「教会」って何だろう。「○○教会」「△△教会」いろいろなところに教会はあるけれど、みんなは今、来ている教会に不思議に導かれた。教会は神さまを信じている人たちの群れです。でも、そこに来ている人たちが自分で、よし、イエスさまを信じよう、この教会に行こう、と最初から決心して来たと言うよりも、神さまが一人ひとりの人たちを不思議な仕方で導いて、集めてくださったのです。 7月5日(日) 使徒六8〜15  ステパノは教会に選ばれた七人の中の一人でした。そして一生懸命イエスさまのことをみんなに伝えました。でもそのことに腹を立てた人たちは嘘をついて、適当なことを言ってステパノを捕まえました。でもステパノは天使のような顔をしていました。天使の顔ってどんな顔だろうね。みんなはどんな顔してる? 7月6日(月) 使徒七1〜8  ステパノは捕まえられて裁判の中でも、一生懸命イエスさまのことをお話ししようとしました。ステパノはイスラエルのご先祖たちの話から始める。何にもなかった昔、アブラハムは神さまの声を聞いた。そして、神さまについていった。 7月7日(火) 使徒七9〜16  アブラハムの孫のヤコブには十二人の男の子がいた。その十一番目はヨセフ。ヨセフはお兄さんたちからねたまれてエジプトに売られてしまった。でも、そんな中でも神さまのご計画は進んでいた。 7月8日(水) 使徒七17〜29  ヤコブの子孫がエジプトでどんどん増えていった時、エジプト人たちはイスラエル人たちを奴隷にした。でも神さまはモーセを生まれさせた。モーセは四十歳の時、イスラエルを救おうと立ち上がる。でも誰もモーセについてきてくれなかった。 7月9日(木) 使徒七30〜43  モーセが八十歳になった時、神さまはモーセをお呼びになった。そしてモーセはイスラエルを救い出し、四十年にわたってイスラエルの民を導かれた。でもイスラエルの人たちは神さまの言うことに逆らってばかりだった。 7月10日(金) 使徒七44〜53  昔はイスラエルには神殿はなかった。移動式のテントのような礼拝所があるだけだった。そもそも神さまは大きすぎて、どんな大きな神殿を造っても入らない。イスラエルの人たちには確かに立派な神殿があったけれど、神さまの言うことを全然聞いていなかった。 7月11日(土) 使徒七54〜60  ステパノの話を聞いた人たちはみんな腹を立てた。ステパノのやつ殺してやる、と思った。石が飛んできた。でもステパノはみんなのために祈っていた。イエスさまと同じだった。  教会では誰も偉いとか、偉くないとかいうことはありません。教会で偉いのはイエスさまだけです。イエスさまが教会の頭で、私たちはみんなその体なのです。もう一つ、教会の中でもし偉い人がいるとしたら、それは、誰が見ていても見ていなくても、誰にほめられてもほめられなくても、みんなにコツコツと仕える人なのです。 7月12日(日) 使徒八1〜8  ステパノを殺すのに賛成した一人にサウロという人物がいました。サウロはみんなが石を投げている間、みんなの上着を預かっていました。サウロはステパノのお祈りを聞いていました。でもサウロはますますイエスさまを信じる人が嫌いになりました。教会に大変な迫害が起こります。イエスさまを信じているだけで牢屋に入れられます。でも教会はダメにならず、かえって広がっていきました。  7月13日(月) 使徒八9〜25  ピリポも教会の選んだ七人の一人でした。ピリポはサマリヤの町でイエスさまのことを話します。サマリヤの人たちは本当はユダヤ人たちとは仲が悪かったのです。でもたくさんの人たちがイエスさまを信じるようになりました。 7月14日(火) 使徒八26〜40  神さまはピリポにガザへの道に行くようにおっしゃいました。寂しい道です。でもピリポは従いました。神さまはピリポに、エチオピアの宦官のところに行ってほしかったのです。この宦官はイエスさまを信じて救われました。聖霊が働いておられました。 7月15日(水) 使徒九1〜9  サウロはイエスさまを信じる人たちを捕まえようとダマスコに向かっていました。でも、イエスさまはそんなサウロに出会ってくださいました。サウロはイエスさまを信じる人に変えられていきます。 7月16日(木) 使徒九10〜19  アナニヤは本当は怖かったのです。でも神さまはアナニヤにサウロのところに行ってお祈りしてあげてほしいとおっしゃいました。神さまはサウロをイエスさまのことを勇気をもって伝える伝道者にしようとしておられたのです。 7月17日(金) 使徒九20〜31  最初はみんなサウロがイエスさまを信じたと言っても、信用してくれませんでした。サウロがイエスさまを信じるなんて、あり得ない話だったのです。でも、そんなびっくりするようなことを神さまはしてくださいました。 7月18日(土) 使徒九32〜43  ペテロもあちこちでイエスさまのことを伝えていました。そしてルダにいたアイネヤをいやし、またよっぱのタビタを生き返らせてあげました。ペテロがすごかったのではありません。神さまがすごかったのです。  教会はキリストの体だと言われています。体にはいろいろな部分があって、同じではないように、教会にもいろいろな人がいます。みんな違います。けれども、一人ひとりがとても大切なのです。いなくてもいい人は誰もいません。みんながイエスさまにとっても、お互いにとっても大事な人なのです。 7月19日(日) 使徒十1〜8  コルネリオはローマの百人隊長でした。でも聖書の神さまを信じ、聖書の神さまにお祈りをしていました。また困った人がいたら優しく助けてあげました。家族も神さまを信じていましたし、また部下の中にも、神さまを信じた人たちがいました。でも、まだコルネリオはイエスさまのことは聞いたことがありませんでした。でも、神さまはコルネリオのお祈りを聞いていてくださいました。 7月20日(月) 使徒十9〜23  ユダヤ人たちはローマの人たちの家には行きませんでした。ローマ人たちは汚れていると思っていたのです。でも神さまはペテロに、ローマ人のコルネリオのところに行ってイエスさまのお話をしてほしかったのです。 7月21日(火) 使徒十24〜33  コルネリオは人をいっぱい集めてペテロを待っていました。コルネリオもユダヤ人がローマ人の家に入らないことは知っていました。でもコルネリオは信じて待っていました。神さまのお話を聞きたくてたまらなかったのです。 7月22日(水) 使徒十34〜43  ペテロは一生懸命イエスさまのことを話しました。十字架のこと、復活のこと、イエスさまを信じる人は誰でも、罪のゆるしが与えられることを話しました。ペテロは神さまがローマ人も愛してくださっているのが分かったのです。 7月23日(木) 使徒十44〜48  コルネリオや一緒に御言葉を聞いていた人たちの上に聖霊が下ってくださいました。そして、みんながイエスさまを信じてバプテスマを受けました。神さまはユダヤ人もローマ人もどこの国の人でも救ってくださるのです。 7月24日(金) 使徒十一1〜18  ペテロがローマ人の家に行ったことを聞いた人たちはペテロが悪いことをしたと言って怒りました。けれども、ペテロが自分の見た幻のことを話し、コルネリオたちに聖霊が下られたことを話した時に、一緒に神さまをさんびするようになりました。 7月25日(土) 使徒十一19〜30  教会への迫害は続いていました。でも人々は逃げながらもついた町々でイエスさまのことを話しました。どこの町でもイエスさまのことを信じる人たちが起きていきました。  今日から出エジプト記を学びます。エジプトで奴隷であったイスラエルの人たちが、救い出された出来事です。この出エジプトの出来事はイスラエルの人々にとって、後々まで、決して忘れることのできない出来事でした。つらいことがあっても、大変なことがあっても、でも神さまは自分たちをエジプトから救い出してくださった神さまだからと、何百年たっても、何千年たっても覚え続けているのです。私たちも神さまのよくしてくださったことをいつも覚えていましょう。 7月26日(日) 出エジプト一1〜14  ヤコブの子孫はエジプトでどんどん増えていきました。神さまが祝福してくださったからです。でもそんなイスラエルの人たちを恐れたエジプトの王様はイスラエル人たちを奴隷にしてしまったのでした。 7月27日(月) 出エジプト一15〜22  奴隷というのは苦しいものです。助産婦とは赤ちゃんが生まれる時に助けてくれる人です。エジプトの王様は助産婦たちに男の赤ちゃんを殺させようとしました。でも助産婦たちは王様よりも神さまを恐れる人たちでした。 7月28日(火) 出エジプト二1〜10  あるお父さんとお母さんは赤ちゃんを隠しきれなくなって、赤ちゃんをかごに入れてナイル川に浮かべます。でも神さまはその赤ちゃんを守ってくださいました。モーセはエジプトの王子の一人のように育っていったのです。 7月29日(水) ヘブル十一23  モーセのお父さんとお母さんは神さまを信じていました。だから王様の命令を知っていても、モーセを隠し続けたのです。この子を殺してはいけない、神さまはこの子を守ってくださると信じていたのです。 7月30日(木) 詩篇六一1〜8  この詩篇の記者は心がこわれそうなほど苦しく、つらかったのです。敵がいました。でも、この人はそんな中で「私の叫びを聞いてください」と神さまに祈りました。私をあなたの翼の陰にのがれさせ、高い岩にのぼらせてください、と祈りました。 7月31日(金) 詩篇一四五1〜21  神さまは私たちの叫びを聞いて、私たちを救ってくださるお方です。イスラエルの民がエジプトで苦しい奴隷生活をしていて、神さまに叫んだ時も、そして、今、私たちの歩みの中でも神さまは変わりません。 8月1日(土) 申命記四1〜8  神さまは私たちのそばにいて、祈りを聞いてくださる方、私たちに語りかけ、命の道を示してくださるお方です。だから、私たちは安心して、このお方に聞き、このお方に祈ることができるのです。  神さまはモーセを導いて、神さまの特別なお仕事をおまかせになりました。モーセは本当はいやだったのでしょう。逃げたかったのでしょう。怖かったかもしれません。でも、神さまはモーセを選んでおられました。どんな仕事をしたとしても、神さまに仕えていく道があります。でも、神さまがあなたに牧師や宣教師になってほしいと思っておられるとしたら、あなたがその神さまのお声を聞いていたら、ぜひ今から教会の先生にお話しして、準備を始めてください。 8月2日(日) 出エジプト二11〜15  モーセが四十歳の時だったと言います。モーセは自分がイスラエルを救うのだと思いました。モーセには自信があったかもしれません。でも、だれも分かってくれません。モーセは怖くなって逃げました。人間のがんばりや勇気や才能だけでは、神さまのご用はできません。 8月3日(月) 出エジプト二16〜24  モーセは逃げていきました。そしてそこでリウエルとその家族に会い、結婚してそこに住むことにします。モーセはそこで四十年間、エジプトの王宮にいた時にはしたことのなかった羊飼いの仕事をすることになります。時間が過ぎていきます。でも神さまはちゃんとお祈りを聞いて下さっていました。 8月4日(火) 出エジプト三1〜6  シナイ半島のホレブの山で神さまはモーセの名前を呼ばれます。神さまは私たちの名前も知っていて、私たち一人ひとりを神さまの御用のために呼んでくださいます。 8月5日(水) 出エジプト三7〜12  モーセはエジプトにはもう行きたくなかったのです。でも神さまは私があなたをつかわすのだ、私は必ずあなたと共にいると約束してくださいました。神さまは目には見えませんがいつも一緒にいてくださるのです。 8月6日(木) 出エジプト三13〜22  あなたの名前は何といいますか?と尋ねるモーセに、神さまは、「わたしは、有って有るもの」とおっしゃいました。神さまは、他のものが全部不確かであっても、いつも確かなお方、すべてのものを造り、支えておられるお方なのです。 8月7日(金) 出エジプト四1〜9  神さまはモーセに二つのしるしを与えてくださいました。イスラエルの人たちが信じるためです。でもまず、一番信じなければならなかったのはモーセ自身でした。 8月8日(土) 出エジプト四10〜17  どう話したらいいか分かりません、とモーセは言い、誰か他の人を、と言います。けれども、神さまはモーセでなければならなかったのです。神さまは私たちに口を与え、私たちが神さまのことを話すことができるように、言うべき言葉をも教えてくださいます。  エジプトの王様はとてもがんこでした。そしてなかなかイスラエルの人たちを自由にしてくれません。でも、エジプトの王様ががんこになればなるほど、ますます神さまの力がどんなに大きいかがはっきりしていきました。どんな魔術師も、またどんなエジプトの神々も、そしてエジプトの王様も、この天地を造られた神さまにはかないません。 8月9日(日) 出エジ七14〜八11  第一の災いではナイル川の水が血に変わり、第二の災いではエジプト中がかえるだらけになりました。エジプトの人はみんなナイル川に感謝していました。ナイル川のおかげでエジプトはたくさん作物がとれて、とても豊かだったからです。でも、イスラエルを救い出そうとしておられた神さまはそのナイル川さえもお造りになった方なのです。 8月10日(月) 出エジプト八12〜28  第三の災いでは地のちりがぶよになって人と家畜につき、第四の災いではあぶの大群がやってきました。魔術師たちは、「神の指です」と言いました。こんなことは人にはできないということを魔術師たちは知っていたのです。 8月11日(火) 出エジプト九1〜15  第五の災いは家畜の病気、第六の災いははれものでした。エジプト人たちのところには災いが来たのに、イスラエルの人たちのところには災いが来ませんでした。神さまがイスラエルの人たちを区別しておられたからです。 8月12日(水) 出エジプト九16〜33  第七の災いは雹です。大きな氷が空から降ってきたのです。頭にあたったら人も家畜も死んでしまいます。モーセは警告しました。信じた人は雹が降る前に、家畜を家に入れておきました。信じない人は大変な事になってしまいました。 8月13日(木) 出エジプト十1〜29  第八の災いはいなごの大群、第九の災いは真っ暗闇でした。王様の家来たちも悲鳴を上げました。エジプト人が最高の神さまだと思っていた太陽も隠れてしまいました。それでも、エジプトの王様は本当の神さまの前に降参しようとしませんでした。 8月14日(金) 出エジ十一1〜10  第十の災いはエジプトの最初に生まれた男の子が死ぬということでした。そんなことがあるはずはないと思ったでしょうか。パロ王はモーセに警告されても、まだ神さまを信じようとはしませんでした。 8月15日(土) 出エジ十二1〜42  イスラエルの家では最初の馬あれた男の子は死にませんでした。神さまに言われたように、小羊の血を塗ってあった家は災いが過越したのです。そして本当にその夜、神さまはイスラエルの人たちを解放してくださったのです。  昨日は六四年前にあった大きな戦争が終わった日でした。日本はそのころ大きな戦争を起こして、中国や韓国などたくさんの国々の人たちを苦しめました。アジアの人たちを助けているんだと、これは正義のための戦いだと言っていましたし、みんながそう信じて協力しました。そしてたくさんの人たちが死にました。私たちは与えられている平和を感謝し、平和を造り出す者として生きていきたいと思います。 8月16日(日) 出エジ十二43〜51  イスラエルの国で一番大事なお祭りは過越のお祭りです。それは神さまが自分たちをエジプトから救い出してくださったことへの感謝のお祭りだからです。イスラエルの人たちは何百年、何千年たってもこのお祭りを守ります。今もそうです。これは決して、忘れてはならない出来事だからです。 8月17日(月) 出エジ十三1〜10  一週間のお祭りの間、種(イースト)を入れないパンを食べました。パン種を入れないとパンはふくらみませんし、おいしくないかもしれません。でも、イスラエルの人たちは神さまの言葉を語り、手と、目と、口とで、主のしてくださったことを思い出したのです。 8月18日(火) 出エジ十三11〜16  エジプト中の最初の男の子が死にました。でもイスラエルには神さまはこうおっしゃいました。最初に生まれた男の子はみんな主にささげなさい。みんなは長男ではないかもしれません。でもあなたがも神さまのものです。 8月19日(水) 出エジ十三17〜22  神さまはイスラエルの人たちのことをよく考えて、迷うことのないように、倒れてしまうことがないように、雲の柱と火の柱で導いてくださいました。神さまはあなたも導いてくださいます。 8月20日(木) 出エジ十四1〜18  前には海、後ろにはエジプトの軍隊が迫ってきます。絶体絶命です。イスラエルの人たちはエジプトにいたらよかったと、文句を言い始めます。でも、主はちゃんと、誰も考えなかったような方法で救いを用意していてくださいました。 8月21日(金) 出エジ十四19〜31  信じられない出来事が起こりました。海が二つに分かれて道ができたのです。イスラエルの人たちは心から喜んで、その道を進んで行きました。神さまがどんなに力ある方か、みんなは見て、神さまを信じました。 8月22日(土) 出エジ十五1〜21  モーセとイスラエルの人たちは心から神さまを賛美しました。女たちも踊りながら神さまをたたえました。みんなうれしくて、賛美せずにはいられなかったのです。  イスラエルの人たちは神さまのすばらしい御業を見て、神さまを信じました。でも、すぐまた苦しいことがあると、すぐに、神さまがしてくださったすばらしことを忘れて、たくさん文句を言いました。モーセにも神さまにも八つ当たりをしました。この夏キャンプでイエスさまを信じたお友だちもいるでしょうね。悪魔はみんなが文句を言うのを待っています。悪魔は不平が大好きです。感謝を忘れないでいましょう。 8月23日(日) 出エジ十五22〜27  紅海から出発して三日目です。イスラエルの人たちはモーセにかみつきます。水が苦くて飲めなかったからです。でも、神さまはイスラエルの人たちが水を飲めないと死んでしまうことはちゃんと知っておられました。神さまは苦い水も甘い水に変え、水のほとりに導いてくださいました。 8月24日(月) 出エジ十六1〜12  イスラエルの人たちはまた文句を言い出します。食べるものがない、パンがない、肉がない、と言うのです。神さまを信用していなかったのです。神さまはイスラエルの人たちに肉とパンを与えると約束してくださいました。 8月25日(火) 出エジ十六13〜21  夕方にはうずらが飛んできて、朝には白い霜のようなものが地面にありました。欲張ったり、たくさん集めてとっておく必要はありません。これは毎日与えられましたから、心配しないで、その日の分だけを集めれば良かったのです。 8月26日(水) 出エジ十六22〜30  毎日一日分だけ集めれば良かったのですが、金曜日には二日分です。これは安息日(土曜日) はお休みだったからです。イスラエルの人たちは毎日毎日マナを集めながら、自分たちを支えてくださる真実な主を知ることができたのです。 8月27日(木) 出エジ十六31〜36  マナとは「これは何だ?」という意味です。今まで、見たことのない食べ物だったからです。マナは四十年間毎日与えられました。何もないような荒野でたくさんの人たちの食べ物を用意するのは大変です。でも神さまにはおできになりました。 8月28日(金) 出エジ十七1〜7  レピデムについた時、イスラエルの人たちはまた文句を言います。私たちは死んでしまうと言って、そうだモーセが悪いと、モーセを殺そうとします。けれども神さまは岩から水を出させてくださいました。 8月29日(土) 申命記八1〜10  神さまは四十年のイスラエルの旅の間イスラエルを導いてくださいました。マナを与えて、人にとって一番大事なのは食べ物ではなく、神さまの御言葉なんだとということを教えられたのです。  イスラエルの人たちがエジプトにいる間は、戦いはなかったかも知れません。でも、エジプトを出て荒野を歩んでいる間も、いろいろな戦いが襲ってきました。あれがない、これがないというそういうところも通って行きました。そのような経験を通してイスラエルの人たちは奴隷の生活から解放されて、自由になって、神さまに信頼して生きていくということを学んでいったのです。 8月30日(日) 出エジ十七8〜16  イスラエルとアマレクの戦いの勝敗を決めたのは、モーセの手でした。モーセは手をあげて何をしていたのでしょうか。モーセはお祈りをしていたのです。モーセの手を支えたアロンとホルは、私たちが祈る時にも助け手が必要であることを表しています。ヨシュアの戦いと共に、モーセたちの激しい戦いがあったのです。 8月31日(月) 出エジ十八1〜12  エテロはモーセの奥さんのお父さんです。モーセがエジプトでパロ王様の前に立っているときにも、エテロはきっとお祈りしてくれていたのでしょうね。エテロも心から感謝して神さまを讃えました。 9月1日(火) 出エジ十八13〜27  モーセのところには朝から晩まで人が出入りしていました。エテロは一人で何でもするのでなく、助け手を立てるようにと勧めました。教会も牧師先生や教会学校の先生たちだけでは大変です。あなたもぜひ、教会の助け手になってください。 9月2日(水) 詩篇二八1−9  苦しみの中でこの詩篇の記者は神さまに向かって手を上げてお祈りをします。そして神さまはこの人のお祈りを聞いてくださいました。そして聞いて、神さまは敵を防ぎ、またこの人を救い出してくださったのです。 9月3日(木) 1テモテ二1〜8  パウロは自分の弟子のテモテに手紙を書きます。男の強さとは、けんかの強さではない。どんな場所でも手を上げて祈ることができるということだ。パウロはテモテにみんなのために祈るようにと勧めるのです。 9月4日(金) 1テサロ五16〜22  絶えず祈るとは、いつも手を組んで目をつぶってお祈りしているということではありません。何があってもお祈りすることを忘れない、いつも神さまに心を向けているということです。 9月5日(土) ヤコブ五13〜20  お祈りは神さまが私たちに与えてくださったすばらしい賜物です。私たちがどんなに弱いときにも、神さまは私たちのお祈りを聞いていて、そのお祈りに答えてくださるからです。  神さまはモーセに声をかけられた最初の山にもう一度、イスラエルの人たちを導いて、そこで十の戒めを与えられます。「十戒」です。これは今でも変わらない、大切な戒めです。この十の戒めを覚えられるといいね。この十の戒めを一生懸命守ってたら、天国に行けるというのではなく、神さまに選ばれた神さまの民は当然、このような生き方をするはずだ、神さまはそのように生きることができるようにしてくださるというのです。 9月6日(日) 出エジ十九1〜9  神さまはイスラエルを救い出してくださいました。そして、イスラエルをご自分の宝とし、イスラエルを祭司の国として、イスラエルが他の人たちのためにも祈り、世界中の人たちがイスラエルを通して、神さまのすばらしさを知ることができるようにと願っておられたのです。 9月7日(月) 出エジ十九10〜15  神さまにお会いするために、イスラエルの人たちは準備をしなければなりませんでした。聖なる神さまにお会いする、このお方に近づくためには備えがいるのです。私たちは日曜日教会に行く前にどんな準備をするでしょう。 9月8日(火) 出エジ十九16〜25  神さまがシナイ山でモーセと会われたときに、イスラエルの人たちはみんな怖くなって震え上がりました。そして、民は山に近づいてはいけませんでした。今、私たちはイエスさまによって、神さまに近づくことをゆるされています。 9月9日(水) 出エジ二十1〜7  最初の第一戒から第三戒です。神さまについての戒めが続きます。この十戒の土台は、エジプトで奴隷であったイスラエルを神が救い出してくださったということです。こんなすばらしい神さまだから、愛し仕え、従って行くのです。 9月10日(木) 出エジ二十8〜11  安息日とは金曜日の日没から土曜日の日没までです。神さまが最初に世界を造られたときに、みんなが七日目には仕事をやめて、神さまを礼拝するようにと定められたのです。教会ではイエスさまの復活を記念して日曜日を守ります。 9月11日(金) 出エジ二十12〜17  第五戒から第十戒は人と人との関係に関する戒めです。ただ、守ってるよというだけではありません。あなたの心の中を見た時に、心の底からあなたのまわりにいる人たちを愛せるかということなのです。 9月12日(土) 出エジ二十18〜26  イスラエルの人たちは「私たちは聞き従います」と答えます。イスラエルの人たちはとても怖かったのです。まことの神さまに比べられるような神さまはどこにもいません。それなのに、私たちが偽物を拝んでいると、神さまは本気で怒られるのです。  イスラエルの人たちの話を読んでいると、イスラエルの人たちがとても簡単に文句を言い出したり、神さまのおっしゃることに背き出すことに私たちはびっくりします。あんなにすごい神さまの力を見たのに、何でこんなことになってしまうの?といらいらしてきます。でもイスラエルの人たちだけではありません。私たちも、神さまを信じてからも、神さまを悲しませてしまうことがたくさんあるのではないでしょうか。 9月13日(日) 出エジ三二1〜14  モーセは四十日山の上にいました。イスラエルの人たちは心配になってきます。モーセは死んだんだと言って、金の子牛を造って拝むのです。神さまはとても怒られます。けれども、モーセはイスラエルのために祈ります。神さまはそんなモーセの祈りを聞いてくださいました。 9月14日(月) 出エジ三二15〜24  モーセは神さまからいただいた石の板を投げつけて砕いてしまいます。モーセは神さまの怒りを自分のことのように怒っていたのです。アロンはモーセに言い訳をします。アロンもイスラエルの人たちもすぐに悔い改めるべきでした。 9月15日(火) 出エジ三二25〜35  モーセはもう一度神さまのところに帰って、神さまの前にゆるしを求めます。自分の名前が天国の命の書から消されてしまってもいいですから・・・と、イスラエルの人たちのために必死でお祈りしたのです。 9月16日(水) 出エジ三三1〜11  神さまは、約束の地に行かせてはあげるけれど、自分はもう一緒にはいかないとおっしゃいます。モーセにとっても、イスラエルの人たちにとってもこれは悲しいことでした。神さまが一緒でなかったら何にもならないのです。 9月17日(木) 出エジ三三12〜23  一緒に行ってください、と必死で祈るモーセに、神さまはついに、わたし自身があなたと一緒に行く、と約束してくださいました。モーセは心から喜びます。モーセはいつも神さまと一緒にいて、神さまを見続けていたかったからです。 9月18日(金) 出エジ三四1〜20  神さまはモーセの祈りに答えて、イスラエルの民をゆるし、もう一度、モーセとイスラエルのために、十戒の板をくださいました。恵み深い神さまはイスラエルの人たちと契約を結んでくださったのです。 9月19日(土) 出エジ三四21〜35  モーセが山から下りてきたとき、モーセの顔は光っていました。ずっと神さまといっしょにいて、神さまと向き合い続けていたからです。私たちも、お祈りをし、聖書を読んで、神さまと一緒にいると輝いていきます。自分で気づかなくても、他の人には分かるのです。  エジプトから約束の地カナンまではそんなに遠くはありません。でもイスラエルの人たちは四十年も荒野をさまようことになります。神さまの約束は変わりませんでした。でも神さまに従わなかったイスラエルの民はとんでもない遠回りをすることになります。神さまの恵み深いことは変わりません。けれども、神さまに従わないことはとても遠回りです。ぜひ、みなさん、毎日毎日、神さまに従い続けてください。 9月20日(日) 民数記十三1〜24  イスラエルの十二の部族から一人ずつ十二人がスパイとして約束の地に入って行きます。その人たちが見たのは、神さまがおっしゃっていた通りのすばらしい土地でした。神さまのお言葉には嘘はありません。神さまはそのようなすばらしい土地にイスラエルを導こうとしておられたのです。 9月21日(月) 民数記十三25〜33  カナンの地には背の高い人たちが住んでいました。また町の周りは高い城壁で囲まれていました。確かに強かったでしょう。十二人のスパイの中の十人は怖いからやめようと言いました。でもカレブは大丈夫必ず勝てると言いました。神さまを信じていたからです。 9月22日(火) 民数記十四1〜10  報告を聞いたイスラエルの人たちはみんな怖くなってしまいました。みんな一晩中泣いていたほどです。でもヨシュアとカレブは、主が私たちと共におられるのだから恐れなくて大丈夫と語ったのでした。 9月23日(水) 民数記十四11〜25  イスラエルの人々が信じようとしないのを見た神さまはイスラエルを滅ぼすとおっしゃいます。この時もモーセはイスラエルの人たちのためにお祈りします。神さまはゆるされました。でも民は四十年荒野をさまようことになります。 9月24日(木) 民数記十四26〜38  神さまにつぶやいた大人たちは誰も神さまが約束されたすばらしい土地に入ることはできませんでした。でも神さまを信じていたヨシュアとカレブだけはその約束の地に入ることができたのです。 9月25日(金) 民数記十四39〜45  イスラエルの人たちは自分たちは間違っていたと、戦いに出て行きます。でも、遅すぎたのです。神さまが一緒に行ってくださらなかったので、イスラエルの人たちは戦いに敗れてしまします。 9月26日(土) 申命記三四1〜12  さて四十年がたちました。モーセ自身も約束の地に入ることは許されませんでした。モーセは遠く約束の地を見ながら、ヨシュアにその仕事をバトンタッチします。モーセは神さまのすばらしい僕でした。モーセの代わりは誰にもできません。でも神さまはちゃんとヨシュアを立ててくださいました。  モーセは四十年間イスラエルを導きました。モーセは死んだときには百二十歳。エジプトを出たときに二十歳以上の人はみんな死んでしまいましたから、民はみんな六十歳以下、六十歳以上なのはヨシュアとカレブの二人だけ。でもヨシュアの心の中には不安がいっぱいあったことでしょう。これから約束の地に入って行くと言っても、そこでは戦いがあります。そして、またイスラエルの人たちは文句を言うのが得意な人たちばかりです。でも、神さまはヨシュアと一緒にいてくださいました。 9月27日(日) ヨシュア一1〜9  神さまはヨシュアと一緒にいてくださいました。そして神さまは約束の地を与えると約束しておられます。ヨシュアにとって大事なことは、神さまの言葉を信じ、しっかりと心にとどめて、いつも守って行うことでした。 9月28日(月) ヨシュア一10〜18  イスラエルの人たちはこれからヨルダン川を渡って西側に入っていきます。ルベンとガドとマナセの半部族はヨルダン川の東側に住むことにしていました。でもこの二部族半の人たちもヨルダン川を渡ります。自分だけよければもういいというのは反則でした。 9月29日(火) ヨシュア二1〜14  エリコの町に二人のスパイが入って行った時、ラハブがこの二人をかくまってくれました。イスラエルの神さまだけが本当の神さまだとラハブは信じたからです。そして、神さまはラハブとその家の人たちを救ってくださいました。 9月30日(水) ヨシュア二15〜24  ラハブとその家の人たちの助かる方法が一つだけありました。自分の家の窓のところに赤いひもをたらしておくことでした。ラハブはさっそく赤いひもを窓に結びます。 10月1日(木) ヨシュア三1〜17  ヨルダン川は水があふれていました。でも神さまがおっしゃったように、祭司たちが川に足を入れると、水はせき止められて、イスラエルの人たちはそこを歩いて渡ることができました。 10月2日(金) ヨシュア四1〜24  イスラエルの人たちは川の底から大きな石を十二個かついで行って、ヨルダン川の西側に置きました。自分たちも、子どもたちも、自分たちの子孫たちも神さまがしてくださったすばらしい御業を忘れないためです。 10月3日(土) ヨシュア六1〜27  エリコの町は高い城壁で囲まれていて、門は堅く閉じられていました。神さまはヨシュアに作戦を与えてくださいます。それは不思議な作戦でした。でもイスラエルの人たちは神さまがおっしゃった通りにします。そしてエリコの城壁はくずれたのでした。