聖書だ!ワクワク  七月も続けて創世記から学びます。アブラハムの信仰はどのように子どもたちに受け継がれていったでしょうか。みんなの中にもお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんがクリスチャンの人がいることでしょう。そうでなくても、教会には教会学校の先生たちや、あんな風になれたらいいなあと思うような、すてきな大人の人たちがいるはずです。神さまはどんな財産を受け継ぐ以上に、神さまを信じる歩みが受け継がれていくことを願っておられます。 七月六日(日)  創世記二四1〜9  アブラハムは息子のイサクのためにお嫁さんをさがしたいと思いました。でも近くにいるカナン人の女の人は違うと思いました。カナンの人たちは石や木の神さまを信じていましたし、悪いことばかり考えていることにも気づいていたからです。 七月七日(月)  創世記二四10〜14  アブラハムから大事な仕事をまかされたしもべはナホルの町まで来た時に、神さまにお祈りしました。お祈りしないでこのことはできないと思ったからです。みんなもすてきなパートナーと出会えるようにお祈りするといいね。 七月八日(火)  創世記二四15〜27  しもべがイサクのお嫁さんのために決めた条件は、美人であることとか、話が楽しいことではありませんでした。どんなことでも、いやな顔をしたり、いばったりしないで、喜んでしてくれるそういう女性です。 七月九日(水)  創世記二四28〜51  しもべはリベカの家の人たちに、イサクのこと、そして神さまが自分を導いてくださったことを話しました。みんなも、このことが神さまから出たことであることを認ました。あなたのための結婚相手も神さまが備えてくださいます。 七月十日(木)  創世記二四52〜61  リベカと出会って次の日に、しもべはもう自分の主人のところに帰りたいと言いました。リベカも「行きます」と答えました。ぐずぐずはしませんでした。神さまが導いていてくださると信じていたからです。 七月十一日(金)  創世記二四62〜67  イサクもすぐにリベカのことが大好きになりました。イサクもまた神様がリベカを与えてくださったことが分かったのでしょうね。イサクはリベカと結婚して、心からリベカのことを愛しました。 七月十二日(土)  箴言十九1〜29  私たちはどんな人を好きになるのでしょう。美人でかわいい人?かっこよくてスポーツが得意な人?勉強ができてお金持ちになりそうな人? 「賢い」とは頭がいいということではありません。神さまをおそれ、心に知恵がある人です。そういう人が一番です。 聖書だ!ワクワク  いやな人・意地悪をするような人・苦手な人に出会ったらどうしますか。頭にくるよね。仕返ししますか? 相手が立ち上がれないくらい、もっと意地悪をしますか。「だって、あっちが先にやってきたんだもの」とあなたは言うかもしれません。怒ったり、むっとすることはあるでしょう。でも、怒り狂って罪を犯してはいけません。「こういう時、もしイエスさまだったらどうするだろう」って考えてみるといいね。 七月十三日(日)  創世記二六1〜5  ききんが起きました。雨がないので、食べるものにも不自由してきます。イサクはエジプトに行こうかなと思いました。でも神さまは「私が示す地にとどまりなさい」とおっしゃいました。イサクは神さまの言葉に従って、ゲラルにとどまります。神様は従ったイサクを祝福してくださいました。 七月十四日(月)  創世記二六6〜11  リベカは心が優しいだけでなく美人でした。イサクは、リベカがあんまりきれいなので、自分が殺されてしまうかもしれないと自分のことが心配になります。イサクは嘘をつきました。イサクの大失敗でした。 七月十五日(火)  創世記二六12〜25  神さまはイサクを恵まれました。ペリシテ人たちはよそ者のイサクが何をやってもうまくいくのががまんできません。イサクの使っていた井戸をふさいだり、横取りしたり、いろいろいやがらせをします。でも、イサクはあきらめないでまた新しい井戸を掘りました。 七月十六日(水)  創世記二六26〜33  ペリシテ人たちは神さまがイサクを祝福しておられるのを見て、神さまがイサクと一緒におられるのがよく分かりました。そして今度はイサクとなかよくしたいと言い出したのでした。 七月十七日(木)  マタイ五1〜10  「さいわい」とは「神さまに祝福されている」という意味です。神さまが祝福してくださっているのはどんな人たちでしょうか。「柔和」とは心が穏やかでやさしいことです。強くてお金持ちでいばっているのではなく、心の優しい人になってください。 七月十八日(金)  マタイ十一28〜30  イエスさまは「わたしのところに来なさい」と招いていてくださいます。私たちもイエスさまに学びたいと思います。イエスさまは柔和で心がやさしく、いばらない方だからです。 七月十九日(土)  マタイ二一1〜11  みんなイエスさまが王様になってくれたらいいのにと思っていました。でもイエスさまの乗っておられたのはかっこよくて、強くて、早い馬ではなく、ロバの子でした。イエスさまは心のやさしい柔和な王様だからです。 聖書だ!ワクワク  みんなには兄弟がいますか。みんなは兄弟とどんなところが似ていますか。どんなところが違いますか。兄弟がいない人も、ああ、兄弟がいたらいいのになあと思うこともあるかもしれませんね。兄弟が仲が良かったら、とても楽しいし、いろいろなことが一緒にできるものね。聖書の中にも仲の良い兄弟も、仲の悪い兄弟もたくさん出てきます。エサウとヤコブはどんな兄弟だったでしょう。 七月二十日(日)  創世記二五19〜26  イサクとリベカはとてもやさしく、愛し合う夫婦でした。でもなかなか子どもが生まれません。イサクはリベカのために心をこめてお祈りしました。そして結婚して二十年。ついに元気な双子の男の子が生まれました。神さまはお母さんのおなかの中にいる時から、この二人のために大事なご計画をもっておられました。 七月二一日(月)  創世記二五27〜34  エサウは一番上のお兄さんで特別な祝福をいただくことになっていました。けれどもエサウは神さまの祝福よりも、今、おなかがいっぱいになる方が大事でした。神さまよりもご飯の方が大切だったのです。 七月二二日(火)  マタイ六19〜24  私たちの宝物って何でしょうか。私たちの宝物はどこにあるのでしょうか。銀行ですか。それとも天国ですか?私たちにとって一番大事なのはお金でしょうか。それとも神さまでしょうか。 七月二三日(水)  マタイ六25〜34  食べるものも飲むものも着るものもみんな大事です。からだのことも大事にしなければなりません。でも一番大事なのは神さまに救われているということです。他のものはみんなおまけです。神さまは私たちのことを心配し、いつも良いことをしてくださるからです。 七月二四日(木)  ヘブル十二12〜17  エサウは神さまの恵みよりもたった一杯の食事の方を大事にしました。それがエサウの心だったのです。エサウはあとでしまったと思いました。けれども、その時には遅すぎたのです。 七月二五日(金)  イザヤ五五1〜5  神さまの恵みはただです。かわいている人、飢えている人、だれでもそれを求める人には豊かに与えられ、その人を生かしていきます。ただし、タダということは価値がないということではありません。安っぽいと言うことでもありません。あまりにも高価なのです。 七月二六日(土)  イザヤ五五6〜13  神さまの恵み・祝福は私たちの考えをはるかに超えたものです。ただ、それをいただくのには時があります。遅すぎると言うことにならないように、「主にお会いすることのできるうちに」主を求め、神のところにいくことです。 聖書だ!ワクワク  リベカは何でヤコブに、お父さんがエサウに言っていたことを話して、ヤコブが祝福をいただくようにしたのでしょう。ヤコブが好きだったから? それ以上に、自分のおなかの中に二人がいた時に、神さまが話しておられた言葉が忘れられなかったのかもしれないね。創世記二五23をもう一度読んでみよう。ただ、そのやり方はほめられたものではありません。お兄さんはあとでカンカンになって怒ります。殺したいほど憎みます。兄弟で憎み合うのは悲しいことです。 七月二七日(日)  創世記二七1〜17  イサクはもうすぐ自分は死ぬかもしれないと思います。だとしたら、やり残していることがあります。それは一番上のお兄ちゃんのために、自分のお父さんから受け継がれてきている神さまの祝福がお兄ちゃんに注がれるようにお祈りすることでした。 七月二八日(月)  創世記二七18〜29  ヤコブはお父さんをだますことに成功します。すごくドキドキしたでしょうね。バレたらどうしようと思ったでしょうね。「お前は本当にエサウだね」と聞かれて、うそをついて祝福されてうれしかったかなあ。 七月二九日(火)  創世記二七30〜40  エサウは遅れて帰ってきます。弟がお父さんをだましたことを聞いてカンカンです。それでも自分も祝福のお祈りをしてもらいたいと泣きました。でも遅すぎました。神さまのことをいつも第一に考えていなかったからです。 七月三十日(水)  1ペテロ三8〜9  「受け継ぐ」とは何かを受け取って、次の人に手渡すことです。あなたは神さまから何を受け取っているでしょうか。そして、あなたは誰に、その神さまの祝福を手渡していけばいいでしょうか。神さまに聞いてみましょう。 七月三一日(木)  詩篇四二1〜11  のどのかわいた鹿は水を求めて鳴くそうです。この詩篇の記者は私は、「あなたを」「いける神を」したい求めると言いました。「できれば」とかではなく、どうしても、神さまにお会いしないとやっていけない、死んでしまうという、切実な求めがあったのです。 八月一日(金)  ローマ九6〜18  神さまはアブラハムを選び、イサクを選ばれました。そして、イサクの二人の子のうち、ヤコブを選ばれたのでした。ヤコブがすばらしい人だったからではありません。そこには神さまの選びのご計画がありました。 八月二日(土)  エペソ二1〜10  「神の賜物」とは神さまのプレゼントということです。救いは神さまのプレゼントです。偉い人、できる人へのごほうびではありません。神さまが信じるあなたを愛してくださったものなのです。 聖書だ!ワクワク  お父さんをだまし、お兄さんを出し抜いてお父さんから祝福のお祈りをしてもらったヤコブでしたが、とうとう家にいられなくなります。ヤコブはさびしかったでしょうね。みんなは寂しい気持ちになったことがありますか? 誰も分かってくれない、誰も味方になってくれない・・・ひょっとしたら、それは私たちの失敗や弱さや、欠点や罪からきているかもしれません。でも、そんな時にも私たちといっしょにいてくださるお方がいらっしゃいます。 八月三日(日)  創世記二七41〜45  エサウはカンカンになって怒りました。殺したいほどヤコブを憎く思いました。「憎しみ」ってこわいよね。あなたの心の中には憎しみはないでしょうか。怒ること、カッとすることもあるでしょう。でもその怒りを神さまにおさめていただきましょう。 八月四日(月)  創世記二七46〜八9  ヤコブのことを心配したイサクとリベカはヤコブをおじさんのラバンのところに行かせることにしました。お父さんはヤコブのために祝福をお祈りして、ヤコブを送り出します。何でもおできになる力ある全能の神に祈るのです。 八月五日(火)  創世記二八10〜22  ヤコブはひとりぼっちでした。お父さんたちがお祈りしているのは知っていましたけれど、家から出てしまったら、もう神さまともお別れだ、と思ったかもしれません。でもその寂しい荒野でも神さまはヤコブと一緒にいてくださいました。 八月六日(水)  ヘブル十三1〜6  お金も大事です。でももっと大事なのは、あなたを決して離れず、あなたを捨てない、あなたの助け主がいてくださることです。このお方さえいてくださったら大丈夫です。 八月七日(木)  イザヤ四一10〜13  神さまは目に見えません。神さまは手でさわれません。耳で聞けません。でも神さまはあなたと一緒にいてくださいます。あなたの手を握っていてくださいます。御言を通してあなたに語っていてくださいます。 八月八日(金)  マタイ一18〜25  イエスさまはイザヤが預言したとおりに一人のおとめから生まれました。このお方こそがインマヌエル、神さまが私たちといっしょにいてくださるこということを、見える形で教えてくださったお方なのです。 八月九日(土)  マタイ二八16〜20  イエスさまが生まれた時もインマヌエル、天にお帰りになる時にも弟子たちにおっしゃったのは、「いつもあなたがたと共にいる」というメッセージでした。イエスさまはあなたともいつも一緒です。 聖書だ!ワクワク  ヤコブは自分の家を離れるのは始めただったでしょう。お父さん・お母さんともお別れでした。そしてそれから、ヤコブがお母さんのリベカに再会したという記事は聖書にはありません。たぶん、本当にこの世のお別れになってしまったのでしょう。ヤコブは遠い国にやってきました。初めておじさんとその家族に会いました。そして一緒に暮らし始めます。でも、ヤコブは後々、このラバンおじさんに大変な目にあわせられることになります。 八月十日(日)  創世記二九1〜14  神さまはヤコブと一緒にいてくださいました。お母さんの故郷の町にもたくさんの人がいたはずです。でも神さまはちゃんとヤコブをラバンおじさんの家に導いてくださいました。心細かったヤコブですから、どんなにうれしかったことでしょう。 八月十一日(月)  創世記二九15〜20  ヤコブはラバンおじさんの次女のラケルが大好きになりました。ラケルはとてもきれいで、かわいかったのです。ヤコブはラケルのために七年間働きます。ラケルと結婚できるかと思ったら、何でもありませんでした。 八月十二日(火)  創世記二九21〜30  とうとう結婚式の日が来ました。でもヤコブのところに来たのはラケルではなくお姉さんのレアでした。ラバンおじさんにだまされたのです。ヤコブはラケルのために、また七年間ただで働くことになってしまいます。 八月十三日(水)  創世記二九31〜35  ヤコブははっきり言ってレアは嫌いでした。でも、神さまはそんなレアのことも愛していてくださいました。そしてレアは次々にヤコブに四人の男の子を産みます。寂しかったレアですが、心から神さまを賛美したのでした。 八月十四日(木)  創世記三十1〜24  お姉さんにばかり子どもが生まれるのを見たラケルは悔しくてたまりません。お姉さんと子どもの数で戦います。子どもの数ではやはりレアの側の方が多かったのですが、神さまはついにラケルにもヨセフという男の子を与えてくださいました。 八月十五日(金)  創世記三十25〜43  ラバンおじさんのところで十四年。ヤコブはそろそろ自分の故郷に帰りたくなりました。でもなかなかおじさんはヤコブを放してくれません。でも神さまはヤコブと一緒にいてヤコブを祝福してくださいました。 八月十六日(土)  創世記三一1〜16  おじさんのところで二十年。おじさんもヤコブに冷たくなってきました。ヤコブが祝福されるのがおもしろくなかったのです。神さまはヤコブにお父さんのところに帰るようにおっしゃいます。 聖書だ!ワクワク  家に帰るのはいいのですが、でもヤコブの頭にはすぐにカンカンになって怒っていたエサウ兄さんのことが浮かんだことでしょう。仲直りできたらどんなにしあわせでしょう。「もう、いいよ」「怒っていないよ」と言ってもらえたらどんなにうれしいでしょう。もちろん、ヤコブは神さまが自分と一緒にいてくださること、自分をこれまでも祝福してくださったことをよく知っていました。でもやっぱり不安でした。ごめんなさいって言うのは本当に勇気がいるね。 八月十七日(日)  創世記三一17〜42  ヤコブはラバンおじさんには黙って家族と持ち物を全部持って、出発しました。ラバンに言ったら絶対に許してくれないでしょう。そのことを知ったラバンはヤコブを追いかけてきます。でも神さまがラバンを止めてくださいました。ヤコブは守られたのです。 八月十八日(月)  創世記三一43〜55  ラバンとヤコブは約束をします。ヤコブはラバンの娘たちを妻として大事にすること、そして、ヤコブもラバンも、お互いにお互いを大事にすることでした。ラバンはヤコブを祝福して帰っていきます。 八月十九日(火)  創世記三二1〜8  ヤコブは道を進んでいきます。その時に神の使いたちがヤコブに会います。ヤコブは神さまの軍隊に守られていたのです。けれども、そんなヤコブに届いたのはエサウが四百人を連れてやってくるということでした。ヤコブは心が不安でいっぱいです。みんなも不安で心がいっぱいになることあるかな。 八月二十日(水)  創世記三二9〜21  ヤコブは神さまにお祈りします。神さまの祝福の言葉にすがってお祈りするのでした。でもそれでも安心できなくて、プレゼント作戦をします。ヤコブはお祈りしてもまだ心配だったのです。 八月二一日(木)  創世記三二22〜32  ヤコブは夜一人、ヤボクの渡しに残って一人の人と組みうちをします。神さまに真剣勝負でお祈りしたのだろうと言われています。ヤコブは「祝福してくださらないならあなたを去らせません」としがみついたのでした。 八月二二日(金)  ヘブル十一1〜6  神さまはご自身を求める者に答えてくださいます。神さまの恵み、神さまの祝福、そのご真実にすがることが信仰なのです。そして、神さまはそんな私たちを喜んでくださいます。 八月二三日(土)  マタイ七7〜12  神さまは私たちを愛してくださっていますから、いつでも私たちによいものをくださいます。だから私たちは安心して、信じて、あきらめないで、疑わないで求めるのです。求め続けるのです。神さまは私たちの求めにも必ず答えてくださるからです。 聖書だ!ワクワク  ヤコブはどんなにドキドキしながらエサウと再会したことでしょう。でもヤボク川のほとりで、神さまに祝福の約束をいただいたヤコブは先頭にたってエサウ兄さんに近づきます。みんなはけんかしたことがありますか。口もきかなかった相手と仲直りしたことがありますか。どっちが先にあやまりましたか? 今、あの人は自分のこと怒っているだろうなあという誰かはいませんか。どうしたら仲直りできるだろうね。 八月二四日(日)  創世記三三1〜11  お兄さんのエサウは四百人を連れてやってきます。けれどもヤコブは家族の先頭に立ってお兄さんに近づいていきます。心配で心がいっぱいだったかもしれません。でも、お兄さんは走ってきてヤコブを迎えたのでした。二人は二十年ぶりの再会を泣いて喜びました。どれほどうれしかったでしょうか。 八月二五日(月)  創世記三三12〜20  エサウ兄さんはヤコブを道案内しながら一緒に道を行こうと言いますが、ヤコブはそれを遠慮します。そしてヤコブはセイルには行かず、スコテに家を建てて住むのでした。ヤコブはまだ神さまもエサウ兄さんも信じ切れなかったのでしょう。 八月二六日(火)  創世記三四1〜17  スコテの町で大変なことが起こります。ヤコブの娘のデナがシケムによって乱暴されてしまったのです。けれどもシケムはデナを本当にお嫁さんにしたいと思いました。しかし、ヤコブの子たちは恐ろしい考えをもっていました。 八月二七日(水)  創世記三四18〜31  シメオンとレビは怒ってとんでもないことをしてしました。シケムの町をだまして襲い、その町の男性を全部殺してしまいまったのです。人間は怒るととても怖いことを考えます。怖いことをやり始めます。 八月二八日(木)  創世記三五1〜8  ヤコブがまたピンチになっていた時、神さまがヤコブに語られました。神さまはベテルに行って、礼拝をささげるようにと求められたのです。ヤコブが二十年前にそこで、神さまに約束をしていたからです。 八月二九日(金)  創世記三五9〜15  神さまはヤコブに現れてヤボク川でもおっしゃっていたように、ヤコブに「イスラエル」という新しい名前を与えてくださいました。そして、アブラハム、イサクと結ばれた約束をイスラエルにも与えられたのです。 八月三十日(土)  創世記三五16〜29  ラケルに二人目の男の子が生まれました。ベニヤミンです。けれどもラケルはベニヤミンを産んで間もなく死んでしまいます。ヤコブのお父さんのイサクも死んでいきます。けれども祝福の約束は受け継がれていったのでした。 聖書だ!ワクワク  三七章からはヨセフの物語になります。とてもドキドキする物語です。一度いっぺんに五十章まで読んでみるのもいいと思います。アブラハム、イサク、ヤコブと一緒にいてくださった神さまは確かにヤコブの子のヨセフとも一緒にいてくださいました。そして、どんなピンチが襲ってきても、神さまはヨセフを守られます。いやなことがいろいろ続くと、神さまは本当に一緒にいてくださるのだろうかと思いたくなりますよね。でも、神さまはあなたともいつも一緒にいてくださいます。 八月三一日(日)  創世記三七1〜11  ヨセフは二つの不思議な夢でした。でもその夢の意味はとてもわかりやすいものでした。それはヨセフが偉くなって、兄弟たちはそのヨセフに仕えるというものでした。兄弟は怒りましたが、神さまにはちゃんとご計画があったのです。 九月一日(月)  創世記三七12〜24  ヨセフはお父さんに頼まれて、お兄さんのところに行きます。でも、お兄さんたちはだれも見ていないからとヨセフを捕まえて、穴の中に投げ入れてしまいます。憎しみって怖いですね。でも神さまはちゃんと見ておられました。 九月二日(火)  創世記三七25〜36  お兄さんたちはヨセフをエジプトに行く商人に売ってしまいました。そして、ヨセフの着物を動物の血に浸し、ヨセフは死んだかもしれない、と嘘をつきます。お父さんは深く悲しみます。お兄さんたちにはお父さんの悲しみが分からなかったのです。 九月三日(水)  1ヨハネ三1〜12  神さまはその大きな愛で私たちを愛してくださいました。その愛によって私たちは神の子にされました。そして神さまは今度は私たちが互いに愛し合うことを求めておられます。 九月四日(木)  1ヨハネ三13〜24  イエスさまは私たちを愛して、私たちのために命を捨ててくださいました。だから、私たちも兄弟のために、あなたのすぐそばにいる友だちに、いじわるをするのではなく、命を捨てるほどに愛するのです。 九月五日(金)  1ヨハネ四1〜12  神さまの愛は、神さまがイエスさまをこの世に送り、私たちを生きるようにしてくださったことで分かります。そして、私たちがお互いに愛し合う時に、神さまの愛がもっと分かるようになるのです。 九月六日(土)  1ヨハネ四13〜21  神さまは私たちを愛し、私たちがイエスさまを信じる時に、私たちのうちにいてくださいます。愛する人・愛されている人はびくびくすることはありません。そして、目に見えない神さまを愛する人は、目に見える誰かのことも愛せるはずなのです。 聖書だ!ワクワク  子どもの時には子どもにしか分からないいろいろなことがありますよね。でも、どんな時にも変わらない確かなことがあります。それはいつでも神さまがあなたのことを愛していてくださっているということ、そして、目には見えないけれど、その神さまがあなたといつも一緒にいてくださるということです。もちろん、神さまが一緒にいてくださるということは、何でも私たちの思い通りのことが起こると言うことではありません。いやだなあとか、何で?と思うこともあるでしょう。でも神さまは一緒にいてくださるのです。 九月七日(日)  創世記三九1〜6  まさかお兄さんがこんなことをするとは思っていなかったヨセフは泣いたと思います。怖かったと思います。きっと不安だったでしょう。でも神さまはヨセフに恵みを与えてくださいました。 九月八日(月)  創世記三九6〜18  ポテパルの奥さんはヨセフを誘惑します。きっと奥さんはきれいな人だったでしょう。でもヨセフは誘惑に負けませんでした。ヨセフは神さまの前を歩んでいたからです。 九月九日(火)  1ペテロ五8〜11  悪魔は私たちを神さまに背かせ、自分の思い通りにしようといつも狙っています。どんなに悪魔があなたをこわがらせても、負けてはいけません。信仰を持って立ち向かうのです。私たちと一緒にいて私たちを支えてくださるお方がおられるからです。 九月十日(水)  ヘブル十二1〜4  罪が私たちを誘ってくる時、私たちは案外、戦う前から負けてしまいます。それは決して楽な戦いではないでしょう。けれども、私たちと同じように誘惑を経験してくださり、でも勝利してくださったイエスさまを仰ぐのです。 九月十一日(木)  ヘブル十二5〜11  私たちの歩みの中にいろいろな試練、苦しいこと・いやなこともあるかもしれません。でも神さまは知っておられます。神さまは失敗しているのではありません。神さまは神さまの子のあなたをきよくするために、訓練しておられるのです。 九月十二日(金)  詩篇一一九9〜16  男の子が女の子に、女の子が男の子に興味をもったり、好きになるのは自然なことです。でも悪魔にまけないで、お互いにお互いを大切にするためには、御言の力が必要です。 九月十三日(土)  1ヨハネ五1〜5  ヨハネがここで「世」と言ったのは、神さまに背く悪魔に支配された力のことです。この世の力がどんなに強かったとしても、私たちは恐れる必要はありません。イエスを神の子と信じ、このお方に頼る人は世に勝つのです。 聖書だ!ワクワク  神さまは本当にヨセフと一緒におられたのでしょうか。一緒におられたならどうして、兄弟に売られてしまったのでしょうか。ポテパルの奥さんにひどい目にあわされないといけなかったのでしょうか。牢屋に入れられなければならなかったのでしょうか。私たちはヨセフの話がどうなっているのか知っているかもしれません。でも、まだヨセフには分かりませんでした。でもヨセフは神さまに信頼し、その時、その時に真実に生きていきました。あなたが今、「真実」に生きるとはどういうことでしょうか。 九月十四日(日)  創世記三九19〜23  ヨセフはポテパルの奥さんのうらみをかってひどい目にあいます。ヨセフは暗い牢屋に入れられてしまいます。けれども、そこでも、主はヨセフと共におられました。牢屋の中でも主はヨセフを祝福してくださったのです。 九月十五日(月)  創世記四十1〜8  本当はヨセフも苦しかったし、悩みもあっただろうし、泣きたいくらいにつらいこともあったはずです。でもヨセフは牢屋に入ってきた人たちのことを心配し、その人たちのお世話をしてあげました。ヨセフはそんな中でも神さまを信じていました。 九月十六日(火)  創世記四十9〜23  給仕役と料理役はそれぞれ自分の見た夢のことをヨセフに話しました。ヨセフは二人の夢を説明してあげました。ヨセフが言ったとおりのことが二人に起こりました。ヨセフは早く自由になりたかったのですが、神さまは別のことを考えておられました。 九月十七日(水)  ヨシュア一1〜9  モーセが死んで、ヨシュアがリーダーになりました。でもヨシュアにも心配がたくさんあったでしょう。でも神さまは「恐れるな」とおっしゃいました。神さまが一緒にいてくださるからです。 九月十八日(木)  詩篇二三1〜6  ダビデは主は私の牧者(羊飼い)と言いました。神さまがいつも一緒にいて、自分を守り、導いてくださるから、どんな大変な時にも何にも心配いらないと言うことをダビデは知っていたのです。 九月十九日(金)  ゼパニヤ三16〜17 神さまは私たちといっしょにいてくださいます。そして私たちといっしょにいてくださる神さまは本当に強いお方です。どんな時にも変わらずに、私たちを愛し、喜んでくださるお方です。 九月二十日(土)  1コリント十13 私たちはいやなことがあると、神さまが信じられなくなったり、嫌いになったりすることがあります。でも神さまはいつでも真実です。神さまがあなたを愛していてくださることは変わることがありません。そして、神さまはちゃんと耐えられるように力と逃れる道を備えてくてくださるのです。 聖書だ!ワクワク  ヨセフは、お父さんに愛されて家で幸せに暮らしていたのに、突然、とんでもないことが起こってきて、お兄さんに殺されかけて、エジプトに奴隷に売られて、正直に生きていたのにポテパルの奥さんにうそをつかれて、牢屋に入れられて、そして、給仕役の長を助けてあげたのに、二年間も忘れられて・・・。こんなひどい話ってあるでしょうか。でも、神さまはヨセフと一緒にいて、ヨセフを導いてくださったのです。いよいよ大逆転が起こります。 九月二一日(日)  創世記四一1〜13  エジプトのパロ王様は夢を見ました。神さまがパロに見させられたのです。パロはとても不気味な夢なだったので、心配でたまりませんでした。でもだれも王様を助けることはできません。そんな時、給仕役の長はヨセフを思い出したのでした。 九月二二日(月)  創世記四一14〜36  牢屋にいたヨセフが呼び出されます。パロはヨセフに自分の見た夢を話して、夢の意味を尋ねます。だれもその意味を説明できる人はいませんでした。でも、ヨセフにはその意味が分かりました。神さまがヨセフに教えてくださったのです。 九月二三日(火)  創世記四一37〜45  エジプトの王様はエジプトを救うために、ヨセフをエジプト全国のつかさにします。今で言うと総理大臣です。昨日まで暗い牢屋にいたヨセフがエジプトの王様になったのです。 九月二四日(水)  創世記四一46〜57  ヨセフが説明したとおり七年間の大豊作です。でもエジプトでは食べ物を無駄にしないで、ちゃんと蓄えておきました。だからききんが来ても大丈夫だったのです。ヨセフにまた幸せな日々が帰って来ました。 九月二五日(木)  ローマ八26〜27  私たちにはいろいろな弱さがあります。でも一番の弱さが何かと言ったら、祈ることができないという弱さです。祈れたらいつでも大丈夫なのです。でも御霊はそんな弱い私たちを助け、私たちのためにお祈りしていてくださいます。 九月二六日(金)  ローマ八28〜30  万事が益となるとは、いいことも悪いことも、うれしいことも悲しいことも全部が私たちのために良いことになってしまうということです。神さまが私たちと一緒にいて、私たちと一緒に働いてくださるからです。 九月二七日(土)  ローマ八31〜39 ひょっとしたら、私たちのことを憎み、私たちをダメにしようとするような悪の力もあるかもしれません。でも神さまの愛が私たちと一緒におられるから、神さまが味方だから何も心配いりません。神さまは強いお方だからです。 聖書だ!ワクワク  ヨセフはエジプトの総理大臣になって、王様の紹介してくれた女の人と結婚して、二人の男の子も生まれました。でもまだやり残している大事なことがありました。大事な大事なこと・・・それは兄さんたちと仲直りすること。でも、そんなことできるのでしょうか。しかし、神さまはちゃんとヨセフと兄弟たちのために準備していてくださったのです。さあヨセフの前に兄弟が現れます。 九月二八日(日)  創世記四二1〜25  ヨセフは兄弟が来た時に、すぐにお兄さんたちだと分かりました。でもヨセフはすぐには自分のことを明かしませんた。お兄さんたちが昔と変わったか、変わっていないか知りたかったのかもしれません。でも、兄弟たちがヨセフにひどいことをしたと後悔し、苦しんでいることを知った時、ヨセフは思いがつのって泣いたのでした。 九月二九日(月)  創世記四二26〜38  ヨセフはお兄さんたちの袋に食べ物をたくさん入れて、こっそり、お兄さんたちの持ってきたお金を返し、家に帰らせます。家族が死んでしまったら大変です。ヨセフは家族のことを本当に心配していたのです。 九月三十日(火)  創世記四三1〜15  ヨセフは今度はベニヤミンを連れてくるようにと言いました。でもヤコブはなかなかそのことを許しません。ベニヤミンのことがとても心配だったのです。でもユダはベニヤミンのことを責任持つと約束するのでした。 十月一日(水)  創世記四三16〜34  ベニヤミンはヨセフと同じお母さんから生まれたヨセフのたった一人の弟です。ヨセフはベニヤミンを見てどんなにうれしかったことでしょう。ヨセフは兄弟たちと一緒に心から食事を楽しんだことでしょう。 十月二日(木)  創世記四四1〜34  ヨセフは弟ベニヤミンを捕まえて、兄弟たちがベニヤミンにどうするかを見ます。ベニヤミンが大変なことになった時、ユダはヨセフの前に近づいて、ベニヤミンを自由にして自分を奴隷にしてほしいと心からお願いします。ユダは心の優しい人に変わっていたのです。 十月三日(金)  創世記四五1〜15  ついにヨセフは涙をこらえきれなくなって、自分のことを兄弟に話します。ヨセフはもう兄弟のことを恨んではいませんでした。お兄さんたちのしたことは悪いことでしたが、神さまが深いご計画の中でこのことをなさったことを知っていたからです。 十月四日(土)  創世記四五16〜28  ヨセフが生きている!これはヤコブにとっても何と大きなニュースだったことでしょう。神さまは信じられないようなすごいことをしてくださったのです。