聖書だ! ワクワク

 今、お話を聞いているアブラムさんはあとで「信仰の父」と呼ばれるようになり、今のアラブ人もイスラエル人もみんなこのアブラムの子孫になってつながっています。その人は小さく弱かったとしても、神さまはその信じる一人の人を通して大きなことをしてくださるのです。
 みんながイエスさまを信じて生きるということも大きなことです。私たちは有名ではないかもしれません。でも私が神さまを信じて生きるかどうかが、世界に、その歴史に大きな変化をもたらすのです。


□ 六月一日(日) 創世記十五1〜6
 アブラムには子どもがいませんでした。神さまはアブラムを夜、外に連れ出されます。星を数えてみなさい、とおっしゃる神さまをアブラムは信じます。これを全部造られた神さまなら、本当にそのことをしてくださると信じたのです。
□ 六月二日(月) 創世記十五7〜21
 神さまはアブラムにもう一度約束してくださいました。アブラムに子どもが生まれて、増えていくこと、そしてやがて今アブラムがいる場所をアブラムの子孫のものとしてくださることです。苦しいこと・大変なこともあるけれど、神さまの約束は変わらないのです。
□ 六月三日(火) ローマ三9〜20
 まじめな人はいるでしょう。がんばる人もいるでしょう。優秀な人・頭がいい人もいるでしょう。でも神さまの目から見たらみんな罪人で、正しい人は一人もいないのです。あなたには自分の罪が分かりますか?
□ 六月四日(水) ローマ三21〜31
 何かをしたから、何かができたから、義(正しいこと)と認められるのではありません。どこの国の人であっても、イエスさまを信じる人が、その人の力やまじめさではなく、神さまの恵みによって義とされるのです。
□ 六月五日(木) ローマ四1〜8
 アブラハムの場合にもそうでした。アブラハムは一生懸命がんばったから義とみとめられたのではありません。神さまを信じたから義と認められたのです。神さまは信じる人を喜び、救ってくださるのです。
□ 六月六日(金) ローマ四9〜12
 イスラエルの人たちは割礼という特別の儀式を受けていました。そして、割礼を受けていない人は救われないと言う人たちもいました。でも割礼を受けていなくても、救うと約束してくださった神さまを信じる人は義とされるのです。
□ 六月七日(土) ローマ四13〜25
 アブラムもサライもおじいさんとおばあさんになっていました。二人に子どもが生まれるわけがありません。でも神さまは私たちにいのちを与え、何もないところからどんなものでも造り出すことのできるお方です。アブラムはこのお方を信じたのです。