パロ王様はすごく頑固でした。ごめんなさいとおわびしてからも、またやっぱりイスラエルを自由にはしないと心を変えました。「主が心をかたくなにされた」と聖書は言っています。けれども、それは神さまのせいで王様ががんこになったということではありません。王様ががんこになってもがんこになっても、それでも神さまはがまんして、待っておられたのです。がんこになることを許しておられたのです。でもはやく気づいて神さまごめんなさいとおわびするべきでした。神さまは私たちのことも待っておられます。あ、これは間違っていたと気づいたら早くおわびして、神さまに帰りましょう。
□ 七月三十日(日) 出エジプト十一1〜10
とうとう十番目の災いがエジプトにやってこようとしていました。それはエジプト中のういごが死んでしまうと言う怖いものでした。モーセはそのことをパロ王様のところに言いに行きます。王様に与えられた最後のチャンスでした。でも王様はそのチャンスも拒んでしまいます。
□ 七月三一日(月) 出エジプト十二1〜13
神さまはイスラエルの人たちに小羊を殺して、その血を家の入り口の枠にぬるようにとおっしゃいました。血が塗られていた家の中にいたら、災いは近づきませんでした。私たちは今は小羊は殺しません。、小羊ではなくイエスさまの十字架の血が私たちを救うからです。
□ 八月一日(火) 出エジプト十二14〜27
この時から、毎年、イスラエルの人たちは小羊を殺して、その血を家の入り口の枠にぬり、その小羊を家族で食べました。そしてこれを「過越の祭(または「種入れぬパンの祭」)と呼びました。そしてこの時から約千五百年後、その過越の祭の時にイエスさまは十字架で死んでくださったのです。
□ 八月二日(水) 出エジプト十二28〜51
十番目の災いが起こり、とうとう王様はイスラエルの人たちを自由にしました。イスラエルの人たちは夜の内にエジプトを出発しました。そして、神さまはイスラエルをずっと守っていてくださいました。
□ 八月三日(木) 出エジプト十三1〜10
エジプトで奴隷だったイスラエルの人たちはエジプトを出て行きました。神さまはこの日を忘れてはいけないとおっしゃいました。神さまの教えである律法を手において、目において、口においてそれを覚え、守るのです。これは今の私たちにとっては聖書の御言葉のことです。
□ 八月四日(金) 出エジプト十三11〜16
エジプトの最初に生まれた子どもは人間も動物も死んでしまいました。イスラエルでは最初に生まれたものは神さまのものとされました。そして、その子のために特別な献金をしました。これも神さまの救いを忘れないためでした。
□ 八月五日(土) 出エジプト十三17〜22
イスラエルの人たちは遠回りをしました。そこにも神さまの深い御計画がありました。神さまは昼は雲の柱、夜は火の柱をもってイスラエルを導かれました。イスラエルの人たちはそれについていきました。神さまはイスラエルの陰となり、光となってイスラエルを守られたのです。