1. いったい、どういうことが現実に起きているのか

  1. 信仰・良心への挑戦

  1. ささやき

 さらに、私たちの信仰にとっても深刻な問いかけが、特に「君が代」にはあります。「たった四五秒、我慢して起立したら(弾いたら)いいではないか」「形だけ合わせれば済むことではないか」というささやきです。
 この種の声は、「君が代」を強制しようとする側ばかりでなく、拒否者が窮地に立たされるのを見かねた善意の同僚や、教育者としての使命や家族の生活を守らなければならないが、拒めば職を失うかもしれないという恐れから逡巡する教員自身の心の声として響いてくることもあります。

  1. 現代の「踏み絵」

 「君が代」はまさに、キリシタン弾圧時代の「踏み絵」と同じように、私たちの信仰に対する挑戦となっています。苦渋の思いで「絵」を踏んでしまったからといって誰が責めることができるでしょうか。しかし、そのために生じる「自分の信条を貫けなかった」という良心の呵責は、心の底に残り続けるのです。
 実際にキリスト者の教師たちの中には、自分の気持ちとしては「国歌斉唱」をしたくないけれど、拒否すれば処分され、教員の立場を追われてしまう。教育者としての使命や家族の生活を考えると、本心とは裏腹に従わざるを得ない、という苦しい胸の内を明かす人々もいます。こうした現状に堪えられずに、学校を退職する人たちも出ています。
 「日の丸・君が代」は、単なる旗や歌の好みの問題ではなく、このように人間性の根源をむしばむ思想統制の道具、すなわち「踏み絵」とされています。このことを知って、現場で苦境に立たされている方々のために覚えてお祈りいただきたいのです。