聖書だ! ワクワク

 「信じる」ということは、分かりそうで分からないかもしれません。私も小学生の時に、「信じれば天国に行けるんだよ」と言われても、その「信じる」ということがどんなことかよく分からなかったのです。実は、私たちは意識していなかったとしても、たくさんのことを信じて生きています。お父さんやお母さんを信じ、先生を信じ、学校を信じ、教会を信じています。信じるとは、私たちが信じようとするものが本当だ、頼って大丈夫と、受けとめることなのです。


□ 11月22日(日) ルカ八40-56
 ヤイロの大事なひとり娘が病気になりました。せっかくイエスさまに来ていただけることになったのに家から娘が死んだという知らせが届きます。「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」とのイエスの言葉がヤイロを支えました。
□ 11月23日(月) ヨハネ一四1
 十字架の前日にイエスが弟子たちに語られた言葉です。心の騒ぐ弟子たちに、イエスは「神を信じ、またわたしを信じなさい」とおっしゃいました。イエスさまが見えない時にも、心配しなくていいのです。イエスは私たちを見捨てることはないからです。
□ 11月24日(火) マタイ九27-31
 イエスのところに来た二人の目の見えない人に、イエスは「わたしにそれができると信じるか」と問いかけられました。神に求めながら信じていない時があります。あなたは信じますか?
□ 11月25日(水) 詩篇二七1-6
 この詩篇の記者にも敵がおり、また悩みがありました。いのちの危険を感じることもあったでしょう。しかし、この人は主を信じ頼り、神さまのすぐそばにいつもとどまっていたのです。主が守ってくださったのです。
□ 11月26日(木) 詩篇二七7-14
 「わたしは信じます」とこの人は言います。誰が自分を見捨てたとしても、主が自分を守り支え、主の恵みを見ることができることを、この人は危険の中にあっても信じ、神さまの前にとどまるのです。
□ 11月27日(金) 詩篇一一六1-19
 この一一六篇の記者も危険の中にありました。けれども大きな悩みの中にあってもこの人は、「なお信じた」と言います。主が自分の祈りを聞き、また恵みとあわれみに富んだお方であることを知っていたからです。
□ 11月28日(土) ローマ三21-26
 神さまは信じる人に救いを与えてくださいます。それは私たちが何かをしたからではありません。私たちががんばったからでもありません。本当は、罪のために滅んでいくはずの私たちのために主が備えてくださった義を、私たちは恵みによっていただくのです。