秋らしくなってきたでしょうか。皆さんは何に秋を感じますか?紅葉でしょうか。晴れ渡る空や涼しい風でしょうか。気持ちよくて、いろいろなことがしたくなる季節でもあります。聖書を読むこともぜひ励んでくださいね。 10月3日(日) ルカ一〇25-37  ユダヤ人とサマリヤ人は本当は親戚なのですが、仲が良くありませんでした。でも、ユダヤ人の旅人が死にそうになって倒れていた時に助けてくれたのはひとりのサマリヤ人でした。親切にしてあげること、助けてあげることが大切だと分かっていても、勇気が出なかったり、いろいろな言い訳を作って素通りしてしまうこと・・・きっとあると思います。皆さんのまわりには助けが、優しさが、友だちが、励ましや慰めが必要な人はいないでしょうか。私はだれの隣り人になったらいいでしょうね。 10月4日(月) ルカ一〇38-42  マルタも一生懸命でした。でもいつの間にかマリヤのことを見ながらイライラしてきました。マリヤはイエスさまの話をじっと聞いています。イエスさまは、本当に大切な、なくてならないものは一つだけ、一番大事なのは、イエスさまの話を聞くことだとおっしゃったのです。 10月5日(火) 申命記六1-3  エジプトを出て四〇年。約束の地を前にしてモーセはイスラエルの人たちに、主が命じられたことを聞いて行うようにと教えたのでした。 10月6日(水)  申命記六4-9 「イスラエルよ、聞け」で始まるこの言葉は、イスラエルの人たちがみんな知っている大切な言葉です。そして、これは神様の命令の中心でもあります。神様を心から愛しなさい・・・何をするにしても神様への愛があるかどうかが大切です。 10月7日(木) 申命記六10-15  神様はイスラエルの人たちのためにすばらしい国を用意しておられました。でも、どんなにすばらしい国であっても、多くの祝福があっても、そこに住む人が、神様を忘れ、神様を恐れなかったら、何にもなりません。 10月8日(金) レビ記一九1-4  神様は聖なるお方です。だから、私たちにも聖なる者であってほしいと願っておられるのです。神様のものとして、神様の喜ばれる、正しい道を歩むことです。 10月9日(土) レビ記一九17-18  私たちは自分が得をすることを考えます。自分が楽をすること、自分が満足することを考えます。好きな人のことは少しは考えますが、嫌いな人には意地悪したくなります。でも、そんな人のことも愛し、その人のことを考え、その人のために生きることを考えたいと思います。  皆さんはどんな本を読んでいますか。聖書の他にです。聖書はもちろんですが、ぜひいろいろな本を読んでください。みなさんが良い本と出会ってほしいと心から思っています。特に、信仰を持って歩んだ人たちの伝記を読むことをお勧めします。信仰をもって生きて、何かを残した人の生涯をたどると、きっといろいろな夢が広がっていきます。信仰を持って進む勇気が出てきます。 10月10日(日) ルカ一一1-4  お弟子さんたちもみんなイスラエルの人たちでしたから、聖書のことも、神様のことも、お祈りのことも知っていたはずです。でもイエスさまのお祈りの姿を見た時に、何か他の人とは違うものを感じたのかも知れません。祈ることを教えてください、と求める弟子たちに、イエスさまは主の祈りを教えられました。 10月11日(月) ルカ一一5-13  私たちの天のお父さんは、私たちのお祈りを聞いて必ず良いものをくださるお方です。だから信じて祈り求めましょう。さて私たちに一番必要なのは何でしょう。それは、聖霊です。そして、神様は、私たちのために聖霊を送って下さるのです。 10月12日(火) ルカ一一14-26  悪霊を心の中から追い出すのはとても大切な事です。私たちは悪魔の言いなりになってはいけないのです。でももっと大事なことは、神様に心に住んでいただくことです。神様を喜び、神様に従って生きることです。 10月13日(水) ルカ一一27-28  イエスさまのお母さんは確かにすばらしい人でした。恵みをいただいていました。でも、私たちが神様の言を聞いて従う時、私たちはもっと大きな恵みをいただいているのです。 10月14日(木) ルカ一一29-36  イエスさまはソロモンよりも知恵をもち、ヨナよりも多くの人たちを悔い改めに導かれました。イエスさまは神のひとり子、救い主だからです。イエスさまは「ここにいる」とおっしゃいます。このお方を信じましょう。 10月15日(金) ルカ一一37-54  パリサイ人や律法学者は聖書のことをよく知り、神さまのことをみんなに教えていました。でも、外側のこと、人からどう見られるかということばかり気にして、自分の心の中のことを気にしなかったのです。 10月16日(土) ルカ一二1-12  神さまは私たちのことをいつも心配していてくださいます。守っていてくださいます。私たちが恐れることなく、神さまのことをみんなにお話しできるように、神さまは勇気と力と、語る言葉を与えてくださるのです。  伝記を読むといいよ、と先週書きました。伝記を読むといろいろなことが分かります。まず分かるのはどんなに大きな働きをした人であっても、最初は子どもだったということです。少年であり、少女だったということです。そして、実は、その人が小さいうちから、神さまはその人の人生を導いていてくださったのです。あなたのことも、そうです。神さまはあなたが大きくなったときに何をしてほしいか、計画をもっておられ、皆さんが小さい時からちゃんと導いておられるのです。 10月17日(日) ルカ一二13-21  どんなにたくさんお金があったとしても、どんなに良いものをたくさん持っていたとしても、命は持ち物にはよりません。自分の持っているものを自分のためだけに使うのではなく、神さまのために人のために使ってください。 10月18日(月) ルカ一二22-34  私たちは自分の事をあれこれと心配するかも知れません。でも一番大切なことは、私たちの天のお父さまに信頼して、生きることです。なぜなら天の神さまは、私たちのことを心配し、必要を備え、御国に着くまで導いてくださるからです。 10月19日(火) ルカ一二35-59  私たちの主イエスさまはまた帰って来られます。いつイエスさまが来られても喜んでお迎えできるように、今しなければならないことを忠実にしたいと思います。 10月20日(水) ルカ一三1-9  神さまは私たちが実を結ぶことを期待しながら、待っていてくださっています。そのために必要なことを一つ一つ整えてくださっています。神さまのあわれみに感謝して、一歩一歩誠実な生き方をしたい、豊かな実を結ぶものとしていただきたいと思います。 10月21日(木) ルカ一三10-21  イエスさまは一八年も病気で体を伸ばすことのできなかった女の人をいやしてくださいました。この人は悪魔に心を奪われていたのです。イエスさまは今日、その人を救ってあげたいと、その日に救ってくださいました。 10月22日(金) ルカ一三22-35  イエスさまは狭い戸口から入るようにとおっしゃいました。広くて、たくさんの人たちがぞろぞろ続いていく道ではなく、神さまが示される道を、たといそこが狭くても従って行く者でありたいと思います。 10月23日(土) ルカ一四1-14  安息日には仕事をしてはいけない、とパリサイ人は言いました。それは神さまの日だからです。でも、神さまの日だから、神さまを礼拝する日だから、人を助けてあげるのは大事なことだとイエスさまは教えられたのです。  伝記を読んでいると、他にも分かることがあります。それは何かを成し遂げようとする時には、いろいろな準備があることです。何となくブラブラしていたら、いつの間にか何かができてしまったと言うことではなく、そこにはコツコツと地道な努力があったはずです。いつかそのうち何かを始めようとするのではなく、今からぜひ準備を始めて下さい。 10月24日(日) ルカ一四15-24  せっかく神さまからお招きいただいたのに、他のことの方が大事になってしまって、すばらしい神さまの御国に行くことを断ってしまうとしたらとても悲しいことです。今、神さまの救いはどんな人にも開かれています。「この家がいっぱいになるように」「無理やりにひっぱってきなさい」。あなたも招かれています。そして、あなたは誰を連れてきますか。 10月25日(月) ルカ一四25-33  あなたがイエスさまを信じていたら、あなたもイエスさまの弟子です。でも、イエスさまの弟子として生きるためには覚悟がいります。自分の命までも捨てるとは、イエスさま以上に大事なものは何もないということなのです。 10月26日(火) ルカ一四34-35  塩に塩味がなかったら、何の役にも立ちません。イエスさまの弟子もまた、それらしさがなければなりません。イエスさまの中にあるきよさや、誠実さ、神と人とを愛する生き方・・・それを失ってしまったら何にもなりません。 10月27日(水) マタイ二二1-14  すべての人が天国に招かれています。けれども、天国に入る時に大事なことがあります。神さまが用意してくださった特別な礼服を着るということです。それは、私たちにとっては、イエスさまを信じるということです。 10月28日(木) マタイ八1-4  イエスさまのところに重い皮膚病の人が近づいてきました。イエスさまだったらきよめることができると思ったのです。イエスさまは手を伸ばしてこの人にさわり、そうしてあげよう、きよくなれ、ときよめてくださいました。 10月29日(金) マタイ八5-13  百人隊長は自分の大事なしもべが病気で苦しんでいる時に、イエスさまに「ただお言葉をください」と言いました。イエスさまの言葉には力があると信じていたからです。 10月30日(土) マタイ八14-17  イエスさまはペテロの奥さんのお母さんが病気だったのを知って、その家に行き、その手に触って、お母さんをいやしてくださいました。イエスさまには力がありました。旧約聖書に約束されている通りでした。  伝記を読んでいると、何か自分にもできそうな気がしてきませんか。どうぞ何でもあきらめてしまうのではなく、夢を抱いて下さい。自分が楽しいことばかりではなく、神さまのために、そしてあなたの思いの中にいる誰かのために何かをしたいという夢をぜひ持ってほしいと思います。 10月31日(日) ルカ一五1-7  イエスさまのところには、真面目な人たちからすると、どうしようもない罪人たちが集まって、うれしそうにお話を聞いていました。イエスさまはそういう人たちと一緒にご飯を食べるのも大好きでした。でも、ぶつぶつ文句を言う人たちに、イエスさまは迷子になった一匹の羊を探す羊飼いの話をなさいました。迷子になった羊を探し出して救い、その救いを大喜びしている羊飼いの姿はまさにイエスさまの姿でした。 11月1日(月) ルカ一五8-10  十枚の銀貨がありました。十枚全部ないと困る、代わりにきかない特別な銀貨だったと言われています。女の人は見つかるまで探しました。そして見つかった時に、大喜びしました。一人でも罪人が悔い改めたら、神さまは大喜びなのです。 11月2日(火) 詩篇二三1-2  神さまは私たちの羊飼いです。このお方と一緒にいたら、決して困ることはありません。このお方は私たちを緑の牧場・いこいのみぎわ、豊かな神さまの恵みに導いてくださいます。 11月3日(水) 詩篇二三3-4  神さまは私たちの魂を生かし、私たちを正しい道に導いてくださいます。私たちの歩みに暗くて寂しいところを行くことがあったとしても、もしこのお方が一緒にいてくださったら、何も怖がる必要はありません。 11月4日(木) 詩篇二三5-6  命をねらってくる敵がいないわけではありません。でも、神さまは私たちをいつも豊かにあしらってくださいます。私たちの歩みにはいつも神さまの恵みがあるのです。 11月5日(金) ヨハネ一〇1-6  羊飼いは羊の名前を知っています。そして羊も羊飼いが自分の名前を呼ぶ時に、こたえて、羊飼いについていきます。あなたはイエスさまの声が分かりますか。あなたはイエスさまについて行きますか? 11月6日(土) ヨハネ一〇7-18  イエスさまはよい羊飼いです。よい羊飼いであるイエスさまはただ羊のことを心配しているだけでなく、羊を守り、羊に豊かな命を与えてくださいます。そして、羊が豊かな命に生きるために、文字通り十字架の上で、命を捨ててくださったのです。  伝記を読んでいて、もう一つ分かることは、どんなに偉い人でも、失敗したり、みんなに誤解されたり笑われたり、苦しいこと・つらいことを経験したりすることがある、ということです。でも、そこでへこたれないで、あきらめないで、進んで行くのです。大変なことを経験するのは決して珍しいことではありません。 11月7日(日) ルカ一五11-24  弟息子は自分勝手にお父さんのところを出て行きましたが、お父さんのところを離れたところには幸せはありませんでした。でも、彼が本心に立ち返ってお父さんのところに帰って来た時に、お父さんは彼を抱きしめ、その帰りを喜びました。新しい服を着せ、指輪やはきものを用意し、ごちそうを出して、その息子を自分の子どもとして迎えたのでした。神さまも私たちを迎えてくださいます。 11月8日(月) ルカ一五25-32  お兄さんは弟が帰ってきても喜びません。お父さんが喜んでいる気持ちも分かりません。そしてお父さんにも文句をいっぱい言いました。でもお父さんは本当はお兄さんにも一緒に喜んでほしかったんだよね。 11月9日(火) ルカ一六1-13  あなたにはお友だちがいますか。どんなにお金持ちでも友だちがいなかったらさびしいね。神さまもみんなが自分のためにお金をためて喜んでいるのではなく、神さまを愛し、お友だちを大切にすることを願っておられます。 11月10日(水) ルカ一六14-18  どんなに人の前でかっこをつけることができたとしても、神さまは私たちの心を見ておられます。「律法と預言者」とは旧約聖書のことです。イエスさまは旧約聖書を成就させ、新しい時代をもたらしてくださったのです。 11月11日(木) イザヤ五五6-7  あなたは、あの弟息子のように神さまに帰っているでしょうか。主は悔い改めて帰ってくる人をゆるし、受け入れて下さいます。でも気をつけてください。遅すぎるという時がやがてくるからです。 11月12日(金) エレミヤ三19-25  神さまは神さまに背を向けて遠く離れてしまった私たちが向きを変えて、神さまのところに帰ってくることを願い、待っておられるのです。悔い改めとはまさに、向きを変えるということなのです。 11月13日(土) エレミヤ四1-2  エレミヤの時代にも人々は、神さまから離れて、嘘の神さまにすがったり、他の強い国々に助けを求めていました。神さまは「わたしのもとに」帰るようにと何回もおっしゃいました。イスラエルの人たちはなかなか神さまのところに帰りませんでしたが、やがて、帰って来ることになります。  伝記を読んでいて、もう一つ分かることは、何かを成し遂げる人は応援してくれる誰かや、仲間・友だちがいるということです。ひとりぼっちの人はなかなか何かをすることができません。あなたには良い友だちがいますか?あなたのことを励ましてくれたり、一緒に泣いたり喜んだりしてくれる人、時に、あなたのことをしかりつけてくれる人です。 11月14日(日) ルカ一六19-31  ラザロは病気で、とても貧しく、お金持ちの家で出てくるゴミをあさりながら生きていました。でもラザロは神さまを信じていました。やがてラザロは天国に行き、お金持ちは地獄に行きました。お金持ちは悲しくなりましたが、もう遅すぎたのです。ちゃんと聖書に書いてあったのに、言うことを聞いて、神さまを信じることをしなかったからです。 11月15日(月) ルカ一七1-10  私たちが神さまのために何かをしたとしても、私たちはそれを自慢したり、いばることはできませんし、それで天国に行けるのでもありません。私たちが何をしたとしても、神さまのしもべだったら当たり前のことなのです。 11月16日(火) マタイ七13-14  狭い門と広い門。どちらから入るかは私たちが自分で決めないといけません。でも神さまは私たちが神さまを信じ、従って、狭い門から入ってほしいと思っています。 11月17日(水) マタイ七15-20  「にせ預言者」は一見、すごいことをしたり、言ったりするのですが、その心の中には悪いものがいっぱいで、私たちをだまして、神さまとは違う方に私たちを連れて行こうとします。私たちはだまされないように気をつけないといけません。その人の言葉だけでなく、生き方を見るのです。 11月18日(木) マタイ七21-23  教会に行っていたら、お祈りができたら、教会でお手伝いをしていたら、天国に行けるでしょうか。いいえ、大切なのは、あなたが神さまを信じ、神さまに従って生きることです。 11月19日(金) マタイ七24-29  岩の上に家を建てる、それが賢い生き方です。晴れている時には何も違わないのですが、雨が降り、風が吹き付けると違いははっきりしてきます。本当の賢さは、神の言葉を聞いて行うところからきます。 11月20日(土) ヨハネ三1-16  ニコデモは聖書の先生でした。勉強もたくさんしていました。他の人を教えてもいました。でも、新しく生まれないとだめだぞ、とイエスさまはおっしゃいました。十字架にかかって私たちのために死んでくださったイエスさまを信じる人は新しく生まれた人です。  伝記を読んでいて分かるもう一つのことは、私たちはみんないつかは死ぬということです。そして、何か大きな事を始めたとしても、やがてそれを他の人にまかせて、私たちは神さまのところに帰ります。何か中途半端に思えるかも知れません。でも、大丈夫です。私たちのやり始めたこと・やりかけたことを進めてくれる仲間がまたいるからです。 11月21日(日) ルカ一七11-19  十人の重い皮膚病の人たちが一緒に暮らしていました。一人はサマリヤ人、残りはイスラエル人です。イエスさまはこの十人をきよめてくださいました。うれしくてうれしくて、九人は家に飛んで帰りました。でも一人はイエスさまのところに帰って来ました。イエスさまにありがとうございました、と感謝したかったのです。イエスさまはとても喜ばれました。 11月22日(月) ルカ一七20-37  ノアの時にも、ロトの時にも、裁きの日は突然やって来ました。本当は何回も神さまは警告しておられたのですが、気にも留めなかったのです。そんなことありっこない、今日は気にしなくても大丈夫だと思っていたのです。みんなが今日は来ないよ、と思っている時にイエスさまは来られます。 11月23日(火) ルカ一八1-8  失望しないで、いつもお祈りするようにとイエスさまはおっしゃいました。神さまは私たちのお祈りを聞いて答えてくださるからです。 11月24日(水) ルカ一八9-14  二人の人たちがお祈りしました。一人はパリサイ人、もう一人は取税人でした。パリサイ人は自分の事を自慢するお祈りをしました。でも、取税人は自分の罪を認め、悔い改め、神さまにゆるしを求めました。神さまは取税人をゆるし、義としてくださいました。 11月25日(木) ルカ一八15-17  子どもには関係がない、子どもはあっちに行っていてほしい、と弟子たちはおもったのでしょう。でもイエスさまは子どもを呼び寄せて、子どものようにすなおに神さまを信じないと神の国には入れない、とおっしゃったのでした。 11月26日(金) ルカ一八18-34  この役人は小さい頃から真面目に生きてきました。でも、何か足りないと感じてイエスさまのところに来たのです。でも天国は何かをしたから入れるというところではありません。人にはできません。神さまの恵みに御業なのです。 11月27日(土) ルカ一八35-43  目の見えない物ごいの男は、必死でイエスさまに助けを求めました。イエスさまはこの男の信仰にこたえて、この人の目を見えるようにしてくださいました。この人は神さまをあがめて、イエスさまについていきました。  今日からアドベント(待降節。主イエスさまのお誕生をお祝いするクリスマスの時を待ち望む期間が始まります。クリスマスは一二月二五日ですけれど、ただ一日お祝いして、クリスマスプレゼントを開けておしまいということではなく、私たちのために人になって来てくださった、神の子イエスさまのことを深く思い、感謝する時をゆっくり持ちたいと思います。 11月28日(日) ルカ一5-25  ザカリヤお祈りもしていましたけれど、歳をとった自分たちに子どもができるなんて、いくら神さまに言われても、信じられない気持ちでした。信じないザカリヤに、天使ガブリエルは、時が来たら神さまの言葉は成就するのだと言います。そしてザカリヤは話せなくなってしまいました。でもみんなもザカリヤが特別なメッセージを聞いたことが分かりました。 11月29日(月) ルカ一57-66  一年後に、本当にザカリヤとエリサベツに男の子が生まれました。ザカリヤは神さまに言われたとおりにその子にヨハネという名前をつけました。しゃべれるようになったザカリヤは心から神さまをほめたたえました。 11月30日(火) ルカ一67-80  ザカリヤは生まれたヨハネが、救い主をお迎えするために、特別な準備をすることを知っていました。預言者たちが預言していたとおりです。救いの時が近づいていました。そして、その救いとは「罪のゆるし」をもたらすものでした。 12月1日(水) イザヤ四〇1-5  神さまが救い主を送られる時に、救い主をお迎えするために荒野で声を上げる人が起こされる、それはイエスさまが生まれる七百年前にイザヤが聞いていた預言でした。ヨハネはそのような使命、役割を神さまから与えられていたのです。 12月2日(木) イザヤ四〇6-11  人はどんなに栄えてもやがて蹴れていきます。でも、神さまの言葉は決して変わることはありません。 知ってください。私たちの神さまは力のあるお方、羊飼いのようにやさしく私たちを導いてくださるお方なのです。 12月3日(金) マルコ九14-29  お父さんは「もしできれば」助けてくださいと言いました。でもイエスさまははっきりと、信ずる者には、どんなことでもできるとおっしゃいました。信じる人が偉いというのではありません。私たちの信じるイエスさまには力があるのです。 12月4日(土) マルコ一〇17-31  イエスさまは今日も私たちを見つめておっしゃいます。「神にはできる」。私たちは、自分で自分を救うことはできません。誰かに救ってもらうこともできません。できるのは神さまだけです。  今日はアドベントの第二の聖日です。一二月になってますますクリスマスが近づいてきます。どんな準備をしていますか?劇の練習?クリスマスの打ち合わせ?いろいろな準備があるかも知れませんね。どうぞ、あなたにできることを一生懸命やって下さいね。でももう一つ大事な準備があります。それは教会のクリスマス会にみんなのお友だちが来られるように、お祈りし、誘うということです。 12月5日(日) ルカ一26-38  ガブリエルはマリヤのところに来て、「おめでとう」と言いました。マリヤは救い主のお母さんに選ばれたのです。でもマリヤはまだ結婚していません。そんなことが起こるでしょうか。けれども「神には何でもできないことはありません」と言われた時に、マリヤは神さまの御言葉に自分をゆだねたのでした。 12月6日(月) ルカ一39-45  マリヤとエリサベツとは親戚でした。マリヤのことをエリサベツはよくわかってあげることができたことでしょう。エリサベツはマリヤをさいわいだ、と言いました。マリヤが主のお語りになったことが必ず成就すると信じたからです。 12月7日(火) ルカ一46-56  マリヤは心から神さまを賛美しました。神さまが昔から約束していてさった救い主を送ってくださることを感謝しました。自分に大きなことをしてくださった力ある神さまを讃えました。 12月8日(水) イザヤ七1-9  ユダ王国にスリヤと北イスラエルが攻めてきたことがありました。イザヤはアハズ王さまのところに行って、恐れないで、神さまを信じるようにと言いました。誰かに助けを求めたり、バタバタとうろたえるのではなく、救いをくださる神さまにすがるということです。 12月9日(木) イザヤ七10-17  アハズ王さまはでも北の方にある大きなアッスリヤという国に助けを求めようとしていました。神さまより、そちらにすがったのです。そちらの方があてになると考えたのです。神さまはアハズに本当の救い主が生まれることを予告されました。 12月10日(金) イザヤ九1-7  イザヤは言いました。一人の赤ちゃんが生まれる。この赤ちゃんは救い主、この赤ちゃんこそがまことの王様、私たちに本当の平和と救いをもたらす方だと言うのです。 12月11日(土) イザヤ一一1-5  エッサイはダビデのお父さんです。ダビデの家系から救い主が来られ、その上に主の霊が止まるというのです。そのお方は、主を恐れて国を正しく治め、導いてくださいます。イザヤはイエスさまが生まれる七百年前に、そのことを告げられて、みんなに話していました。  アドベントの第三聖日です。イエスさまが最初来られた時には、イエスさまを歓迎した人はほとんどいませんでした。今はクリスマスを世界中でにぎやかにお祝いします。デパートやお店もかき入れ時です。でも、今も、本当にイエスさまのことを心から喜んで、お迎えする人はあまり多くないかも知れません。あなたはどうでしょう。 12月12日(日) ルカ二1-7  イエスさまがお生まれになった時、マリヤとヨセフはベツレヘムに行くことになりました。大変な旅だったと思います。しかも、ベツレヘムに着いた時には宿屋はいっぱいで泊まるところもありません。マリヤたちはイエスさまが生まれた時、布にくるんで馬や牛のえさを入れる飼い葉桶の中に寝かせたのでした。でも、これも、神さまの深い知恵と愛の中で起こった事でした。 12月13日(月) 創世記三1-19  神さまに造られた人間が罪を犯した時、神さまは女の子孫が蛇の子孫の頭を砕くと約束されました。イエスさまは人間となって生まれてくださり、私たちをだまし、罪の奴隷としてしまう悪魔を完全に打ち砕いてくださったのです。 12月14日(火) 創世記一二1-8  神さまがアブラハムを召し出された時、神さまは「アブラハムの子孫」が祝福を受け継ぐことを約束されました。イエスさまはアブラハムの子孫として約束の通りに来てくださり、神さまの祝福を私たちにもたらしてくださいました。 12月15日(水) 申命記一八15-22  モーセはイスラエルをエジプトで奴隷であったところから救い出したリーダーです。そしてイエスさまはモーセのような預言者として来てくださり、私たちを罪の奴隷であったところから救い出してくださったのです。 12月16日(木) サム下七1-17  神さまはダビデにあなたの子孫が代々王となると約束してくださいました。そしてダビデの子孫としてイエスさまはこの世に生まれてくださいました。イエスさまは王の王でした。 12月17日(金) ミカ五1  ミカも神さまからお言葉を聞いて預言をしました。救い主が生まれるのはベツレヘム。ベツレヘムはダビデの故郷の村でしたが、小さな村にすぎませんでした。けれども、イエスさまはその小さな村に生まれました。預言の通りでした。 12月18日(土) ガラテヤ四1-7  神さまは、準備ができた一番良い時に、イエスさまをこの世に送って下さいました。このイエスさまによって、私たちは罪の中から救われて、神の子として生きることができるようにされたのです。私たちも神さまを「お父さん」と呼ぶことができるのです。  アドベントの第四聖日です。今週の土曜日がクリスマスになります。日本ではクリスマスの日の午後になると、すっかりお正月の準備に切り替わってしまうのですが、もう少しゆっくりクリスマスをお祝いし、私たちを愛して、私たちのために人になってきてくださった主イエスに感謝したいと思います。 12月19日(日) ルカ二8-21  イエスさまがお生まれになったその日、イエスさまのお誕生をお祝いした人はほとんどいませんでした。でも天使は、ベツレヘムの田舎の名もない羊飼いたちに声をかけ、救い主イエスさまのお誕生を知らせました。羊飼いたちは急いでベツレヘムに行って、イエスさまのことを探し当てました。そのしるしは、布にくるまって飼い葉おけに寝かされている赤ちゃんということでした。羊飼いたちは救い主にお会いして大喜びでした。 12月20日(月) マタイ一1-17  イエスさまはアブラハムの子、ダビデの子として生まれてくださいました。神さまはアブラハムやダビデにした約束を覚えておられました.聖書の約束の通りでした。神さまはちゃんと計画をもっておられたのです。 12月21日(火) マタイ一18-25  結婚していないうちにお腹が大きくなってきたマリヤをヨセフはてても心配します。神さまはそんなヨセフに天使を送って、マリヤのお腹にいるのが、約束されていた救い主、神さまが一緒にいて下さることを示し、実現してくださるお方であることを告げたのでした。 12月22日(水) ヨハネ一1-4  「言」とはイエスさまのことです。イエスさまは神さまと一緒におられました。天地が造られた時にもそれに関わりました。イエスさまは光であり、命です。どんな闇をも打ち破るまことの光なのです。 12月23日(木) ヨハネ一5-13  イエスさまがこの世に来られた時、人々は神の子のイエスさまを知りませんでした。お迎えしませんでした。でもイエスさまを心にお迎えする人は、救われて、神の子としていただくことができるのです。 12月24日(金) ヨハネ一14-18  神さまは目に見えません。でも神のひとり子なるイエスさまが、人になってこの世に来てくださった時、めぐみとまことととに満ちておられるイエスさまは、神さまがどのようなお方であるかを人々に示したのです。 12月25日(土) ピリピ二1-11  イエスさまは神であられたのに、私たちを救うために僕になってこの世に来てくださいました。イエスさまはただ人になってくださっただけでなく、私たちを救うために呪いの十字架にまでついてくださいました。私たちはこのイエスさまを信じ、ほめたたえるのです。  さて、いよいよ二〇一〇年も終わります。この一年、どんなことがあったでしょうか。楽しいこと・悲しいこと・うれしいこと・つらいこと・・・いろいろなことがあったと思います。振り返って、神さまがどんなにすばらしいことをしてくださったか、書き留めておきましょう。私たちは、神さまがしてくださったことも、すぐに忘れてしまい、感謝することも少ないからです。みんなで証し会をして、一言ずつお祈りができるといいですね。 12月26日(日) ルカ二22-38  神さまを信じて、救い主のお生まれを待ち望んでいたシメオンやハンナには赤ちゃんのイエスさまが、神さまの遣わされた救い主であることが分かりました。二人とも、神に感謝し、心から神をほめたたえました。他の人たちにもイエスさまのことを教えてあげました。 12月27日(月) マタイ二1-12  イエスさまのことを拝みに東の博士たちが遠い旅をしてやってきました。彼らは星に導かれてベツレヘムに行き、そこで赤ちゃんのイエスさまとお会いして、心から喜んで礼拝し、尊いささげものをささげました。 12月28日(火) マタイ二13-23  ヨセフは神さまから特別な夢を見させられました。ヨセフは神さまのおっしゃるように、すぐに行動しました。あぶないところだったと思います。でも神さまは、赤ちゃんのイエスさまを守っていてくださったのです。 12月29日(水) ルカ二39-40  イエスさまはヨセフとマリヤの町、ガリラヤのナザレで育っていきます。体も知恵も魂も元気に育っていったのでした。頭がいいだけでは困ります。神さまに体も心も守っていただきましょう。強くしていただきましょう。 12月30日(木) ルカ二41-51  イエスさまが一二歳の時、イエスさまは両親と一緒にエルサレムに行きました。エルサレムには神さまに礼拝をささげる神殿がありました。イエスさまはそこにいるのが大好きでした。イエスさまのお父さんである神さまの家だったからです。 12月31日(金) 詩篇一〇三  神さまがこの一年、自分にしてくださった良いこと、その恵みをしっかりと心にとめておきましょう。私たちは来年がどういう一年になるのか分かりません。でも確かなことは、神さまは来年も、私たちのためにたくさん恵みを備えてくださっているということです。 1月1日(土) 詩篇一1-6  私たちはこの新しい年も、豊かな祝福をいただきたいと思います。豊かな祝福の秘訣があります。それは神さまの御言葉のことをいつも思っていることです。