聖書だ! ワクワク

 「信じる」って、分かりにくいことばですね。でも、本当はわたしたちがいつもふつうにしていることです。たとえば、みんなはお父さんやお母さんを信じています。そうでなければ、安心してお家でご飯を食べることができないでしょう。椅子を信じています。だから何も心配しないで腰掛けます。もちろん、私たちはそれを普段は考えません。あたりまえと思っていますから。でも、信じることが難しいこともありますね。


□ 六月八日(日) 創世記十六1〜6
 アブラムとサライは神さまの約束を待つのがだんだんつらくなってきました。待ちきれなくなってきました。焦ってきました。そこで、自分たちの考え・やり方で子どもを持とうと、女奴隷のハガルにアブラムの子どもを生ませようとします。でも、このことはアブラムたちの家の問題の元になります。
□ 六月九日(月) 創世記十六7〜16
 お腹の大きなハガルはサライにいじめられて逃げていきます。でもそんなサライに神さまは出会ってくださいました。神さまはハガルの苦しみも分かっていてくださったのです。サライは神さまのおっしゃるようにアブラムとサライのところに戻ります。
□ 六月十日(火) 詩篇三七1〜6
 5節にある「ゆだねよ」とは「神さまにおまかせしなさい」ということです。神さまを信じて、信頼し、おまかせするときに、神さまはすばらしいことをしてくださるのです。
□ 六月十一日(水) 箴言三1〜12
 私たちは自分の計画や、考えでいろいろなことをやろうとします。でも神さまは、私たちよりももっと深い考えを持ち、私たちの人生にすばらしいことをしようとしておられるのです。私たちはこの神さまを信じていて大丈夫なのです。信じていることが大切なのです。
□ 六月十二日(木) 箴言十六1〜9
 私たちはよく自分が一番正しいと思います。自分は間違っていないと思います。自分の思うようにしてくれないのは困ると思います。でもそれは自分勝手な考えです。神さまに祈り、神さまのなさること、そのやり方に従っていくときに、一番うまくいくのです。
□ 六月十三日(金) ピリピ四6〜7
 いろいろな願いがあり、なかなかうまくいかなくても、あまり心配しないで、まず神さまに感謝しましょう。そして、あなたの心にある願いをお祈りして神さまにお話ししましょう。神さまは私たちの心の中から心配を取り除き、神さまの平安を満たしてくださいます。
□ 六月十四日(土) エペソ三20〜21
 神さまは力のある方です。私たちが何かを求めたり、こうなったらいいなあと願うよりも、また自分の力ややり方でいろいろするよりももっともっとよいことを私たちの生涯の中にしてくださるのです。