聖書だ!ワクワク  今日からマルコによる福音書を読みます。マルコはイエスさまの十二人の一人ではありませんでしたけれど、イエスさまに会っていましたし、お弟子さんのペテロからいろいろな話を聞きながらこの福音書を書いただろうと言われています。マルコはみんなにイエスさまのなかったこと、おしゃったことをどうしても知ってほしいと思ったのでしょうね。 10月5日(日)  マルコ六45〜56  イエスさまはお弟子さんたちを舟に乗らせて送り出し、向こう岸に行かせます。イエスさまは一人残って何をしておられたでしょうね。海の上では嵐になりました。向こうに行きたいのに反対の風が吹いて前に進めないし、波もひどくなっていきます。でもそんな困っている弟子たちに、イエスさまは「わたしだ」と近づいてくださいました。 10月6日(月)  マルコ一1〜11  バプテスマのヨハネはみんなに「救い主が来られるから準備をしなさい」と呼びかけます。みんなにどんな準備をするように言ったのでしょうね。あなたはイエスさまにお会いする準備ができていますか。 10月7日(火)  マルコ一12〜20  イエスさまはガリラヤ湖で魚をとっていた男たちに「わたしについて来なさい」とおっしゃいました。イエスさまはその男たちを何にしてくださるのでしょう。あなたならイエスさまについて行きますか。 10月8日(水)  マルコ一21〜28  イエスさまはカペナウムの町の会堂に行かれました。そこに悪い霊につかれた男の人がいました。でもイエスさまが「出て行け」とおっしゃると、悪霊はその人から出て行ってしまいました。けがれた霊でもイエスさまの言葉を聞かないわけにはいかなかったのです。 10月9日(木)  マルコ一29〜39  イエスさまは病気だったペテロの奥さんのお母さんも直してくれました。イエスさまはどんな病気でも直してくださいましたから、たちまち人気者です。でもイエスさまは人気者になりたかったわけではありませんでした。 10月10日(金)  マルコ一40〜45 ある町でイエスさまのところに重い皮膚病の人がやって来ました。誰も近づいてくれないこの人にイエスさまは手を伸ばしてさわり、「きよくなれ」と言ってきよめてくださいました。 10月11日(土)  マルコ二1〜12  ひとりの体の動かない人を四人の友だちがねどこごとイエスさまのところに運んできました。イエスさまはこの人の病気のことも直してくださいましたけれど、もっと心配していたのはこの人の心のことでした。イエスさまはこの人に罪のゆるしをくださいました。 聖書だ!ワクワク  私たちの顔が汚れていたら洗います。体が泥だらけになったら、お風呂できれいにします。でももっと大事なのは私たちの心がきれいかということであり、神さまのお心が分かっているということです。  あなたの心はきれいですか。体がきたないのは見れば分かります。顔は鏡を見るか、他の人に教えてもらえば汚れているのが分かります。心がきれいかどうかはどうしたら分かりますか。 10月12日(日)  マルコ七1〜23  イスラエルの人たちは手を洗うことは一生けんめいでした。器も熱心に洗いました。聖書の勉強もしました。礼拝もしました。でも、神さまはそんなイスラエルの人たちを喜んでおられませんでした。みんなの心が神さまから遠く離れ、神の言、そして、そのことをおっしゃった神さまの心が忘れられていたからです。 10月13日(月)  マルコ二13〜17  取税人はお金にきたないと言われて、みんなからきらわれていました。でもイエスさまは、そんな取税人のマタイを弟子にして、みんなから罪人と言われていた人たちの友だちになってくださいました。 10月14日(火)  マルコ二18〜28  イエスさまの時代、一生けんめい神さまのためにがんばったら神さまは救ってくださるとかんちがいしている人たちもたくさんいました。でもイエスさまが来て新しい時代が始まったら、新しい考え方・生き方が必要でした。 10月15日(水)  マルコ三1〜6 安息日とは神さまを礼拝するための特別な日です。何もしてはだめ、とピリピリしている人たちに、大事なのは何もしないことではなくて、何をするかということだとイエスさまはおっしゃいました。そして手の動かない人を直してくださいました。 10月16日(木)  マルコ三7〜19  イエスさまは特別なお弟子さん、十二人を選ばれました。勉強のできる人たち、お金のある人たち、みんなから尊敬される立派な人たち、有名人・・・はいませんでした。でもイエスさまは適当ではなく、祈って、考えて、特別な人たちとして選ばれたのです。 10月17日(金)  マルコ三20〜30  イエスさまが悪霊を追い出されるのを見て、イエスさまは悪霊の親分と仲間なんだと悪口を言う人たちもいました。どうしてもイエスさまを信じたくなかったのです。大切なのはそのままイエスさまを信じることです。 10月18日(土)  マルコ三31〜34  イエスさまのところに家族がやってきました。でもイエスさまは自分の周りにいる人たち、イエスさまと一緒にいて、神さまの願っておられることを行う人たちを家族だとおっしゃいました。 聖書だ!ワクワク  イエスさまが人々を教えられたのは三十歳からの二〜三年だったと言われています。そして、その短い期間、イエスさまはほとんどをイスラエルの中で過ごされました。まず、神さまの約束を与えられていたイスラエルの人たちに神様のことを知ってほしい、救い主として来た私を信じてほしいと思われたのです。けれどもイエスさまに信仰をほめていただいたのは、イスラエルの人ではないことが多かったようです。 10月19日(日)  マルコ七24〜30  このスロ・フェニキヤというのはもともとは海の貿易で栄えたとても豊かな所でした。人々はいろいろな神様を造って、それを拝んでいました。でもこのお母さんは、子どもが悪霊にとりつかれてしまったときに、そんな人間が造った神さまではなく、イエスさまにすがろうとしたのです。 10月20日(月)  マルコ四1〜20  昔は種を大きな袋に入れて、手で握ってはパーッとまいていきました。種はいろいろな所に落ちました。そして、どこに落ちたかでその結果は全く違ったものになりました。種は御言です。御言には命があって、しっかり受け止めると豊かに実を結ぶのです。 10月21日(火)  マルコ四21〜25  どう聞くかということと、何を聞くかということ、両方が大切です。しっかり、神の言を聞きましょう。それは教会でお話を聞くこと、家で聖書を毎日読むことです。 10月22日(水)  マルコ四26〜34  からし種というのは小さな小さな種です。でも大きく育ちます。神の国も小さく始まっても、大きく育っていくのです。日本では教会も小さくて、クリスチャンもまだ少ないかもしれません。でも失望しないでください。神の国は育っていくのです。 10月23日(木)  マルコ四35〜41  イエスさまと弟子たちは舟で向こう岸に向かいました。ところがそこに大嵐がやってきます。弟子たちはこわくなってねておられたイエスさまを起して助けを求めます。でも本当はイエスさまが一緒だったら何もこわがる必要はなかったのです。 10月24日(金)  マルコ五1〜20  ゲラサ人の地に墓場に住んでいる乱暴者がいました。実はこの男の人の心の中には悪魔がたくさん住みついていたのです。イエスさまはこの人を助けてくださいました。この人は正気になってイエスさまのことをみんなに伝えました。 10月25日(土)  マルコ五21〜43  イエスさまの所にはいろいろな人たちがやって来ます。娘が死にそうになっていたヤイロ、そして十二年間も病気で苦しんでいた女の人。イエスさまは彼らの信仰を喜んで助けてくださいました。 聖書だ!ワクワク  耳が聞こえない、目が見えない、体が動かない・・・それも確かに大変なことです。でももっと大変なのは心の目が見えなかったり、心の耳が聞こえないことです。イエスさまは体も治してくださいましたけれど、イエスさまは心のことをもっと心配していてくださいます。耳が聞こえなくても元気に生きていくことはできるけれど、心の耳が聞こえなくて神様の声が分からなかったら、神様のことが分からなくなってしまうからです。 10月26日(日)  マルコ七31〜37  耳が聞こえないとしゃべることはとても難しいです。イエスさまはこの耳も聞こえない、口もきけないこの人に「エパタ」とおっしゃいました。耳が聞こえるようになってはっきりと話し始めました。イエスさまのなさることは何もかもすばらしいのです。 10月27日(月)  マルコ六1〜13  イエスさまの故郷はナザレです。でもナザレの人たちはなかなかイエスさまを救い主と信じることはできませんでした。信じない人たちのところではイエスさまも力を示すことはできませんでした。 10月28日(火)  マルコ六14〜29  バプテスマのヨハネは牢屋に入れられてしまいました。王様に、「王さまのしていることはよくないことです」と言ってしまったからです。そしてとうとう首を切られて死んでしまいます。正しいことを言うことは勇気がいります。 10月29日(水)  マルコ六30〜44  イエスさまは寂しいところに行かれました。でも、みんなはイエスさまのお話をもっと聞きたくて集まってきます。そして、集まった大勢の人たちに、イエスさまはパンと魚を配って満腹させてくださいました。イエスさまが祝福するとすごいことが起こります。 10月30日(木)  マルコ八1〜13  ある日、またイエスさまのところに大勢の人たちが集まってきました。三日もずっとイエスさまのところにいて、食べるものがないのにもっとお話を聞いていたかったのです。イエスさまはこの人たちにも食べるものを用意し、満腹させてくださいました。 10月31日(金)  マルコ八14〜26  パン種とはイーストのことです。イーストはパンを造る材料で、使う量は少しでも、パンをふくらませる力があります。パリサイ人やサドカイ人の教えを気をつけないと、全体を変えてしまうと、イエスさまは警告されたのです。 11月1日(土)  マルコ八27〜九1  イエスさまは「キリスト」、旧約聖書から約束されていた救い主、ということが分かった弟子たちにイエスさまは十字架の話をなさいます。救いは十字架と復活によって私たちのものになるからです。 聖書だ!ワクワク  今年も十一月になりました。秋も深まってきました。もう冬になってしまった地方もあるかもしれませんね。クリスマスの準備もそろそろ始まることでしょう。教会を休まないでがんばろうね。  聖書の方もみんなが一緒に読んでいてくれるのがとてもうれしいです。聖書の御言は私たちの心にたくさん栄養をくれますし、私たちを強くしてくれます。たくさん読んで、心にたくわえよう。 11月2日(日)  マルコ九2〜13  弟子たちがイエスさまが救い主ということが分かった時、イエスさまは弟子たちの中からペテロとヨハネとヤコブを連れて山に登られました。イエスさまの姿が変わり、真っ白く輝きます。イエスさまは本当に神の子でした。イエスさまのところにエリヤとモーセがやって来ます。これから起こることについて話し合っていたのでしょう。 11月3日(月)  2ペテロ一12〜18  ペテロは年をとっても、あの山の上でイエスさまの姿が白く輝いた時のことを忘れませんでした。イエスさまはまた栄光のお姿で、天から帰って来られるということをペテロはみんなに確信をもって伝えたのです。 11月4日(火)  使徒二六9〜18  パウロはイエスさまも教会も大嫌いで、ダマスコの町へもイエスさまを信じている人たちを捕まえるために行ったのです。でもその途中、パウロは天からの光に照らされてイエスさまの声を聞きました。パウロはイエスさまが救い主であることが分かったのです。 11月5日(水)  黙示録二一22〜27  天国では太陽も月もいりません。太陽がなくても明るいのです。神さまの栄光で都は明るく、イエスさまの輝きが都のあかりなのです。ですから天国には夜はありません。そこはいつも明るいのです。 11月6日(木)  黙示録二二1〜5  天国は神さまの輝きでいつも照らされています。その都にはきれいな川が流れ、川の両側にはいのちの木が生えています。そこはすばらしいものだらけです。そして、そこに行ったらいつも神さまの輝くお顔を見るのです。 11月7日(金)  ピリピ三17〜21  イエスさまが輝く栄光のお姿になられただけではありません。イエスさまは神様なのですから当たり前です。でも、もう一度イエスさまが来られるとき、イエスさまはて下さるのです。 11月8日(土)  1コリント十五50〜58  わたしたちが今、持っている体はだんだん年を取ります。くたびれやすくなったり、病気になったりするかもしれません。けれども、終わりのラッパが鳴り響くときに、わたしたちは古くならない、死なない体を与えられてよみがえるのです。 聖書だ!ワクワク  あなたはイエスさまを信じていますか?信じるってどういうことですか?信じるとは、神さまに信頼することです。自分の罪深さや悪いことを正直に認めて、「神さま、救ってください」とお祈りすることです。自分で強がったり、自分の力で何とかしようとがんばることではありません。そして、神さまは神さまを信じてすがる人を、本当に救ってくださいます。 11月9日(日)  マルコ九14〜29  山の上ですばらしいイエスさまの姿を見て、そして山から下りてくると、そこでは大変なことになっていました。お父さんは、「できますれば、助けてください」と言いました。でも、知ってください。イエスさまにはいつでも「できる」のです。「信じます。不信仰なわたしをお助けください」と答えたお父さんとその子どもをイエスさまは救ってくださいました。 11月10日(月)  マルコ九30〜37  イエスさまはお弟子さんたちに、また自分が死ぬこと、よみがえることを話しました。でもお弟子さんたちはまた誰が一番偉いかと話し合っていました。一番偉いのはみんなに仕える人みんなを受け入れる人だとイエスさまはおっしゃいました。 11月11日(火)  マルコ九38〜41  神さまはわたしたちのためにもたくさんの味方を用意していてくださいます。そして、イエスさまの弟子たちの一人に小さな愛の業でもしてくれる人をイエスさまは絶対に忘れません。 11月12日(水)  マルコ九42〜50  人がイエスさまを信じるのを邪魔するのはとても恐ろしいことです。自分ばかり天国に入ることを考えるのではなくて、弱く小さな人でもイエスさまを信じることができるように励ましてあげられるといいですね。 11月13日(木)  マルコ十1〜12  今は結婚しないでも一緒に住んだり、嫌いになったら別れたりと言うことが普通に起こります。でも神さまが願っておられるのは一人の男の人と、一人の女の人がひとつとなっていつまでも愛し合っていくことなのです。 11月14日(金)  ヨハネ十一38〜44  「もし信じるなら、神の栄光を見る」とイエスさまはおっしゃいました。ここで信じるとは、イエスさまを信じてイエスさまのお言葉の通りにすることでした。そして、信じたとき、本当にすばらしいことが起こったのです。 11月15日(土)  イザヤ三十15〜18  イスラエルの人たちは国がピンチになると心配になっていろいろな助けを求めました。でも神さまが願っておられたのは、強がったりあわてたりせず、ただ、落ち着いて、神さまだけを信じていくことでした。 聖書だ!ワクワク  イエスさまは子どもが大好きです。大人にならないとできないこともたくさんあるけれど、大人になっていろいろなことを経験し、いろいろなことができるようになるとなぜかなくなってしまうこと・できなくなってしまうこともいろいろあります。イエスさまは子どもの中にある宝を見ておられました。教会にも子どもがいるでしょう。みんなもそうだよね。そして、みんなはイエスさまの宝です。教会の宝です。 11月16日(日)  マルコ十13〜16  お弟子さんたちが子どもを追い払い、子どもを連れてきた人たちをしかりつけたとき、イエスさまはとても怒られました。イエスさまは子どもたちを愛しておられましたし、みんなのためにお祈りしたいと思っておられたからです。幼い子どもの素直な信仰が天国に入るにはどうしても必要です。 11月17日(月)  マタイ十八1〜5  天国でだれが偉いか、どころではありません。「心を入れかえて、幼な子のようにならないと天国に入れない」とイエスさまはおっしゃいました。疑ったり、じたばたしたりしないで、神さまが与えてくださる救いを感謝していただくことです。 11月18日(火)  マタイ十八6〜9  いろいろ悪いことをするのは、あなたの目ですか、手ですか、それとも口ですか。切って捨てていったら何も残らなくなってしまいますね。でも、罪との戦いはそれほど厳しいものです。今日もイエスさまに助けていただこうね。 11月19日(水)  マタイ十八10〜14  イエスさまにとっては小さな一人がとてもとても大切なのです。その一人が救われるためだったらどんなことでもする・・・イエスさまはそうして十字架にかかってくださったのです。 11月20日(木)  詩篇一三一1〜3  小さな子どもはお母さんのところにいたらとても安心しています。大きなことをするのもよいのですが、何かをするとかできるとかということよりもっとすばらしいのは、神さまに信頼することです。神さまを信じて安心することです。 11月21日(金)  詩篇八1〜9  小さな赤ちゃんはまだ何も言えません。でも赤ちゃんは神さまを賛美しています。私たちは大きくなっても、神さまの造られた世界の中ではとても小さい者です。でも神さまはこんな私たちをお心にとめていてくださいます。 11月22日(土)  1ペテロ二1〜2  赤ちゃんは悪口は言いません。悪いことは考えません。人を恨んだり、疑ったり、いじめたりもしません。ただ、お母さんに信頼して、おっぱいを飲んで大きくなります。「混じりけのない霊の乳」って何だろうね。 聖書だ!ワクワク  イエスさまの時代には一生懸命きまりを守っていれば神さまは喜んでくださると教えられていました。がんばって正しい生き方をしていたら永遠の命がいただけると考えられていました。ですから、聖書の先生たちは、自分はこんなに聖書を勉強して、こんなにまじめだから絶対天国にいけると思っていましたし、本当に私は行けるのかなあと自信のない人たちも大勢いました。「どうしたら、天国に行けるでしょう」ってみんなが聞かれたらどう答えるでしょうね。 11月23日(日)  マルコ十17〜22  イエスさまのところに来たこの人は小さいときから決まりは全部守っていました。でも、足りないって自分でも感じていました。イエスさまはこの人に何をしたらいいか教えてくださいました。いつの間にかお金の方が神さまよりも大切になってしまっていたのです。 11月24日(月)  マルコ十23〜31  お弟子さんたちはお金持ちは神さまから愛されているのだから天国にいけるはずだと思っていました。でもどんなにお金があっても天国には行けません。かえってお金がじゃまになることがあります。私たちを救ってくださるのは神さまだけなのです。 11月25日(火)  イザヤ九1〜7  神さまが苦しみと闇の地にも光をくださる。どのようにして?ひとりの男の子が生まれる。救い主が生まれる。すばらしいお方だ。そうイザヤは言います。「万軍の主の熱心がこれをなされる」。神さまは本気なのです。 11月26日(水)  ヘブル七25  「彼」とはイエスさまのことです。イエスさまはいつも生きておられます。そして私たちもためにお祈りしていてくださるのです。だから、イエスさまを信じてすがる人をいつも救うことができるのです。 11月27日(木)  詩篇一三六1〜9  「くすしきみわざ」とは神さまは私たちが想像もできないような不思議ですばらしいことをしてくださるということです。世界を造ってくださったのも神さまです。そのすごい神さまが私たちに恵みを与えてくださるのです。 11月28日(金)  詩篇一三六10〜26  今日のところでは、イスラエルをエジプトから救い出して約束の地を与えてくださった神さまに感謝しようと呼びかけられます。この神さまは私たちのことも御心にとめ、救ってくださったのです。神さまがしてくださったことを思い心から感謝しましょう。 11月29日(土)  ピリピ四10〜14  パウロはこの手紙を牢屋の中から書いています。でも、パウロは私はどんなことでもできると言いました。強がっているのではありません。私を強くしてくださる方がいてくださるからです。 聖書だ!ワクワク  この日曜日から教会ではアドベント(待降節)と言ってイエスさまのお生まれを待ち望む時になります。四回の日曜日を通してクリスマスの準備をします。  預言者ミカはイエスさまがお生まれになる七百年前に活躍しました。この時代、人々は表面的には神さまを礼拝していましたが、心は神さまから離れていました。礼拝してればいいんでしょ、と礼拝だけして、献げものだけささげて、形ばかりのお祈りだけして、そしてあとは好き放題していたのです。ミカはこの国に本当の救い主が必要であることを知っていました。 11月30日(日)  ミカ1章  イスラエルの人たちは偶像を拝んだり、自分の好き勝手なことをし、また罪を犯し続けていました。ミカはどんなにイスラエルが栄えていても、このままでは滅んでしまうことを知っていました。 12月1日(月)  ミカ2章  人々は本当のことを言う預言者が大嫌いでした。そして、嘘でもいいから、都合のいい話・楽しい話をしてくれる人が大好きでした。この国はバラバラにされてしまう。でも、ミカは神さまがもう一度、残りの民を集めてくださることを知っていました。 12月2日(火)  ミカ3章  国を治める人たちも、祭司たちも、預言者たちも頭の中はお金のことばかりで、「神さまがついているから大丈夫」と都合のよい話をしていました。でもミカは神さまの霊に満たされて、正しいことをみんなに話しました。 12月3日(水)  ミカ4章  ミカはイスラエルの人々が神さまに背き続けているのでこの国が滅んでいくのを知っています。でも同時に、神さまの言葉が回復され、世界中からみんながエルサレムに集まってくる幻を見たのでした。 12月4日(木)  ミカ5章  ミカはイスラエルがもう一度救われるためにはみんながまじめになったり、一生懸命にがんばることではなく、救い主が必要であることを知っていました。そしてミカはその救い主がベツレヘムに生まれることを教えられたのでした。 12月5日(金)  ミカ6章  神さまが求めておられたのは、みんなが悪いことを続けたままで、たくさんのささげものをすることではありませんでした。神さまはみんながへりくだって悔い改め、正しいことをし、神さまと共に歩むことを願っておられたのです。 12月6日(土)  ミカ7章 ミカは神さまを待ち望んでいます。イスラエルを救うことができるのは神さまだけだからです。救い主がおいでになるときに神さまは何をしようとしておられたのでしょうか。それは罪のゆるしというびっくりするようなことでした。 聖書だ!ワクワク  今週は系図の勉強をします。みんなの家には系図がありますか。みんなは系図を書いたことがありますか。名前がたくさん続くとめんどくさくなってしまいますね。でもこれはただの名簿ではありません。ここに名前がある人たち一人一人が、私たちと同じようにこの世に生まれて、この世で生きてきた人たちなのです。そして、こんなにたくさんの人たちに神さまの約束は受け継がれていって、ついに救い主イエス・キリストが生まれてくださったのです。 12月7日(日)  マタイ一1  このイエスさまの系図はアブラハムから始まります。「あなたとあなたの子孫を通して世界中の人たちが祝福される」と言われたアブラハムです。アブラハムはイエスさまより、二千年以上昔の人です。神さまはずっとアブラハムとの約束を覚えておられたのです。 12月8日(月)  マタイ一2〜6  アブラハムからダビデまでの系図です。ここには三人の女の人の名前も入っています。三人ともいろいろなわけがあってここに名前が入っています。でもみんな神さまにすがった人たちです。そして神さまはこの人たちも祝福の中に入れてくださいました。 12月9日(火)  マタイ一6〜11  ダビデ王様から国が滅んで、バビロンの国に連れて行かれるまでです。ダビデの国は四百年続きました。正しい王様も悪い王様もいました。でもみんなの心は神さまからどんどん離れていったのです。 12月10日(水)  マタイ一12〜17  バビロンに連れて行かれた民はやがてエルサレムに帰って来ます。でも、それからのイスラエルの歴史も決して楽なものではありませんでした。でも神さまは救い主を送るためにずっと準備しておられたのです。 12月11日(木)  ルカ一5〜25  ザカリヤとエリサベツには子どもがいませんでした。すっかり歳をとっていたザカリヤは赤ちゃんが生まれると聞いても信じられませんでした。神さまの言葉は必ず本当になるのです。 12月12日(金)  ルカ一26〜38  マリヤはガリラヤの町の少女でした。まだ結婚していません。でも天使は「あなたに男の子が生まれます。約束されていた救い主です」と知らせました。あり得ない話です。でもマリヤは神さまのお言葉を信じたのでした。 12月13日(土)  ルカ一39〜56  マリヤとエリサベツは親せきでした。二人は神さまがしてくださったすばらしいことを心から感謝します。マリヤは神さまを賛美します。神さまがこんなに小さなわたしに目をとめてくださってすばらしいことをしてくださった・・・感謝せずにはおれませんでした。 聖書だ!ワクワク  マリヤは神さまの言葉を信じました。そして、まだ結婚していないマリヤのおなかにイエスさまが育ち始めました。でもマリヤと婚約していたヨセフは、何が何だか分かりませんでした。イエスさまが元気に生まれて、育っていくためにはどうしてもヨセフの協力が必要でした。神さまはヨセフにも天使をつかわして神さまのお言葉を伝えます。クリスマス。神さまのお言葉を素直に信じた人たちは大きな喜びに満たされたんだね。 12月14日(日)  マタイ一18〜25  天使はマリヤのおなかの中にいるのが聖書に約束されていた救い主であることを教えてくれました。ヨセフやマリヤより七百年も昔のイザヤが言った通りのことが起ころうとしていました(イザヤ七14)。ヨセフも神さまを信じました。そして、イエスさまがお生まれになったのです。 12月15日(月)  ルカ一57〜66  イエスさまが生まれる半年前。ザカリヤとエリサベツに元気な男の子が生まれました。神さまのおっしゃった通りです。そして、ザカリヤたちは神さまのおっしゃった通りにその子にヨハネという名前を付けました。 12月16日(火)  ルカ一67〜80  またしゃべれるようになったザカリヤはうれしくてたまりません。ただ、しゃべれるようになったからではありません。神さまが生まれたヨハネを通し、そしてすぐに来られる救い主を通してすばらしいことをしてくださるのを知っていたからです。 12月17日(水)  ルカ二1〜7 マリヤやヨセフが住んでいたのはイスラエルの国でもずっと北の方のナザレという村です。でも皇帝の命令で、ベツレヘムにいかなければならなくなりました。これも神さまのご計画でした。 12月18日(木)  ルカ二8〜14  イエスさまが生まれた夜、羊飼いたちのところに天使たちがやってきて、このすばらしい知らせを伝えました。暗い空が明るくなって、空いっぱいに天使が現れて心から神さまを賛美しました。 12月19日(金)  ルカ二15〜21  羊飼いたちは天使たちの言うことがそうなら、お祝いに、拝みにいかなくては思いました。そして天使に言われたとおりに、イエスさまは布にくるまって飼い葉桶の中寝ておられました。最初のクリスマスの夜でした。 12月20日(土)  ルカ二22〜37  シメオンやアンナも救い主のお生まれを心から待っていました。マリヤとヨセフが小さなイエスさまをだっこしてエルサレムの神です。殿に入ってきたとき、シメオンもアンナも心から神さまを賛美しました。この赤ちゃんがすっと待ち望んでいた救い主であることがわかったからです。 聖書だ!ワクワク  さあいよいよクリスマスが近づいてきます。クリスマスとは「イエスさまのお祭り」という意味です。イエスさまのお誕生を世界中でお祝いします。ただ、本当はイエスさまが何月何日に生まれたかは分からないんです。だんだん昼の時間が長くなり始める冬至の季節に本当の光であるイエスさまのお誕生をお祝いすることに決めたのです。 12月21日(日)  マタイ二1〜12  イエスさまが生まれてからしばらくして、王様が生まれたしるしの星を見たからと言って、東の国の博士たちがはるばる旅をしてやって来ました。救い主が生まれたことを知ったとき、怒った人、不安に思った人もいたけれど、本当に救い主を捜して、礼拝した人はとても少なかったのです。でも礼拝した人たちはみんな大きな喜びに満たされたのでした。 12月22日(月)  マタイ二13〜15  天使がヨセフに、エジプトに行くようにと言った時、ヨセフは起きて、その夜のうちに家族を連れて、エジプトに出発しました。神さまは赤ちゃんのイエスさまを守られたのでした。 12月23日(火)  マタイ二16〜18  ヘロデは救い主を礼拝しようとは思っていませんでした。かえって、王である自分の地位が危なくなるかもしれないと思いました。だから絶対に、その赤ちゃんを殺そうとしたのです。人間の考えることは怖いことですね。 12月24日(水)  マタイ二19〜23  ヘロデ王もやがて死んでいきました。ヨセフとマリヤとイエスさまはまた神さまのお告げの通りにイスラエルに帰って行きます。そして、神さまに導かれてガリラヤ地方のナザレという小さい村に住みました。これも旧約聖書に書いてあるとおりでした。 12月25日(木)  ヨハネ一1〜5  クリスマスおめでとう!イエスさまは光として命の言として、この世に来てくださいました。どんな暗い世の中も、どんなに沈んだ心もイエスさまが来られると明るくなります。悪魔の力はイエスさまにはかないません。 12月26日(金)  ヨハネ一9〜13  イエスさまはすべての人を照らしてくださる光です。イエスさまを信じる人には神の子になる力が与えられます。どんな家に生まれたかと、どれだけお金があるかとか、どれだけ真面目かとか、どれだけ頭がいいかではないのです。 12月27日(土)  ヨハネ一14〜18  イエスさまは神さまです。けれどもイエスさまは人になってこの世に来てくださいました。私たちは見えない、霊なる神さまは分からないのです。でも人になって来てくださったイエスさまを見ていると神さまが分かってきます。 聖書だ!ワクワク  二〇〇八年も最後の日曜日になりました。今年一年、聖書を読むことができましたか。聖書を読んでワクワクしましたか。それとも、聖書を読んでもなかなか分からなくて大変でしたか? どうぞ分かっても分からなくても読み続けてください。気づかないこともあるかもしれませんが、神さまのみ言葉はあなたの心にちゃんと働いています。だから、読み続けてください。若いときから、小さいときから聖書を読み続けることができたら、それは一生の財産になります。さあ聖書を開こうね。 12月28日(日)  マタイ三1〜12  バプテスマのヨハネはザカリヤとエリサベツの子どもです。ヨハネが大きくなったとき、ヨハネは荒野に出て行って、救い主がもうすぐ来られるから準備をするようにとみんなに話しました。悔い改めて新しい生き方をすることです。 12月29日(月)  マタイ三13〜17  イエスさまもヨハネのところに来られました。そして他の人たちに交じって悔い改めのバプテスマをお受けになりました。天からの声がしました。イエスさまは神の子、そして神さまのしもべとして来てくださったのです。 12月30日(火)  ヨハネ一6〜8  このヨハネはバプテスマのヨハネのことです。ヨハネは光として来られたイエスさまをみんなに紹介するために来たのです。私たちもイエスさまのことをみんなに紹介したいと思います。 12月31日(水)  ヨハネ一19〜23  ヨハネは自分が何かということをよく知っていました。自分は救い主ではない。でも救い主をお迎えする準備をするようにみんなに話す「声」だと言いました。声は何かを伝えると消えていきます。自分もそうだとイエスさまを紹介しさせできればいいと言ったのです。 1月1日(木)  ヨハネ一24〜34  新しい年になりました。今年も神さまのお言葉を読もうね。ヨハネはやがて来られる救い主はあまりにもすばらしいお方だから、自分は靴のひもを解く値打ちもない、このお方は私たちの罪を取り除いてくださるお方だと言ったのです。 1月2日(金)  ヨハネ一35〜42  ヨハネは自分の弟子たちにもイエスさまのことを紹介しました。その一人のアンデレはイエスさまについて言ったときに、このお方がメシヤ(約束された救い主)  であることが分かって自分のお兄さんのペテロもイエスさまのところに連れて行ったのでした。 1月3日(土)  ヨハネ一43〜51  イエスさまはピリポについてくるようにおっしゃいました。そして今度はピリポがナタナエルにイエスさまを紹介しました。ナタナエルもイエスさまを信じました。あなたは誰にイエスさまを紹介する?