや困ることがあることも知っていてくださいます。でも、勇気を出してください。大丈夫です。私たちが負けることはありません。神さまはもうとっくにこの世と悪魔の力に勝ってくださっているからです。  イスラエルの人たちがヨルダン川を渡って、神さまがずっと約束されていた土地に入っていく。(地図でいろいろな場所を確かめておいてくださいね)。神さまがイスラエルに最初にこれを約束なさったのはイスラエルのご先祖のアブラハムの時でした(創世記十二7)。最初アブラハムとサラと二人だったのに、何百年も時代がたってこの時には二百万にもなっていただろうと言います。神さまは約束をちゃんと覚えていてくださり、約束の通りにしてくださるのです。神さまもお言葉は絶対に変わることがないのです。だから信じて大丈夫なのです。 □一月十四日(日) ヨシュア二1〜14  エリコの町にラハブという女の人がいました。このラハブはヨシュアが送った二人のスパイをかくまいます。それはラハブがイスラエルの神さまを恐れたからです。この神さまはイスラエルだけの神さまではない、世界の神さまだ。そしてラハブもこの神さまを信じたいと思ったからです。   □一月十五日(月) ヨシュア二15〜24  二人のスパイはラハブと一つの決まり事をしました。それは自分の家の窓の所に赤いひもをたらしておくということです。それがラハブのしるし、その家の中にいる人は助けるという約束でした。私たちは赤いひもはたらしません。イエスさまの十字架にすがる人は救われることを知っているのです。 □一月十六日(火) ヨシュア三1〜6  契約の箱は神さまがイスラエルと一緒にいてくださることをイスラエルの人たちに見せてくれました。いよいよ約束の地に入るという前の日にイスラエルの人たちは自分の体を洗い、身をきよめました。 □一月十七日(水) ヨシュア三7〜17  ヨルダン川はいつもよりもたくさん水があふれていました。でも祭司たちが川に足を入れたとたんに、川の水が上流の方でせき止められて、ヨシュアたちが渡ろうとしていたところはすっかり水がなくなってしまったのです。神さまのおっしゃた通りでした。 □一月十八日(木) ヨシュア四1〜10  イスラエルの人たちはヨルダン川の底にあった大きな石を十二取り、ヨルダン川の西側まで運んで、そこに立てました。それはその石を見る度にイスラエルの人たちが神さまのしてくださったすばらしいことを思い起こすためでした。 □一月十九日(金) ヨシュア四11〜24  祭司たちはみんなが渡ってしまうまで、かわいてしまったヨルダン川の中で待っていました。そして最後にその川から上がってきます。神さまは私たちに先立ち、共にいて支え、最後まで守ってくださるのです。 □一月二十日(土) ヨシュア五1〜12  ヨシュアは一緒にいた男の人たちみんなに割礼を受けさせました。これは神さまが最初、創世記十七9〜14でアブラハムに命じられたことでした。それはイスラエルの男の子みんなが受けていなければならないしるし、神さまの民のしるしでした。今はそのようなしるしは必要ではありません。救いのしるしとしての聖霊が与えられているからです。  さていよいよ戦いが始まろうとしています。ヨシュアさんもイスラエルの人たちもいろいろな恐れがあったと思います。心配だったと思います。エリコには高い城壁があります。びくともしそうにありません。エリコには強い軍隊があります。イスラエルの人たちはまだまだ戦いに慣れていません。そんなに多くの武器もなかったでしょう。それに、すぐに「もうやだ」と文句を言う癖がついています。モーセがいてくれたら・・・とヨシュアも何回も思ったかもしれません。でも神さまはヨシュアを励まして、勝利を与えてくださいました。みんなにも戦いがあるはずです。悪魔との戦いです。でも神さまについていたら大丈夫です。 □一月二一日(日) ヨシュア五13〜15  ヨシュアはイスラエルのリーダーです。みんなに命令をする人です。でもそのヨシュアも神さまの前にはしもべになって靴をぬがなければなりませんでした。神さまにヨシュアのけらいになってもらうのではありません。ヨシュアがけらいなのです。 □一月二二日(月) ヨシュア六1〜11  神さまはヨシュアに「エリコはあなたの手に渡している」とおっしゃって特別な作戦をくださいました。でもこれはとんでもないことでした。毎日一回、七日間エリコの町をまわるのです。黙ってまわるのです。七日目は七回。そんなことで城壁がくずれるのだろうか。でも、ヨシュアたちは信じたのです。 □一月二三日(火) ヨシュア六12〜21  ヨシュアとイスラエルの人たちは神さまのおっしゃった通りにしました。そして七日目に七回町をまわって、大声で叫んだ時、エリコの頑丈な城壁がくずれたのです。エリコの町は全く滅ぼされてしまいました。 □一月二四日(水) ヨシュア六22〜27  エリコの町に入っていったときに、助かった人たちがいます。それはラハブの話を信じて、あの赤いひもの家に入っていた人たちでした。このラハブは後で、イスラエルの人と結婚して、イエスさまの系図に名前がのこされることになります(マタイ一5)。 □一月二五日(木) ゼパニヤ三14〜17  ゼパニヤの時代、イスラエルの人たちの心は神さまから離れていました。けれどもゼパニヤはイスラエルの人たちがもう一度、神さまの方に帰って来る時が来るのを見ています。そして「神さまは勇士で、力があって、私たちに力を下さる。だから何も恐れることはない」と語りました。 □一月二六日(金) 詩篇二十1〜9  戦車がたくさんあるとか、馬をたくさん持っているということは昔の戦争ではとても大切なことでした(戦車と言っても馬が引く屋根のない馬車のようなものですが)。けれども、「本当に勝利を与えてくれるのは戦車や馬ではない、主だ」とこの詩篇の作者は知っていました。 □一月二七日(土) 詩篇四八1〜14  この詩篇の作者は神殿に行って、神さまのことをいろいろ考えます。神さまがどんなに愛と恵みに満ちた真実なお方かを思い起こすのです。そしてこの作者は「あなたの右の手は勝利で満ちています」とも語るのです。  ヨシュア記の中には戦争の話がたくさん出てきます。また、みんな滅ぼし尽くすようにと神さまがおっしゃった聖書の箇所を読むと何で愛の神さまがこんなことをおっしゃるのだろうかと思います。この聖書の箇所は戦争をしてもいいのだということを教えているのではありません。カナンの地に住んでいた人たちは悪いことばかりしていたので、神さまがこの人たちを滅ぼそうと定められたのです。また許してあげようと言ってしまうと、今度はその悪い人たちのやり方や習慣がイスラエルの中にも入ってしまう。ですから今度はイスラエルの人たちが悪いことばかりし出したときには、今度はイスラエルの国が他の国に負けて、とても悲しいことが国に起こっていきます。 □一月二八日(日) ヨシュア七1〜5  アイは小さい町だから簡単にやっつけることができる・・・イスラエルの人たちには油断がありました。ところがイスラエルは負けてしまいます。神さまに従っていない人がいたからです。 □一月二九日(月) ヨシュア七6〜15  神さまにしてはいけないと言われていたことをしてしまったアカンの罪はとても大きなものでした。私たちも罪を隠したまま、持ったままでは悪魔に勝つことはできません。神さまは罪をお嫌いになるからです。もし神さまが罪を教えてくださったら素直に悔い改めましょう。 □一月三十日(火) ヨシュア七16〜26  神さまは誰が罪を犯していたかを全部ご存じでした。アカンは神さまから隠れて逃げることはできなかったのです。そしてアカンは自分の犯した罪の罰を負わなければなりませんでした。罪の恐ろしさを知っていてください。 □一月三一日(水) ヨシュア八1〜9  罪が除かれたときに、神さまはもう一度イスラエルと共にいてくださり、ヨシュアに作戦を教えてくださいました。そしてヨシュアもイスラエルの人たちも神さまに言われたとおりに準備をしたのでした。小さな町でした。でもヨシュアたちは真剣でした。 □二月一日(木) ヨシュア八10〜29  アイの町の人たちはまたイスラエルの人たちをやっつけてやろうとみんな町から出てきました。でもそれは神さまの作戦通りでした。そしてイスラエルの人たちは完全に勝利したのです。イスラエルの人たちが罪から離れて、神さまに従ったからです。 □二月二日(金) ヨシュア八30〜35  イスラエルの人たちは戦いが終わったときに、神さまに感謝のささげものをして、礼拝をしました。そしてヨシュアが読んでくれる聖書の言葉をみんなで聞きました。神さまの言葉から離れてはいけない。それは大事なことでした。 □二月三日(土) 詩篇一篇  罪から離れ、悪い人たちの仲間にならないで、聖書の御言をいつも思い、暗唱して心にたくわえている人を神さまは豊かに祝福してくださいます。聖書は私たちを悪魔のたくらみに負けないように守り、力を与えて神さまに喜ばれる歩みができるようにしてくれるのです。  戦争の話をもう少ししましょう。新約聖書の中でイエスさまはあなたに敵がいたとしても、その敵をも愛し、意地悪をする人がいたら、その人たちのためにお祈りしてあげるようにと教えられました。仕返しをするとまた仕返しが返ってきます。そして、どんどん暴力が大きくなっていきます。  こうもおっしゃいました。「剣を取る者は剣で滅びる」。武器で戦うと言うときに、どうしてもやりすぎてしまい、また自分の力に頼って、「自分は強いのだから、他の人たちはみんな自分の言うことを聞け」となったりしやすいのです。イエスさまが教えられたのは暴力は本当の解決にならないということです。 □二月四日(日) ヨシュア九1〜27  ギベオンの人たちはイスラエルの人たちをだましました。そしてイスラエルの人たちはその下手なお芝居を見破ることができませんでした。でも何でだまされてしまったかというと、神さまにちゃんと聞かなかったからです。 □二月五日(月) ヨシュア十1〜11  ギベオンの人たちがイスラエルに降参してしもべのようになってしまったことを知った周りの国々はギベオンを攻めてきました。ヨシュアは助けを求められて、戦いに出て行きます。でも相手は王様の連合軍です。ヨシュアにも恐れがあったでしょう。でも神さまはイスラエルに勝利を与えてくださいました。 □二月六日(火) ヨシュア十12〜28  ヨシュアがお祈りしたときに、丸一日、日が沈まないで天にとどまったと言います。ヨシュアのお祈りを神さまが聞いてくださったのです。このようにしてヨシュアは敵をまったくやっつけることができました。神さまは私たちのお祈りも聞いていてくださいます。 □二月七日(水) ヨシュア十29〜43  イスラエルが次々に戦いを重ねて勝利していったことが書かれています。でもそれはイスラエルの人たちがすごかったのではありません。神さまが一緒に行って、イスラエルのために戦ってくださったのです。 □二月八日(木) ヨシュア十一1〜15  今度の相手はこれまでにないほどの大軍で、馬や戦車もたくさん持っていました。神さまは戦いに勝って、馬や戦車を奪い取っても、それを捨てるようにとおっしゃいました。今度、馬や戦車をたくさん持つようになると、神さまに頼ることを忘れてしまうからです。ヨシュアは神さまのおっしゃったとおりにしました。 □二月九日(金) ヨシュア十一16〜23  カナンの地の王様たちは次々に、イスラエルを攻めてきましたけれど、ヨシュアはその王様たちを次々に打ち破っていきました。しかし、その背後には神さまの働きがありました。 □二月十日(土) ヨシュア十二1〜24  イスラエルの打ち破っていった王様のリストです。その土地をイスラエルの人たちは部族ごとに分けていきました。神さまが昔、アブラハムに約束しておられた通りでした。でもその約束が本当になっていくためにはイスラエルの人たちは一つ一つ戦いに勝っていかなければならなかったのです。  今週は元気なおじいちゃんたちが出てきます。みなさんのまわりにはおじいさんやおばあさんがいますか?みんなとは考え方も趣味も違うかもしれません。いろいろ注意されることもあるかもしれません。でも、みんなの人生の大先輩たちです。いろいろな楽しいことや苦しいことを経験して、みんなのことを心配し、みんなのためにお祈りしていてくれる人たちです。教会でも、近所でも、おうちでも、元気であいさつしてくださいね。そして、そんな大先輩の話をゆっくり聞いてみてください。きっとみんなが全然知らないいろいろな話をしてくれると思いますよ。 □二月十一日(日) ヨシュア十三1〜7  ヨシュアはすっかりおじいさんになっていました。でも、神さまはもう仕事はおしまいで、何もすることはないよとはおっしゃいませんでした。ヨシュア、まだまだ取るべき地は多くある、あなたのすることが残っている。私たちが生きている間は、何もしなくていいということはありません。神さまはお仕事をまかせたいと願っておられるのです。 □二月十二日(月) ヨシュア十四6〜15  カレブは何歳でしたか?でもカレブは四五年前に神さまが語られたお言葉を忘れていませんでした。確かに敵は強く、その町は大きな城壁で囲まれているかもしれません。でも主が一緒にいてくださったら大丈夫。神さまは必ず、そのお言葉の通りにしてくださると信じていたのです。 □二月十三日(火) ヨシュア十七14〜18  ヨセフは大きな部族で、エフライムとマナセに分かれていました。自分たちの土地は狭すぎると訴えます。ヨシュアは自分たちで、敵と戦っていくようにと勧めます。確かに敵は強いでしょう。鉄の戦車を持っているでしょう。でもあなたにはその力があるとヨシュアは励ますのです。 □二月十四日(水) ヨシュア二十1〜9  イスラエルの国の中には6つの「のがれの町」が決められました。間違えて人を殺してしまったような時、そこに逃げたら大丈夫という町でした。イエスさまは私たちの「のがれの町」です。イエスさまのところに行く人だけが救われるのです。 □二月十五日(木) ヨシュア二三1〜16  ヨシュアも歳をとって死が近くなってきました。ヨシュアはまず国のリーダーたちを集めて、神さまがしてくださったことを確認し、これからも神さまの道から離れることなく進んでいくようにと励ましたのでした。主を愛し、主に従う人に神さまは力をくださるからです。  □二月十六日(金) ヨシュア二四1〜13  ヨシュアは今度はすべての民に語りかけます。神さまがこれまでどんなにすばらしいことをしてくださったかを語ります。アブラハムの時代からずっと神さまがどんなに真実で、力のある方だったかをお話ししたのです。 □二月十七日(土) ヨシュア二四14〜33  ヨシュアはこれからのことについても話します。ヨシュアは自分が死んだ後のことを心配していました。他の神々に仕えるのではなく、ただ主に仕えていくようにと励まします。イスラエルの人たちも、「主に仕えます。主の御声に従います」と答えたのでした。あなたはどうですか。  ヨシュアが死んでしまうと、ヨシュアが心配していたように、イスラエルの人たちは神さまから離れて自分勝手に生きるようになります。そして国はガタガタになってとても大変な時代になるのです。でも、神さま助けてと神さまのところに帰ってくるときに、神さまは士師と呼ばれるリーダーを送って助けてくださいました。ところが、大変なことがなくなると、イスラエルの人たちはまた神さまから離れる。そんなくりかえしでした。神さまはそんなイスラエルのために新しいことを始めようとしておられました。新しい時代が始まろうとしていました。 □二月十八日(日) 1サムエル一1〜8  ハンナさんには子どもがいませんでした。昔は子どもがいない女の人はいろいろといやがらせをされることも多かったのです。家のみんなで神さまを礼拝に行くときも、ハンナさんは寂しくて悲しくてたまりませんでした。でも神さまはハンナさんのために特別な御計画をもっておられたのです。 □二月十九日(月) 1サムエル一9〜18  ハンナさんは悲しくて悲しくて、神さまにお祈りしました。泣きながらお祈りしていました。自分の悲しい気持ちをみんな注ぎ出すようにしてずっとお祈りしていました。けれども最後にはハンナは立ち上がります。もう泣くのはやめます。神さまが聞いてくださったと信じたのです。 □二月二十日(火) 1サムエル一19〜28  神さまはハンナのお祈りを聞いて、ハンナに男の子をくださいました。ハンナは神さまに特別な約束をしていました。男の子が生まれたら、神さまの御用のためにささげますという約束でした。ハンナはその約束を守りました。 □二月二一日(水) 1サムエル二1〜11  ハンナは神さまの前に心から喜び、感謝をささげました。あなたのような神さまは他にはいません、と心からの賛美をささげます。どんなに力のある人も、神さまにはかないません。神さまが守り、神さまが力を与え、神さまがすべてを知って、神さまが救ってくださるからです。   □二月二二日(木) 1サムエル二12〜21  そのころ神さまのお仕事をしていたのは祭司のエリでした。でもエリの子どもたちは神さまのことを恐れていませんでした。そんな中でハンナの子サムエルは小さいころから神さまのお仕事を手伝いました。 □二月二三日(金) 1サムエル二22〜36  エリの子ホフニとピネハスはお父さんの言うことを聞かないで、悪いことを続けていました。悪いことをしているのに悔い改めないことはおそろしいことです。神さまはエリの家にさばきがのぞむことを予告されました。けれどもサムエルは神さまにも人にも愛される子として育っていきました。 □二月二四日(土) ピリピ四6〜7  私たちはいろいろなことが心配になってしまうことがあります。でも、まず神さまに感謝しましょう。そしてどんなことでも神さまにお祈りしましょう。神さまは私たちのお祈りを聞いてくださり、私たちの心に神さまの平安を与え、私たちを守ってくださいます。  サムエルは神さまの話される声を聞くことができました。けれども、今の時代には耳で神さまの声を聞くことはまずありません。それは今は神さまからこの聖書を与えられているからです。昔は聖書は一冊・一冊写していきましたし、羊の皮を伸ばして紙のようにして、巻物にしたりしましたから、聖書の一つの部分でも重たい巻物になりました。それはそれは高価なもので、数も少ないですし、普通の人は目にすることができませんでした。でも今では聖書を持って歩くことができます。私たちもお金を貯めて買うことができます。神さまは私たちが御言葉を読んでいる中で、御言葉を通して心に語りかけてくださるのです。 □二月二五日(日) 1サムエル三1〜21  お祈りって神さまに自分のことを一生懸命、お話しすることも大切ななのですが、もっと大切なことは神さまが私たちにお話しになりたいと思っておられることをしっかり聞くことです。あなたは神さまに聞いていますか。 □二月二六日(月) 1サムエル四1〜22  ペリシテ人との間に大きな戦いが起こりました。そして神の箱は奪われ、エリの子どもたちも死んでしまいます。神さまがいてくださることを示している神の箱を持ってきたらきっと戦いに勝てると思ったのです。でも神さまは箱には入りません。大事なことは神さまに従っていると言うことでした。 □二月二七日(火) 1サムエル五1〜12  神さまは神の箱を奪い取って得意になっていたペリシテの人たちを懲らしめられました。偶像は倒され、ペリシテの人たちは病気になったのです。このイスラエルの神さまをおこらせたら大変だと言うことがペリシテの人たちにもよくわかりました。 □二月二八日(水) 1サムエル六1〜21  ペリシテの人たちは神の箱をイスラエルに送り返します。神の箱には神さまがモーセに与えられた十戒の板が入っていました。私たちもきっと中をのぞきたくなると思います。けれどもそれはのぞいても、軽々しくさわってもいけないものでした。 □三月一日(木) 1サムエル七1〜17  イスラエルの人たちがペリシテに敗れて、箱がもって行かれてから二十年がたちました。イスラエルの人たちは神さまを求めました。けれどもサムエルはまず自分のまわりに置いているうその神々を捨てるようにと言います。神さまは偶像を嫌われます。 □三月二日(金) 詩篇九五1〜11  「きょうそのみ声を聞くように」。それはただ耳に聞こえますということではありません。聞いて神さまのみ言葉に従うと言うことなのです。心をかたくなにして神さまに従うことを拒んでいると、神さまが用意していてくださる大きな祝福を失ってしまいます。 □三月三日(土) 詩篇一四三1〜12  詩篇の記者はお祈りをしています。この人は大変な困難の中にあるのです。でもそのうちにこの記者は「聞かせてください」「教えてください」「導いてください」と求めていきます。神さまのお言葉を聞くところから私たちの救いは来るからです。  サムエルもやがて歳をとっていきました。でも残念なことにその子どもたちはサムエルのように神さまに従おうとはしませんでした。みんなの中にもお父さんやお母さんと教会に来ている人たちがいるでしょう。でもどんなにおうちの人たちがすばらしいクリスチャンでも、子どもであるみなさんは自分でイエスさまを信じて歩むことが大切です。誰もみんなの代わりにお祈りしたり、聖書を読んだり、教会に行ったり、信じたりすることはできないからです。みんなが小さいときから教会にきているのはすばらしいことです。神さまはみんな一人一人に、期待しておられるのです。 □三月四日(日) 1サムエル八1〜22  イスラエルの人たちは「王様がほしい」と言い出しました。自分たちが周りの国よりも弱いのは王様がいないからだと考え出したのです。でも自分たちの本当の王様が神さまで、実はこの本当の王様の言うことを自分たちが全然聞いていないと言うことが分かっていませんでした。 □三月五日(月) 1サムエル九1〜14  神さまが一人の王様を選ばれました。そしてその王様が神さまを恐れて国を正しく導いていくことによって国を救おうとされたのです。サウルさんです。サウルさんはろばを捜してやってきて、サムエルさんに会います。神さまが導いておられたのです。 □三月六日(火) 1サムエル九15〜27  サウルは小さい家の出身で、背はとても高かったのですが、謙遜な人・えばらない人でした。そして神さまはそんなサウルを選んでくださいました。神さまはいばっている人はお使いになることができないのです。 □三月七日(水) 1サムエル十1〜16  昔、大事な神さまのお仕事を誰かに任せるときに、その人の頭に油を注ぎました。サウルも王様になるとき、油を注がれました。王様として選ばれ、神さまの霊が注がれて、サウルの中に新しい心が与えられました。人間のがんばりや真面目さだけで、神さまからまかされた仕事をやりきることはできません。 □三月八日(木) 1サムエル十17〜27  サウルが王様に選ばれたとき、神さまに心を動かされてサウルについていった人たちもいれば、文句を言いい、サウルをバカにした人たちもいました。神さまが誰かを選ばれたときに喜んで協力してあげらるといいですね。 □三月九日(金) 1サムエル十一1〜15  ヤベシ・ギレアデがアンモン人に責められたときにサウルは立ち上がって、イスラエルの人たち一緒に敵と戦います。神さまはサウルに勝利を与えてくださいました。神さまの霊が注がれて、サウルに力が与えられたのです。 □三月十日(土) 1サムエル十二1〜25  サムエルは歳をとっていよいよ引退です。サムエルは神さまよりも王様を求めたイスラエルの人たちに、何を気をつけなければならないかを教えました。イスラエルの人たちは何よりまず、主に従い、主に仕えることが大切でした。サムエルもイスラエルの人たちのためにお祈りし続けることを約束しました。  神さまに選ばれて大切な仕事をまかされたサウルでした。とても謙虚でいばらない人ですし、自分のことを悪く言う人にもすぐに怒らないような心の広さ・ゆるしの心も持っていました。けれども、王様になったときに、だんだんおかしな事になっていきます。リーダーになったり、偉くなった時、有名になった時、何かができた時は気をつけなければなりません。困ったとき、大変な時は必死でお祈りし、神さまに聞こうとするのに、物事がうまくいっているときは案外自分のやり方、自分の思いで何でもやってしまうことが多いからです。 □三月十一日(日) 1サムエル十三1〜23  サウルはサムエルが来てくれて、ささげものを神さまにささげ、お祈りをしてくれるのを待っていました。でも、なかなかサムエルが来ない、敵がたくさん来ているのが見える、イスラエルの兵隊たちは逃げ始めているという中で、とうとう待ちきれなくなってしまいます。でも神さまは待ってほしかったのです。 □三月十二日(月) 1サムエル十四1〜23  ペリシテ人たちの数は多く、またたくさんの武器を持っていました。でも、サウルの子ヨナタンは勇気がありました。神さまを信じていました。神さまがいてくださったら、数は問題ではないということを知っていました。神さまは勝利をくださいました。 □三月十三日(火) 1サムエル十四24〜52  サウルはみんなに何も食べてはいけないと命令していました。これは無茶な命令でした。神さまはサウル王様にそのことを教えてくださったのでしょう。王様の命令を破ったのは王様の息子のヨナタンでした。ヨナタンはお父さんがこんな無茶な命令をしていると知らなかったのです。 □三月十四日(水) 1サムエル十五1〜16  神さまは敵を動物まで含めて全部滅ぼすようにと命令しておられました。でもサウルはその命令を守りませんでした。そしてサウルはごめんなさいとすなおに謝ることもしませんでした。いろいろ言い訳がたくさん出てきたのです。 □三月十五日(木) 1サムエル十五17〜35  サウルは「みんながやったのです」とみんなのせいにし、「神さまのために取っておいたのです」と弁解をしました。でも神さまが一番願っておられたのは、サウルが神さまのみことばに聞きしたがう事でした。そしてサウルは自分が悪かったと分かっても、素直になれず、自分のメンツを心配していたのでした。 □三月十六日(金) 1サムエル十六1〜13  神さまはサウルに代わる新しい王様を選ばれました。エッサイの家に行ったサムエルはかっこいいお兄さんを見て、きっとこの人が王様だと思いました。でも神さまは外側よりも人の心の中を見ておられました。 □三月十七日(土) 1サムエル十六14〜23  神さまに選ばれたダビデには、神さまの霊が注がれました。でもサウル王様は悪魔になやまされるようになりました。サウル王様がいらいらしている時には、ダビデが得意の竪琴をひきました。そうすると不思議にサウルの気持ちがおさまるのでした。  神さまはイスラエルのために新しい王様を選ばれました。ダビデです。ダビデはエッサイ家の末っ子で、羊の世話をしていました。まだ子どもでした。でも神さまはそんなダビデを選んでくださったのです。ダビデはすぐに王様になったのではありません。長い間、待たなければなりませんでした。王様に選ばれて、油を注がれてからのダビデの人生は大変なことがたくさんありました。でも、神さまはダビデといっしょにいてダビデの人生をずっと導いてくださったのです。神さまはみんなにも特別なお仕事をしてほしいと願っておられます。そしてそのためにもたくさん準備があるのです。 □三月十八日(日) 1サムエル十七1〜40  またペリシテ人との戦いです。ペリシテ人の方から大きなゴリアテが出てきたときに、イスラエルの人たちはみんな恐くて隠れてしまいました。でもダビデは怖がりませんでした。神さまが一緒にいてくださったら、何もこわがることはないと知っていたからです。 □三月十九日(月) 1サムエル十七41〜58  誰もダビデが勝つとは思っていなかったことでしょう。でもダビデは何も心配していません。主が戦ってくださり、主が救いを与えてくださると信じていたからです。そして本当に神さまはダビデにゴリアテをやっつけさせてくださいました。 □三月二十日(火) 2サムエル五1〜25  さて時がたって、神さまがおっしゃっていたように、ダビデはイスラエル全体の王様になりました。ダビデは王様になっても神さまにお祈りし、神さまに聞いて進んでいきました。神さまはそんなダビデと共にいて勝利を与えてくださいました。 □三月二一日(水) 2サムエル六1〜23  ダビデは神の箱を自分の王宮のそばにおいておきたいと思いました。そうすれば、この国では神さまが中心なのだということがよく分かります。神の箱がエルサレムに上ってくるとき、ダビデは他の人にどう見られるかということなど何も気にしないで、心から喜んで踊りました。神さまが大好きだったからです。 □三月二二日(木) 2サムエル七1〜29  ダビデは神さまのために家を建てたいと思いました。自分ばかり大きな御殿に住んでいるは申し訳ないと思ったのです。でも神さまはダビデに、「私の方があなたのために家を建てるから」とおっしゃってダビデの子孫が代々王様になることを約束してくださいました。 □三月二三日(金) 出エジプト十四10〜31  神さまは力のあるお方です。ダビデより五百年ほど前に、エジプトで奴隷だったイスラエルを救い出し、紅海を二つに分けて海の中に道を造ってくださいました。神さまが戦われるから、その与えてくださる救いを見なさいと神さまはおっしゃったのです。 □三月二四日(土) 出エジプト十五1〜18  モーセとイスラエルの人たちは神さまに向かって高らかに賛美をささげました。主が勝利を与えてくださった。主はくすしき、驚くほどの、不思議なことをしてくださったと賛美しました。神さまに感謝しないではおられなかったのです。    サウルは王様になった時にいくつもの失敗をしましたが、ダビデもまた大きな失敗をしました。自分のけらいの奥さんと親しくなって、そのけらいを殺してしまうというものすごく悪いことをしました。けれども、ある意味では失敗はだれでもすると思います。大切なことは失敗した時に、悪いことをしてしまったと分かった時にどうするかと言うことなのです。ダビデは自分の罪を隠したり、言い訳したりしないで、「私は罪を犯しました」と神さまにおわびし、神さまにゆるしを求め、また「わたしにきれいな心を与えてください」と祈り求めたのです。そんなダビデを神さまは喜んでくださったのでした。 □三月二五日(日) 2サムエル十一1〜27  ダビデは女の人のはだかを見たときにその人を自分のものにしたくなってしまいました。王様だから何でもやっていいのでしょうか。そして自分のした罪を隠すために、自分の大切な部下を殺してしまいました。罪の恐ろしさを思います。 □三月二六日(月) 2サムエル十二1〜15  ダビデは誰も知らないと思ったかもしれません。うまくいったと思ったかもしれません。神さまは全部知っておられました。けれども神さまがダビデの罪を示されたとき、ダビデはすぐにそれを認めたのでした。神さまはダビデをゆるしてくださいました。 □三月二七日(火) 2サムエル十二15〜25  悲しいことですがバテシバが生んだ男の子は死んでしまいます。神さまは罪を赦してくださいます。でも罪は決して私たちを幸せにはしないのです。けれども神さまは後から生まれたソロモンを祝福してくださいます。神さまの赦しは完全です。 □三月二八日(水) 詩篇三二1〜11  この詩篇はダビデの悔い改めの詩篇と言われています。罪を隠していたときには苦しくてたまらなかった。でも、それを告白し、おわびしたときに、神さまはその罪を赦してくださったと、この詩篇の記者は言います。神さまは悔い改める者を救ってくださるのです。 □三月二九日(木) 詩篇五一1〜19  この詩篇もダビデの悔い改めの詩篇です。神さまは自分が罪人であることを素直に認めてお祈りする人を祝福してくださいます。「清い心を私にも与えてください」とお祈りしましょう。 □三月三十日(金) 1ヨハネ一5〜10  私たちにとって一番真実なのは、自分の罪を素直に認める姿です。そして真実な神は私たちをゆるし、きよめてくださいます。「ごめんなさい」と悔い改めるときに赦されない罪はありません。そして神さまは私たちの心をきよめて、神さまに喜ばれる生活を願う者へと変えてくださいます。 □三月三一日(土) 1ヨハネ二1〜6  神さまを信じたのに罪を犯し続けることはありません。もちろん罪を犯せなくなってしまうのではありませんから、失敗してしてしまうこともあるでしょう。でも罪を犯すことがあっても、イエスさまはそんな私たちのためにも父なる神さまにとりなしてくださっているのです。