Q1
教育基本法が変わることが、どうしてそれほど大きな問題なのですか。法律は時代や状況に応じて改正するものでしょう? Q2 子どものいじめや自殺、不登校、荒れる学級など、学校には問題がたくさんあります。それらをなんとかするためにも法律の整備は必要なのではないですか? Q3 全面的な改正というけれど、何がどう変わるのですか? Q4 クリスチャンの信仰にとって、何か影響はあるのですか? Q5 具体的にクリスチャンの先生や生徒が困ることが、何かありますか? Q6 「愛国心」を教えるのが問題だといわれますが、新・教育基本法では「愛国心」という言葉そのものを使うのをやめ、「統治機構としての国を愛するわけではない」ということを政府が確認したので、それほど問題ないのではないでしょうか? Q7 クリスチャンも、国を愛することは大事なのではありませんか? Q8 新設の第十条(家庭教育)はキリスト教界でも重視していることですね? |
Q7
クリスチャンも、国を愛することは大事なのではありませんか?
A7
聖書が教える同胞への愛と、新・教育基本法がいう「国を愛する態度」は根本的に異なるものです。聖書にも「愛国心」を振りかざす人々が登場します。イスラエルは神に選ばれた特別な国であり、自分たちこそアブラハムの子孫だと、自国の歴史と伝統を誇ったパリサイ人はその典型です。そのようなパリサイ人を、主イエスは厳しく糾弾しました。それは彼らが、律法の本質である他者への愛(隣人愛)をないがしろにし、自己の正当性ばかりを誇る偽善に陥っていたからでした。彼らが誇るイスラエルの歴史の中で、神はいくたびも預言者を遣わして罪を指摘したが民は罪を悔い改めなかったと、主イエスは嘆いておられます(マタイ23章)。かつてパウロ(サウロ)は筋金入りのパリサイ人で、「先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心」な愛国者でした。ところが復活の主イエスに出会って真理に目が開かれた彼は、自国や自民族を誇るプライドから解放され、そのような価値観を「ちりあくた」と思うほどに変えられました。そして「ユダヤ人とギリシヤ人トの差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである」
(ローマ10:12)と言うことができました。一方でパウロは回心後、
同胞のためなら自分がのろわれてもよい(ローマ9:3)と言うほどに同国人への愛を熱く語っています。偏狭な「自国中心史観」から福音によって自由にされた人は、本当の意味で自国民も他国民も愛することができる者へと変えられるのです。聖書が教える、私たちが持つべき「愛国心」とは、狭い自国中心のナショナリズムではなく、自らの罪を悔い改め、国や民族の別なくキリストの愛をもって接する隣人愛に根ざしたものです。
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