講師紹介 of YouthJam 2012

ユースジャム 2012 | 4年に一度のオリンピックの年に開催!ホーリネス青年集会 印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

YouthJam2012

講師紹介

加藤 望 師(広島福音) 8/14 「恵みの集会1」(全体)
kato.jpg★プロフィール
出身 : 東京都三鷹市(生まれは母の実家、茨城県行方郡北浦村字繁昌)
*年齢 : 52歳。昭和34年生まれ。
*休日の過ごし方 : 夫婦で近くの温泉に行く(車で40分位の山の中)。
*学生時代のあだ名とそのエピソード : あだ名は「スリーピー・ヘッド」。授業中、初めから終わりまで約2時間、一番前の席で眠りこけたことがある。
*中学生の時の将来の夢 : 議員。なんだかかっこよく思えたから。
*二十歳の頃、どんな青年だったか:聖書学院にいたけど、負けず嫌いで、試験前は仲間の誘いも無視して部屋にこもって勉強していた。それ以外の時は、よく卓球、相撲、野球をして遊んでいたなぁ。
*献身した年齢 : 15歳。中学3年生の時、夏のキャンプで。でも高校時代は、献身の「け」の字もないくらい部活や友達付き合いに明け暮れていたけどね。
*YJ2012に対する思い : 全国のホーリネス教会の若者たちが代々木に集まって、イエス様を信じる者としての連帯感・一体感を味わうことができたらいいなぁと思っています。友達の輪を広げよう!


錦織 寛 師(東京中央) 8/15 「恵みの集会2」(中高生)
nishikori.jpg★プロフィール
*出身 : 大坂
*年齢 : 自分でも信じられないけど、今度のジャムの時は51歳
*休日の過ごし方 : 部屋の片付け。電器屋回り。家内とデート。
*学生時代のあだ名とそのエピソード : 中高生のころは「にしこ」・・・単に「にしこおり」は長いし、「ひろし」は月並みだし。聖書学院時代は「男子寮の母」・・・苦手な人の分まで裁縫とかしてた
*中学生の時の将来の夢 : 中学の時までは医者で、宣教師で、牧師で、科学者で・・・とかいろいろ考えていた。中学の時に、医者はやめた。向いてないと思った。血が怖いと言うより、歴史の先生が授業の中で話していたことを聞いて・・・。
*二十才の頃、どんな青年だったか : うーん。けっこう真面目な青年。大島泉の家が大好きで、夏は半分くらい泉の家にいて、キッチンワーカーをしていた。
*献身した年齢(献身するまでは何をやられていたか) : 献身したのは小3の時。その思いはずっと今も変わらない。勉強も、恋も、みんな小三の時にした献身の思いの上にあった・・・
*YJ2012に対する思いを一言 : 神さまって最高にすごい。神さまって最高に熱い! メッセージもそうだけど、みんなと会っていろいろなことを話したい。


高橋 誠 師(八王子) 8/15 「恵みの集会2」(学生・社会人)
takahashi2.jpg★プロフィール
*出身 : 栃木県生まれの愛媛県育ち
*年齢 : 47歳
*休日の過ごし方 : ドライブ、釣り、ギター
*学生時代のあだ名とそのエピソード : 「ライフ」と呼ばれていた。ホンダのポンコツの軽自動車に乗っていたため。ライフ(生命それでは)の名前で呼ばれることは、少しうれしかった。
*中学生の時の将来の夢 : 牧師になることを13歳の春に決心した。
*二十才の頃、どんな青年だったか : 軽音サークルに夢中だった。成人式もコンサートに出演して出席しなかった。
*献身した年齢(献身するまでは何をやられていたか) : 大学生だった。
*YJ2012に対する思いを一言 : 混沌とするこの国の中で、キリストへの信仰を持っていることの豊かさや自信を確かにしてほしい。


田中敏信師(矢板) 8/16 「恵みの集会3」(中高生)
tanaka2.jpg★プロフィール
*出身 : 広島県(お百姓さんの末っ子) 母教会は、広島アライアンス教会(日本アライアンス教団)
*年齢 : 現在56才
*休日の過ごし方 : 朝から晩まで音声化パソコンを使って、オンラインでウインドウショッピング。たまに、趣味のC言語プログラミング。しばしば、奥さんのウインドウショッピングの付き添い。
*学生時代のあだ名とそのエピソード : 骨模型(「コツモケイ」と発音)と呼ばれていました。高校生時代、マッサージ・はり…の勉強をしていました。専門分野の授業の一つに、人間の体の仕組みを勉強する科目「解剖学」がありました。体の骨の並び方や間接の動き方は、骨の模型(骨模型)を使って勉強するのがふつうです。それが!ある時から…  「おい。田中はやせていて、骨が良くわかるぞ。みんな田中の周りに集まれ!」と。それから私は、骨模型(コツモケイ)と呼ばれるようになってしまいました。
*中学生の時の将来の夢 : 無線通信士・電気関係の技術者になること。その頃の趣味は、アマチュア無線でした。はんだごてを使ってラジオを作ったり、無線機を使って「広島から北海道の人と話ができた!」と うきうきしていましたから。
*20才の頃、どんな青年だったか : 将来は、どんな仕事ができるのだろうかと、途方にくれていました。目が見えないと、無線や電気の仕事はできないし、医療関係の仕事は、そんなに興味が沸かないし…と。
*献身した年齢(献身するまでは、何をしていたか) : 27才で献身。マッサージ・はり…の仕事をしていました。体の痛い所や苦しい箇所をなおせるようになっていました。おもしろい。そんな頃、どうしてもなおせない所、医療でも言葉でもなおせない場所がある…と気づいていました。
*YJ2012に対する思いを一言 : 神様のみ手の中に、ドサッと飛び込もう(献身の時から、そうしているように)


郷家一二三師(坂戸)
8/16 「恵みの集会3」(学生・社会人)

goya2.jpg★プロフィール
*出身 : 埼玉県坂戸市 高校2年17歳のときに坂戸キリスト教会へ高校3年の春から休み出し、11月に友人を事故で失い死の問題の解決を求めて、再び坂戸キリスト教会へ通い出す。
*年齢 : 1952年5月29日生 現在59歳
*休日の過ごし方 : プールで泳ぐ 妻との小旅行
*学生時代のあだ名とそのエピソード あだ名があまりないのです。学院時代は「火の玉ごうや」
*中学生の時の将来の夢 : その時その時を懸命に生きていた感じです。漠然と教師かな。  
*二十才の頃、どんな青年だったか : 一浪中に、「熱河宣教の記録」に感銘を受けた。 大学でやっと勉強が面白いと分かって猛烈にやっていた。教会学校での奉仕や東京連合青年会のキャンプ奉仕に熱中した。
*献身した年齢(献身するまでは何をやられていたか) : 12年間、埼玉県の高校の国語の教師をしていた。
33歳で、1年間、中国山西大学で日本語を教え、帰国してから2年働き
36歳で献身に導かれた。当初は志願兵で、学院で召集兵だと自覚した。
*YJ2012に対する思いを一言 : 信仰の仲間と出会ってほしい。また信仰の師を得てほしい。一生涯の信仰の友が神から与えられたら、最高の恵みだと思う。 また、新しく主を信じる人が起され、ひとりひとりが人生の決断できるように。
よろしくお願いいたします。


岡田宣道(びわこ) 8/17 「宣教大会」(全体)
okapom.jpg★プロフィール
*出身 : 実は東京生まれ。3~10歳=愛媛。その後大阪。
*年齢 : 41歳
*休日の過ごし方 : ゲーム(鉄拳など)。あとは日曜日に録画した仮面ライダーを見る。
*学生時代のあだ名とそのエピソード : 高校時代、「オカピー」と呼ばれていた。いつものように友だちとしゃべっていたら、突然隣のやつに「なぁオカピー?」と言われてそれ 以来オカピーに。理由は不明だが、当時は語尾に「ピー」をつける酒井法子の「のりピー語」というのがあった。
*中学生の時の将来の夢 : 中3の進路を書く紙には、聖書学院に行って牧師になると書いて提出していた。
*二十才の頃、どんな青年だったか : 聖書学院の一年生だった。学年最年少で、大人の同級生におまけでくっついていた。よく生き残ったなぁとマジで思う。
*献身した年齢(献身するまでは何をやられていたか) : 一年の大学生活を終えた、19歳の春の年会の宣教大会で。大学時代は、ほとんど軽音楽部のためだけに学校に通っていた。でも神様に 「捕まった!」ってかんじ。捕まってよかった。  
*YJ2012に対する思いを一言 : 同じホーリネスの仲間に会えて、一緒に時を過ごせることが、「楽しみ」+「嬉しい」=「うれしみ~~♪」です。私も期待して参加します。みんな も期待して来てね!