聖書だ! ワクワク

 サウルは王様になった時にいくつもの失敗をしましたが、ダビデもまた大きな失敗をしました。自分のけらいの奥さんと親しくなって、そのけらいを殺してしまうというものすごく悪いことをしました。けれども、ある意味では失敗はだれでもすると思います。大切なことは失敗した時に、悪いことをしてしまったと分かった時にどうするかと言うことなのです。ダビデは自分の罪を隠したり、言い訳したりしないで、「私は罪を犯しました」と神さまにおわびし、神さまにゆるしを求め、また「わたしにきれいな心を与えてください」と祈り求めたのです。そんなダビデを神さまは喜んでくださったのでした。


 三月二五日(日)    2サムエル十一1〜27

     ダビデは女の人のはだかを見たときにその人を自分のものにしたくなってしまいました。王様だから何でもやっていいのでしょうか。そして自分のした罪を隠すために、自分の大切な部下を殺してしまいました。罪の恐ろしさを思います。

 三月二六日(月)    2サムエル十二1〜15

     ダビデは誰も知らないと思ったかもしれません。うまくいったと思ったかもしれません。神さまは全部知っておられました。けれども神さまがダビデの罪を示されたとき、ダビデはすぐにそれを認めたのでした。神さまはダビデをゆるしてくださいました。

 三月二七日(火)    2サムエル十二15〜25

     悲しいことですがバテシバが生んだ男の子は死んでしまいます。神さまは罪を赦してくださいます。でも罪は決して私たちを幸せにはしないのです。けれども神さまは後から生まれたソロモンを祝福してくださいます。神さまの赦しは完全です。

 三月二八日(水)    詩篇三二1〜11

     この詩篇はダビデの悔い改めの詩篇と言われています。罪を隠していたときには苦しくてたまらなかった。でも、それを告白し、おわびしたときに、神さまはその罪を赦してくださったと、この詩篇の記者は言います。神さまは悔い改める者を救ってくださるのです。

 三月二九日(木)    詩篇五一1〜19

     この詩篇もダビデの悔い改めの詩篇です。神さまは自分が罪人であることを素直に認めてお祈りする人を祝福してくださいます。「清い心を私にも与えてください」とお祈りしましょう。

 三月三十日(金)    1ヨハネ一5〜10

     私たちにとって一番真実なのは、自分の罪を素直に認める姿です。そして真実な神は私たちをゆるし、きよめてくださいます。「ごめんなさい」と悔い改めるときに赦されない罪はありません。そして神さまは私たちの心をきよめて、神さまに喜ばれる生活を願う者へと変えてくださいます。

 三月三一日(土)    1ヨハネ二1〜6

     神さまを信じたのに罪を犯し続けることはありません。もちろん罪を犯せなくなってしまうのではありませんから、失敗してしてしまうこともあるでしょう。でも罪を犯すことがあっても、イエスさまはそんな私たちのためにも父なる神さまにとりなしてくださっているのです。