聖書だ! ワクワク

 聖書で「信じる」と言うときには、それは「こんな風なことが起きると思いこむ」ことではなくて、私たちに約束を与えられる神さまを信用することです。他の人が言っていたとしたら危ないかもしれない。でも、この神さまのおっしゃることだったら、大丈夫だと、このお方について行くことなのです。アブラムもある時は、神さまを信用できなくなったでしょう。でも、もう一度、どんなことでもおできになる力のあるお方を見つめて立ち上がるのです。


□ 六月十五日(日) 創世記十七1〜2
 アブラムは自分のやり方で子どもをもうけてから、イシマエルはかわいかったでしょうけれど、神さまとはなんとなくぎくしゃくしていたのかもしれません。でも、十三年がたったときに、神さまの方からアブラムに近づいてくださいました。
□ 六月十六日(月) 創世記十七3〜8
 神さまはアブラムに新しい名前を与えてくださいました。アブラハム、それは神さまがアブラムを新しくしてくださるというしるしでもありました。神さまはもう一度、アブラハムに子どもが生まれて、カナンの地が子孫に与えられることを約束してくださいました。
□ 六月十七日(火) 創世記十七9〜14
 神さまはアブラハムに、これからずっと男の子は割礼という特別な儀式を受けるように命じられました。それはイスラエルが神さまのものであるしるしであり、他の民と区別するものだったのです。
□ 六月十八日(水) 創世記十七15〜21
 神さまはサライにもサラという名前を与え、来年の春、アブラハムとサラの間に赤ちゃんをくださると約束してくださったのでした。それはとても信じられないような、笑ってしまうようなことでした。でも神さまは本気でした。本当にそのことをして下さったのです。
□ 六月十九日(木) 創世記十七22〜27
 アブラハムは神さまに言われたように、まず自分と子どもと僕たち、すべてアブラハムの家の男の人たちに割礼という特別な儀式をしました。アブラハムは神さまのお声を聞いたその日のうちに神さまに従ったのです。
□ 六月二十日(金) 創世記十八1〜8
 アブラハムのお家に三人のお客さんが来ました。アブラハムは精一杯、ごちそうをし、もてなします。でも実は二人は御使いであり、もう一人は主ご自身だったのです。もしイエスさまがお客さんとしてこられたらどうするでしょうね。
□ 六月二一日(土) 創世記十八9〜15
 確かにサラはもうすっかりおばあちゃんでした。でも、神さまはそのサラに赤ちゃんが生まれるとおっしゃるのです。サラは心の中で笑います。あり得ない話だからです。でも神さまはサラの心を見ておられました。神さまが私の心をごらんになったらどうでしょうね。