聖書だ! ワクワク

 サムエルは神さまの話される声を聞くことができました。けれども、今の時代には耳で神さまの声を聞くことはまずありません。それは今は神さまからこの聖書を与えられているからです。昔は聖書は一冊・一冊写していきましたし、羊の皮を伸ばして紙のようにして、巻物にしたりしましたから、聖書の一つの部分でも重たい巻物になりました。それはそれは高価なもので、数も少ないですし、普通の人は目にすることができませんでした。でも今では聖書を持って歩くことができます。私たちもお金を貯めて買うことができます。神さまは私たちが御言葉を読んでいる中で、御言葉を通して心に語りかけてくださるのです。


 二月二五日(日)    1サムエル三1〜21

     お祈りって神さまに自分のことを一生懸命、お話しすることも大切ななのですが、もっと大切なことは神さまが私たちにお話しになりたいと思っておられることをしっかり聞くことです。あなたは神さまに聞いていますか。

 二月二六日(月)    1サムエル四1〜22

     ペリシテ人との間に大きな戦いが起こりました。そして神の箱は奪われ、エリの子どもたちも死んでしまいます。神さまがいてくださることを示している神の箱を持ってきたらきっと戦いに勝てると思ったのです。でも神さまは箱には入りません。大事なことは神さまに従っていると言うことでした。

 二月二七日(火)    1サムエル五1〜12

     神さまは神の箱を奪い取って得意になっていたペリシテの人たちを懲らしめられました。偶像は倒され、ペリシテの人たちは病気になったのです。このイスラエルの神さまをおこらせたら大変だと言うことがペリシテの人たちにもよくわかりました。

 二月二八日(水)    1サムエル六1〜21

     ペリシテの人たちは神の箱をイスラエルに送り返します。神の箱には神さまがモーセに与えられた十戒の板が入っていました。私たちもきっと中をのぞきたくなると思います。けれどもそれはのぞいても、軽々しくさわってもいけないものでした。

 三月一日(木)    1サムエル七1〜17

     イスラエルの人たちがペリシテに敗れて、箱がもって行かれてから二十年がたちました。イスラエルの人たちは神さまを求めました。けれどもサムエルはまず自分のまわりに置いているうその神々を捨てるようにと言います。神さまは偶像を嫌われます。

 三月二日(金)    詩篇九五1〜11

     「きょうそのみ声を聞くように」。それはただ耳に聞こえますということではありません。聞いて神さまのみ言葉に従うと言うことなのです。心をかたくなにして神さまに従うことを拒んでいると、神さまが用意していてくださる大きな祝福を失ってしまいます。

 三月三日(土)    詩篇一四三1〜12

     詩篇の記者はお祈りをしています。この人は大変な困難の中にあるのです。でもそのうちにこの記者は「聞かせてください」「教えてください」「導いてください」と求めていきます。神さまのお言葉を聞くところから私たちの救いは来るからです。