あけましておめでとう。新しい年が始まりました。神さまはこの新しい年に何をしてくださるでしょうか。私たちには明日何が起こるかもわかりません。でも何も心配したり、怖がったりすることはありません。神さまがみんなと一緒にいてみんなを守り、支えていてくださっているからです。そして、知ってください。神さまはみんなのためにとてもすてきなことを用意していてくださっているのです。 1月2日(日) 使徒九1-8  サウロはイエスさまを信じている人たちを迫害していました。悪い奴らだと捕まえてひどいことをしました。でもそんなサウロにイエスさまは出会ってくださいました。イエスさまがサウロを照らし、語りかけられたときに、サウロは自分のしてきたことが間違っていたことを知ったのです。神さまはサウロを愛しておられました。 1月3日(月) 使徒九9-19  神さまはダマスコにいたアナニヤに声をかけてサウロのためにお祈りしてほしいとおっしゃいました。アナニヤはサウロに「兄弟サウロ」と声をかけ、サウロのためにお祈りしてあげました。サウロは生まれ変わってイエスさまの弟子になったのです。 1月4日(火) 使徒九19-22  イエスさまを信じる人たちを捕まえるためにダマスコに来たはずのサウロが、今度は「イエスは神の子である」と力強く話し始めたので、みんなはびっくりしました。神さまがサウロを変えてくださったのです。 1月5日(水) 使徒九23-25  サウロはイエスさまを信じる人たちを殺そうとしていた人です。でも、サウロがイエスさまを信じたときに、今度はサウロがねらわれてしまいます。でも神さまはサウロを守ってくださいました。 1月6日(木) 使徒九26-31  サウロはエルサレムに行って、教会の仲間に入れてもらおうとしました。でも誰も信じてくれません。そんな時、バルナバがサウロと一緒に行って、神さまが本当にサウロを変えてくださったのだということをみんなに話してあげました。 1月7日(金) 使徒九32-35  ペテロは八年間も寝たきりだったアイネヤのところに行って、アイネヤを助けてあげました。アイネアがいやされたのはアイネヤが偉かったからではありません。イエスさまがそのことをしてくださったのです。たくさんの人たちがイエスさまを信じました。 1月8日(土) 使徒九36-43  タビタはとてもやさしい人でした。でもそのタビタが死んでしまったのです。みんなが集まってきて泣きました。けれどもペテロはイエスさまの力でタビタを生き返らせてあげました。  新学期が始まったでしょうか。今学期で小学校や中学校を卒業するお友だちもいるでしょうね。この最後の学期も楽しい思い出がたくさんできるといいですね。  二〇一一になってサウロ(後のパウロ)の物語を学んでいます。サウロは自分が救われた日のことを忘れることができませんでした。そして、イエスさまのことを一生懸命たくさんの人たちに話しました。クリスチャンを迫害して苦しめていた罪深い自分を、神さまは救ってくださった、そのことが忘れられなかったのです。 1月9日(日) 使徒十一19-26  最初に弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになったのはアンテオケの町でした。アンテオケの弟子たちは、いつもいつもイエスさまのことを話さないではいられなかったのです。そこにも教会ができていきました。 1月10日(月) 使徒十一27-30  大きなききんが起こりました。エルサレムのクリスチャンたちもとても厳しい生活をしていました。そんな時、アンテオケの教会の人たちは献金を集めてユダヤにいるクリスチャンたちを助けました。あなたのまわりに助けを必要としている人はいないでしょうか。 1月11日(火) 使徒十二1-5  ヘロデ王はヨハネの兄弟ヤコブを殺し、ペテロも殺そうとしていました。エルサレム教会の人たちは何ができたでしょうか。みんなで熱心にお祈りをしたのです。神さまはそのお祈りを聞いておられました。 1月12日(水) 使徒十二6-11  明日は死刑になるかもしれないというそんな夜にもペテロは寝ていました。そんなペテロのところにみ使いが来てペテロを助け出してくれました。神さまがペテロを救ってくださったのです。 1月13日(木) 使徒十二12-19  ペテロはみんなが集まっていた家に帰ってきました。その時も、祈祷会の真っ最中でした。みんながペテロのためにお祈りしていました。でもペテロが救い出されたとき、誰もそれを信じられませんでした。神さまは私たちのお祈りを聞いてくださいます。 1月14日(金) 使徒十二20-25  ヘロデ王はみんながほめてくれたので大得意でした。でも小さな虫がヘロデをかんで、ヘロデは死んでしまいました。神さまよりも自分が偉いかのように得意になっていたからです。 1月15日(土) コロサイ一24-29  パウロは、一番大事な奥義はこれだ、と言いました。それはコロサイ教会の人たちのうちにイエスさまがいてくださるということでした。どんなことよりもそれが一番すばらしいことだと、パウロは感謝していたのです。  パウロは三回の伝道旅行をしました。今とは違って、ほとんどが歩きで、あとはロバに乗ったり、船に乗ったりということでした。決して楽な旅ではなかったでしょう。何回も死にそうな目にもあいました。でもパウロは町から町へと旅を続けました。なんとしてもたくさんの人たちにイエスさまのことを知ってほしいと思っていたからです。みなさんは旅はしないでいいかもしれませんが、まわりにイエスさまのことを伝えてあげたい人はいないでしょうか。 1月16日(日) 使徒十三1-3  アンテオケ教会の人たちがお祈りをしていたとき、聖霊は教会のみんなに、サウロとバルナバを送り出すようにとおっしゃいました。サウロたちは教会の大事なリーダーたちだったことでしょう。でも教会は二人を送り出し、祈りと献金で彼らを支えたのです。 1月17日(月) 使徒十三4-12  魔術師エルマはパウロたちの邪魔をしようとしました。でも、エルマは目が見えなくされてしまいました。総督セルギオはイエスさまを信じました。今まで聖書も神さまも知らなかったセルギオが救われたことはとても大きなことでした。 1月18日(火) 使徒十三13-25  パウロはピシデヤのアンテオケでユダヤ人や聖書の神さまを信じていた人たちにイエスさまのことを話しました。イエスさまは旧約聖書に約束されていた救い主なのです。 1月19日(水) 使徒十三26-41  パウロは説教を続けます。約束された救い主イエスは十字架にかかり死なれましたが、三日目によみがえられました。それは私たちの罪をあがない、救いの道を開いてくださいました。だから信じたら救われるのです。 1月20日(木) 使徒十三42-52  次の週にも伝道集会が続きます。大勢の人たちがパウロの話を聞きに来ました。でもユダヤ人たちの反対が起こります。パウロはユダヤ人以外の人たちにも一生懸命福音を伝えます。イエスさまを信じる人たちが増えていきました。 1月21日(金) 使徒十四1-6  パウロが次に行ったのはイコニオムです。反対もありましたけれど、パウロはくじけないで大胆に御言葉を宣べ伝えたのでした。やがてイコニオムの町にいられなくなっても次の町で福音を宣べ伝え続けたのでした。 1月22日(土) 使徒十四7-18  ルステラでは大変なことが起きます。パウロが足の不自由な人を直してあげたところ、みんながパウロとバルナバを神さまだと言って拝もうとしたのです。パウロはみんなに本当の救い主、本当の神さまを伝えました。  パウロはイエスさまのことを伝えないではいられませんでした。それはこんな罪深い自分が救われたのだから、どんな人でも救われると信じていたからです。立派な人・まじめな人・勉強のできる人・がんばる人だけではありません。どんな国のどんな人でも、ただイエスさまを信じるだけで救われる、パウロはそのことを信じていたのです。 1月23日(日) 使徒十四19-28  パウロはイエスさまを伝えたためにみんなから石を投げられました。大きな石が飛んできます。頭をめがけて、強く飛んできます。パウロは倒れて町の外にひきずりだされます。それでもパウロはイエスさまを伝えることをやめませんでした。パウロは町々を通ってみんなを励まし、アンテオケに帰ります。パウロのためにお祈りしていた人たちは喜んだでしょうね。 1月24日(月) 使徒十五1-4  イエスさまを信じる人たちが多くなって来たとき、教会に大きな問題が持ち上がりました。教会ではリーダーたちが集まってこのことについて話し合うことにしました。問題が起こった時に、それをどう解決するかはとても大切です。 1月25日(火) 使徒十五5-11  ある人たちは、ユダヤ人以外の異邦人も律法の教えをきちんと守らないと救われないと言ったのです。でもペテロは私たちは、決まりをまもってではなく主イエスの恵みによって救われるのだと言いました。 1月26日(水) 使徒十五12-21  みんなが意見を言った後で、イエスさまの弟だったヤコブが、ユダヤ人以外の異邦人が神さまを信じることは旧約聖書の中でも明らかだとして、救われるために、信仰以外に何かが必要だという考えをしりぞけました。 1月27日(木) 使徒十五22-35  会議の結果はただちにアンテオケの教会に知らされました。パウロやバルナバとエルサレム教会の代表者たちが会議で決まったことを書いた手紙を届けたのです。アンテオケ教会の人たちはみんなとても喜びました。 1月28日(金) ローマ五1-11  神さまが私たちを愛してくださったのは、私たちがまじめで、ちゃんとしていて、罪がないからではありません。私たちが神さまに背を向けて自分勝手で罪深かった時に、神さまは私たちを愛して、救いの道を開いてくださったのです。 1月29日(土) エペソ二11-22  私たちは本当は、神さまの恵みに入れてもらう資格がなかったのです。でもそんな私たちのためにイエスさまは十字架にかかって死んでくださって、ユダヤ人でもそうでなくても救われるようにしてくださったのです。  パウロがイエスさまのことを伝えたときに、どこの町でもイエスさまを信じる人たちが起きていきました。でも、それでおしまいではなくて町々に教会が生まれていきました。建物のことではありません。集まる場所は家だったかもしれません。イエスさまを信じて一緒にお祈りし、一緒に神さまを礼拝するグループが生まれてきたのです。パウロはそのような教会を励まし、また間違ったことがあるときには注意をしました。 1月30日(日) 使徒十五36-41  パウロとバルナバはまた伝道旅行に行くことにしました。イエスさまをもっとたくさんの人たちに伝えたかったですし、生まれたばかりの教会のことが心配だったのです。でもマルコを連れて行くかどうかで意見が分かれて、パウロとシラス、バルナバとマルコと二つのチームができたのでした。 1月31日(月) 使徒十六1-5  パウロは一回目の伝道旅行で訪ねた町々を回ります。ルステラの町に行った時、パウロはテモテという青年に声をかけます。テモテはパウロのチームに加わりました。パウロはテモテに自分のことを見せ、一緒に生活していろいろなことを教えたかったのでしょうね。 2月1日(火) 使徒十六6-10  神さまはパウロが最初に行きたいと思っていた道を閉ざされました。でもトロアスに来た時に、「私たちを助けてください」とすがりつくマケドニア人の幻を見て、パウロはこの人たちにイエスさまのことを伝えようと思ったのです。 2月2日(水) 使徒十六11-15  パウロはピリピでルデアという女性に出会います。この人は家族でイエスさまのことを信じて、パウロの働きを支えました。ピリピはパウロにとってとても大きな喜びとなります。 2月3日(木) 使徒二14-18  聖霊が注がれて、教会はスタートしました。「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」という預言が成就しました。パウロも幻を見せられて、神さまの御心を信じて進みました。神さまは私たちにも夢とビジョンをくださいます。 2月4日(金) イザヤ三〇18-26  神さまは私たちが何をしたらいいのか、どのように進んだらいいのか、導きを与えてくださいます。お祈りして、神さまの導きを求めてください。そして私たちは神さまが与えてくださる導きに従って進めばよいのです。 2月5日(土) エレミヤ二九10-14  神さまは私たちのためにすばらしい計画をもっておられます。私たちに平安を与え、希望と将来を与える計画です。神さまは知らないのではありません。神さまは知っていて、ちゃんと導いてくださるのです。  今も日本でも世界でもイエスさまのことを知らない人がたくさんいます。イエスさまを信じている人が周りに誰もいないのです。誰かが行ってあげなければ、その人たちはイエスさまのことを全然聞くこともできないのです。  日本もそんなイエスさまのことを知らない国でした。でも宣教師たちが飛行機のない時代に、船で命がけで日本に来て、イエスさまを伝えてくれたのです。私たちも誰かのところに行かなくていいでしょうか。 2月6日(日) 使徒十六16-24  神さまは占いを嫌われます。ですから占いの霊は、悪い霊です。この女の人は悪い霊に捕まっていたのです。パウロはこの人を助けてあげました。でもこの人はイエスさまに救われたら占いができなくなりました。主人は怒ってパウロたちを牢屋に入れてしまいました。 2月7日(月) 使徒十六25-28  パウロたちは何度もむちでたたかれて傷だらけです。きっとすごく痛んだことでしょう。でもパウロたちは牢屋の中で賛美をしていました。牢屋で歌を歌う人なんかいません。牢屋の人たちはパウロたちの賛美をじっと聞いていました。 2月8日(火) 使徒十六29-34  牢屋の扉が開き、鎖もとけて閉まったとき、パウロも他の人たちも誰も逃げませんでした。パウロは牢屋の番人に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言いました。番人も家族もその夜、イエスさまを信じました。 2月9日(水) 使徒十六35-40  パウロの時代、ローマの市民権をもっているというのはとてもすばらしいことでした。でももっとすばらしいことがあります。それは天国の市民権を持っているということです。あなたはどうですか。 2月10日(木) 使徒十七1-9  パウロはテサロニケの町に行って、そこでイエスさまのことを伝えました。三回の安息日です。反対が起きて、パウロは次の町に行かなければなりませんでした。でもそこにも教会ができました。 2月11日(金) 使徒十七10-15  パウロは次に行ったのはベレアでした。この町のユダヤ人たちはパウロの話を聞いたときに、もう一度、よく聖書を読んで調べました。たくさんの人たちがイエスさまを信じました。また反対が起きます。でも福音は進んでいきました。 2月12日(土) 使徒十七16-34  パウロが次に行ったのはアテネです。アテネの人たちは頭がよくて、何か新しいことを勉強するのが大好きでした。パウロはアテネの人たちにもイエスさまのことを話しました。でもイエスさまの復活の聞いたとき、ほとんどの人は帰ってしまいました。  まだイエスさまのことを聞いたことがない人たちにイエスさまのことを伝えるときに、イエスさまは私たちと一緒にいて、私たちが何を話したらいいか教えてくださいます。それでも私たちは一人でいるとやっぱり心細くなります。そんなとき一緒に行ってくれる仲間がいたり、お祈りしていてくれるお友だちがいると元気が出ますよね。あなたにはそんなお友だちがいますか? 2月13日(日) 使徒十八1-4  パウロは一人でコリントに行きます。パウロも心細かったかもしれません。でも神さまはコリントでパウロのためにお友だちをおいていてくださいました。アクラとプリスキラというクリスチャンの夫婦です。パウロはこの二人の家に泊めてもらって、一緒に仕事をし、安息日ごとにみんなにイエスさまのことを話しました。 2月14日(月) 使徒十八5-17  パウロが一生懸命伝道すればするほど迫害は厳しくなりました。けれども、神さまは「あなたにはわたしがついている」とおっしゃり、コリントにもイエスさまを信じる人が多く起こされることを約束してくださいました。 2月15日(火) 使徒十八18-23  パウロはエペソからエルサレムに寄って、それからアンテオケに戻りました。アンテオケではきっとお祈りしてくれていたみんなに報告をしたことでしょう。でもパウロはずっとそこにいるわけには行きません。次の旅へと出発したのでした。 2月16日(水) 使徒十八24-28  アポロはイエスさまのことを力強く語るすばらしい働き人でした。でも大事なことを知りませんでした。プリスキラとアクラはアポロを励まし、パウロから聞いていたことをきちんと教えてあげました。 2月17日(木) 1コリ一18-25 ユダヤ人たちもギリシャ人たちも十字架につけられた救い主と聞いたら、ありえない、ばかな話だ、と言ったかもしれません。けれどもパウロは自分はどこまでも十字架につけられた救い主を宣べ伝えるのだと言いました。 2月18日(金) 1コリ一26-31  神さまは私たちが性格も頭もよくて、お金も力もあるから選んでくださったのではありません。かえって「無きに等しい者を」わざわざ選んでくださったのです。救われたといばることはできません。 2月19日(土) 1コリ二1-5  最初のコリントに行ったとき、パウロは弱く、とても不安だったと言っています。でもパウロは人間の知恵ではなく、十字架につけられたイエス・キリストのことを宣べ伝えたのです。コリントの人たちは神さまの力によってクリスチャンになったのです。  この人は教会に誘っても絶対に来ないな、と思うお友だちがいますか。この人だけは誘うのをやめとこうという人はいないでしょうか。知ってください。イエスさまが愛していない人はいません。どんな人でもイエスさまを信じるときに罪がゆるされて神の子になることができます。大切なことがあります。誰かが教えてくれなければイエスさまのことを知ることはできないのです。 2月20日(日) 使徒十九1-10  パウロの三回目の伝道旅行でパウロはエペソに来ました。エペソにもイエスさまを信じる人たちがいたのですが、アポロと同じように、イエスさまの名によって洗礼を受けるということをしていませんでした。パウロはこの人たちに洗礼を授け、二年以上エペソにいて、イエスさまのことを必死でみんなに伝えました。 2月21日(月) 使徒十九11-20  神さまはパウロを通して神さまのすばらしい御業を行われました。パウロを見ていて、イエスさまを信じていないのにちょっとまねをしてみた人がいました。でも、その人たちはひどい目にあいます。信仰は誰かのまねごとだけではだめなのです。 2月22日(火) 使徒十九21-27  パウロがあまりにも一生懸命イエスさまのことを伝えて、またイエスさまを信じる人たちが増えていくのを見てデメテリオはいらいらしていました。パウロは手で造られたものは神さまではないとはっきり伝えていたからです。 2月23日(水) 使徒十九28-40  エペソの女神アルテミスを信じていた人たちはデメテリオの話を聞いて、パウロのことをとても怒り出しました。劇場に集まって大騒ぎをします。パウロが次の町に行く時が近づいていました。 2月24日(木) エペソ一1-14  この手紙は後でパウロが牢屋の中から、エペソ教会の人たちに書いた手紙です。パウロはエペソの人たちに、あなたたちは神さまに選ばれ、神さまの栄光をほめたたえるようにと召されているのだと言いました。 2月25日(金) エペソ一15-23  パウロは牢屋の中からエペソ教会の人たちのためにお祈りしています。エペソ教会の人たちの心の目が開かれて、神さまがすばらしいこと、神さまがすばらしい望みを与えていてくださること、キリストこそが教会の頭であることを知ってほしいと思っていたのです。 2月26日(土) エペソ二1-10  パウロは言います。あなたたちは神さまの怒りの下にいたのだけれど、今は神さまの憐れみによって救われた。それは行いによったのではなく、ただただ神さまの恵みでした。  イエスさまを伝えるとはどういうことでしょうか。確かにそのためには神さまのことをよく知らないといけないでしょう。けれども、たくさん勉強しなければ伝道はできないということではありません。クリスチャンになって何年かたたないとだめということでもありません。伝道とはまず、イエスさまがあなたに何をしてくださったのかをみんなに語ることであり、またイエスさまが今、あなたにとってどのようなお方であるかを語ることなのです。伝道とはイエスさまを紹介することだからです。 2月27日(日) 使徒二〇1-6  パウロは、エペソからマケドニヤに、そして南に下ってギリシャに、そして、またマケドニヤに、そして船でトロアスへと旅を続けます。いろいろな教会の代表たちが旅行に加わります。国は違い、住むところは違っても教会は一つです。 2月28日(月) 使徒二〇7-12  パウロはトロアスでの最後の日、みんなに夜遅くまでお話をしていました。若いユテコは眠くなって、窓から下に落ちてしまいます。でも神さまはユテコを助けてくださいました。トロアスのクリスチャンたちはどんなに慰められたことでしょう。 3月1日(火) 使徒二〇13-24  パウロはトロアスからミレトに行き、そこでエペソ教会のリーダーたちを呼んで話をしました。パウロは、これから行くエルサレムでいろいろと大変なことが待っていることを知っていました。でもパウロはイエスさまのことを伝えないではいられなかったのです。 3月2日(水) 使徒二〇25-38  パウロはこれでエペソ教会の人たちに会うのは最後だと思っていました。心配もあったでしょう。でもパウロは主とその御言にエペソの人たちをゆだねました。 3月3日(木) 使徒二一1-6  パウロはついに船でツロに着きます。そこで人々はエルサレムに行かないようにとパウロに必死で頼みます。パウロがそこに行くのはあまりにも危険だったからです。でもパウロの決心は動きませんでした。神さまにそのことを示されていたからです。 3月4日(金) 使徒二一7-16  パウロはカイザリヤについてピリポの家に泊まります。そこでもパウロにエルサレムに行かないようにと、みんなが言いました。でもパウロはエルサレムで死ぬことになってもかまわないと思っていました。覚悟はできていました。 3月5日(土) マタイ二四9-14  イエスさまの弟子として生きる人は迫害を受けても驚くことはありません。それは起こるのです。でもそれでも福音を伝えます。そして世界中の人たちにイエスさまのことが宣べ伝えられるのです。  イエスさまのことを話していたら、みんなが喜んで、私もイエスさまを信じたいと言ってくれるかもしれません。でも、イエスさまのことを話したために、嫌われたり、煙たがられたり、変な人と思われることもあるかもしれません。パウロはみんなにイエスさまのことを知ってもらいたくてしょうがありませんでした。でもパウロが熱心になればなるほど、迫害も厳しくなりました。でも、その中でも神さまはイエスさまを信じる人たちを起こしてくださったのです。 3月6日(日) 使徒二一17-26  パウロはエルサレムについてから、一緒に来ていたいろいろな町のクリスチャンたちと一緒に、エルサレム教会のリーダーのヤコブを訪ねました。外国の人たちがたくさんイエスさまを信じるようになっていることを聞いてみんなとても喜びました。 3月7日(月) 使徒二一27-40  パウロがエルサレムにいることに気づいた反対者たちは大きな騒ぎを起こします。ローマの軍隊が入ってきて、パウロを捕まえました。でももし、ローマの軍隊が来てくれなかったら、パウロは殺されていたことでしょう。神さまはパウロを守っておられたのです。 3月8日(火) 使徒二二1-21  パウロはイエスさまのことが嫌いだった自分がどのようにしてクリスチャンになって、どのようにしてイエスさまを伝える人になったのか、どうして自分が外国に行って、イエスさまのことを伝えているのかを話しました。 3月9日(水) 使徒二二22-30  話を途中まで静かに聞いていたエルサレムの人たちは、こんなやつは殺してしまえと大騒ぎをします。でも、神さまにはちゃんとご計画がありました。そしてパウロを守っていてくださいました。 3月10日(木) 使徒二三1-11  パウロはユダヤ人の議会で話をし始めました。聞いている中には、パウロの知っている顔も多くあったかもしれません。神さまはパウロに、エルサレムだけでなく、まだ訪ねたことのない世界の中心のローマでも証をすることになると励ましてくださいました。 3月11日(金) 使徒二三12-22  パウロが嫌いな人たち四〇人がはパウロを絶対に殺す、それまではご飯を食べないと誓っていました。パウロは大ピンチです。でも秘密にしていたことも、神さまにはお見通しでした。神さまはパウロを守られます。 3月12日(土) 使徒二三23-35  何百人ものローマの兵隊たちがパウロ一人のために護衛について、パウロをローマの総督のいたカイザリヤまで連れて行きました。神さまはパウロのためにローマの兵隊さえもお用いになったのです。  イエスさまを伝えるということは、特にイエスさまの十字架と復活を伝えることです。罪のないイエスさまが、私たちの罪を身代わりに負って死んでくださったこと、そのイエスさまが死を打ち破ってよみがえってくださったこと、誰でもこのイエスさまを信じる人は神の子にされて、永遠の命を持つことができることを語るのです。神さまがあなたにそのことをしてくださったことを語るのです。パウロがしようとしていたことも、まさにそういうことでした。 3月13日(日) 使徒二四1-9  パウロを訴える人たちはパウロのことを「疫病のような男」「世界中に騒ぎを引き起こしている」と言いました。それほど、パウロは、そしてパウロの伝えていたイエスさまの福音は大きなインパクトをその時代に与えていたということでもあります。 3月14日(月) 使徒二四10-23  パウロはペリクスの前で自分の話をしました。そうです。パウロは聖書の神さまを信じていました。そして、聖書の約束をそのまま信じていました。そして、聖書に書かれている約束の救い主こそがイエスさまであることを知ってしまったのです。 3月15日(火) 使徒二四24-27  ペリクスは時々、パウロを呼び出しては話を聞いていました。パウロはローマの総督であったペリクスに、神さまの目に正しいこと、神さまがやがて自分たちを裁かれることなどを一生懸命お話ししました。 3月16日(水) 使徒二五1-12  パウロはローマの皇帝の前で裁判を受けたいと上訴しました。その方が楽だからとか、思いつきでということではありません。神さまにローマでも証をしたいという願いを与えられていたのです。 3月17日(木) 使徒二五13-27  パウロは今度はフェリクスとアグリッパ王と、その他の偉い人たちが、みんな正装してそろっているところに引き出されました。本当ならパウロがなかなか会うことのできない人たちです。でも神さまはそこでも証をするチャンスをくださいました。 3月18日(金) 使徒二六1-18  パウロは自分がイエスさまに出会う前にどのような生き方をしていたのか、どのようにイエスさまに出会って、どうなったのかを喜びをもって語りました。 3月19日(土) 使徒二六19-32  パウロには願いがありました。祈っていることがありました。それは自分の話を聞いている人たちがみんなイエスさまのことを知って、イエスさまを救い主として受け入れ、救われることでした。それは相手がどんなに偉い人でも変わらないパウロの祈りだったのです。  教会の先生はあなたの学校に行って、お友だちを誘うことはできません。教会の先生は、あなたの学校の人とお友だちになって一生に遊んだり、笑ったりしながら、その人のために祈り、その人を教会に連れてくることはできません。それはあなたの仕事です。神さまはあなたしか入れないところに、あなたが入っていって、イエスさまのことを紹介してほしいと、願っておられるのです。 3月20日(日) 使徒二七1-12  パウロは囚人としてローマに連れて行かれようとしていました。百人隊長が百人の兵隊を引き連れて、無事にパウロたちをローマに届ける任務を帯びていたのです。冬が近づいて船での旅が危険な季節が近づいていました。パウロの忠告は聞き入れられませんでした。けれども、そこにも神さまのご計画がありました。 3月21日(月) 使徒二七13-26  船は出発しましたが、大変な嵐に巻き込まれてしまいます。もうダメだとみんなが思い始めていました。でもパウロは、神さまからの励ましをいただいて、みんなを励ましました。囚人のパウロがみんなに「元気をだしなさい」と言ったのです。 3月22日(火) 使徒二七27-44  もうみんなは二週間もご飯を食べていませんでした。とてもご飯を食べる気にはなれなかったのです。でもパウロは、自分がまずご飯を食べて、みんなを励ましました。 3月23日(水) ヤコブ一19-21  ヤコブはエルサレム教会のリーダーでした。ヤコブは神さまの言葉を心にしっかりとどめるようにと言いました。それは、聖書の言葉には、私たちを救う力があるからです。あなたも聖書を毎日読んで、神さまからの命と励ましをいただいてください。 3月24日(木) 詩篇一一九105-112  神さまの言葉は私たちの道を照らし、私たちが進むべき道を示してくださいます。神さまの言葉がなかったら私たちは真っ暗な中を明かりもなしに歩くようなものです。でも聖書の御言葉は私たちを命に導くのです。 3月25日(金) 詩篇一1-6  御言葉を読んで、すぐに忘れてしまったり、御言葉と関係なく歩くのではなく、御言葉を昼も夜も思いながら、神さまの道を歩く人は、いつも豊かな実を結ぶようになります。 3月26日(土) イザヤ五五8-11  神さまの御言葉は必ず実現します。神さまは語られたお言葉を忘れてしまうことはありません。都合が悪くなって変えてしまうこともありません。神さまは御言葉を必ず実行し、その約束を守ってくださいます。だから御言葉があったら大丈夫なのです。  友だちを教会に誘ってすぐに来てくれなくても、全然聞いてくれなくても、それであきらめないでください。あなたが話した言葉はお友だちの心の中に残り、いつかきっとお友だちの生涯を変えていくでしょう。みなさんが、神さまのためにするよいことは決して無駄になることはありません。パウロが最初ローマに着いた時、イエスさまのことを信じる人は少なかったかもしれません。けれども、やがてキリスト教はローマ帝国をひっくり返していきます。世界中の人たちにイエスさまのことが伝えられたのです。 3月27日(日) 使徒二八1-10  パウロたちはマルタ島という小さな島にたどり着きます。パウロはそこでもみんなのためにたきぎを集めてあげます。その島で病気だった酋長さんのお父さんのためにもお祈りしてあげました。 3月28日(月) 使徒二八11-16  パウロはついに夢にまで見たローマにたどり着きました。何度も命の危険にあいながらも、神さまはその中でもパウロを導いておられました。パウロはローマでもクリスチャンの人たちに会ってとても励まされました。 3月29日(火) 使徒二八17-22  パウロはローマに着くと、まずローマに住んでいたユダヤ人たちを招きます。パウロは、自分と同じユダヤ人の人たちにどうしてもイエスさまのことを知ってほしかったのです。 3月30日(水) 使徒二八23-31  ユダヤ人たちはパウロの所に集まって来ました。パウロは、イエスこそ旧約聖書に約束された救い主だと大胆に語りました。パウロはローマでは自由にあちこち行くことはできませんでしたが、訪ねてきた人たちに、自由にイエスさまのことを話すことができました。 3月31日(木) ローマ一1-7  この手紙はパウロがまだローマに行く前にローマにいるクリスチャンにあてて書きました。パウロは自分をキリスト・イエスの僕と言います。自分はイエスさまに仕えるために選んでいただいた、と言うのです。、 4月1日(金) ローマ一8-17  イエスさまがその十字架と復活によって与えてくださった福音を信じる人はどこの国の人でも、どんな人でも救われます。福音にはそのような力があるのです。 4月2日(土) ローマ三21-26  誰も律法の決まりを守ることによっては救われません。でも神さまはそんな私たちのために「神の義」を用意してくださいました。イエスさまが私たちの罪を負って十字架にかかってくださったことによって、信じる人にただで、恵みとして与えられる義です。罪をゆるし、義と認めてくださるのです。